2005/12/23
 師走の京都です。前日の雪がまだ残っています。そんなか、洛中にうごめく動物を探しに出かけました。
 
 出発は四条大橋西側にある中華料理店「東華菜館」から。
 ヴォーリズが手がけた商業建築のひとうつで、大正15年にできた、京都のランドマークのような建物です。当初はフランス料理レストランとして建設されたため、シーフードを意識した装飾があちこちにあります。
 上部にいるのはヒツジでしょう。
 ちょっと下には、大きな口をあけた魚がいます。
 四条通はファッションの店が増えています。そこにおなじみのクロコダイルを発見しました。
 「天野屋利兵衛は男でご座る」
 忠臣蔵の赤穂義士達に討ち入りの武器を調達し、資金面でも援助した義商・天野屋利兵衛の名せりふです。この聖光寺(寺町綾小路上ル)に墓があります。
 聖光寺の屋根から鋭い目を光らせている獅子です。
 こちらの獅子はアクロバチックなポーズをとってます。
 空也寺は天禄三年(972)に空也上人が開いたとされています。豊臣秀吉によって現在地に移転させられ、寺町が生まれました。あたりは電気街になってますが、まだ寺も残っています。
 大丸のシンボル、孔雀です。
 この大丸京都店もうヴォーリズの設計です。
 
 京都の町家風の料理やです。どこに動物がいるかって? 看板をよく見てください。「鹿」が。
 神明神社(綾小路東洞院東入る)です。
 源三位頼政が鵺(ぬえ)を退治する際にはこの神明神社に祈願して、鵺を討ち果たしたと言われており、鵺を討った「やじり」2本が奉納されているそうです。
 残念ながら討たれた鵺はいません。
 神明神社の前で見かけた看板です。
 ホンモノの亀の剥製は古びたショーウインドーに飾られてました。
 これまた古びた看板にはべっ甲細工とあります。納得です。
 仏光寺は伽藍を大修理中でした。
 鐘楼の四隅に獅子がいます。
 花咲稲荷(間之町通松原上る)には、一対の狐がいます。
 江戸初期の歌人・俳人でもある松永貞徳が邸宅「花咲亭」の鎮守社として創祀したそうです。
 平等寺(因幡薬師)のお堂の前にある大香炉です。上部には龍がいて、脚は邪鬼の顔だそうです。
 境内の灯籠にも龍が躍っています。
 「不明門」と書いて「あけず」と読みます。
 この標識をみてはっとしました。京都の難読地名である不明門通りの由来は、「因幡堂平等寺の正門がこの通りに面していて、常に閉ざされていたことから通り名となった」(「京都・観光文化検定試験公式ガイドブック」から)とあります。
 これが、今年の京都検定に出題されました。わたしは平等寺という名前までは覚えていなかったので、見事に間違いました。ここだったのです。
 菅大臣神社(西洞院仏光寺上がる)の狛犬です。
 菅原道真を祭神とする神社です。菅原道真邸や、菅家廊下といわれた学問所の跡で、道真が産湯をつかったという井戸も残るそうです。
 「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅もあります。
 天満宮といえば牛です。ここにも3匹いました。
 見上げれば奉納額にも牛が。明治40年といえば1907年です。もうすぐ100年になります。
 境内の民家で見つけた立派な鍾馗さんです。左手に退治した(?)鬼を逆さにつるしています。初めて見るデザインです。
 同じ屋根のちょっと横には招き猫がいました。リアルすぎて、わたしは苦手です。
 明日はクリスマス・イブです。そのセール中でしょうか。狸にはちょっと不似合いですが。
 かわいい兎もいました。住吉神社(醒ケ井通高辻下ル)の屋根の上です。
 五条天神社(松原下洞院)は、「天使突抜通を突き抜ける」で訪ねました。
 狛犬がベレー帽のような雪をかぶっています。
 ラクダがいます。キリンもいます。象もいました。
 石屋さんです。観音さまの脇にいろんな動物がいます。
 大宮松原まで歩きました。
 FZ30の撮影枚数は「168」。残りわずかになったので、本日はこれで終了です。
 先人というのはありがたいものです。
 わたしの「洛中サファリ」も、実はガイドがありました。「琵琶湖周歩の旅」の参考にしたのと同じ雑誌「歩くマガジンWalk関西2003春夏号」に左のようなイラスト入りで紹介されています。
 今回は四条から五条間を歩きました。次回は五条以南というテーマが残りました。