2004/08/17-24 | |||
2004年夏。55歳の誕生日を迎えてこの時期としては初めての長い「リフレッシュ休暇」を取ることができました。長年の夢だった「ザルツブルクでウイーンフィルを聴く旅」の実現です。 7泊8日の海外旅行です。わたしはヨーロッパへの渡航経験もありましたが、妻は初めて。旅行代理店の主催するパック旅行も調べました。しかし、どの旅行もあわただしく名所を巡る旅が中心でした。 語学に自信があるわけではないですが、選んだのは「個人旅行」でした。ネット上に私の旅行計画の希望を書き込み、応札してくれたネットトラベルの個人旅行代理店数社の中から気に入った相手とメールのやりとりで手配を頼みました。 頼んだのは、オーストリア航空の関西空港発着の往復チケット(帰りはザルツブルクからウイーン乗り換えで関空まで)、ウイーン−ザルツブツクの1等鉄道乗車券、ホテル(ウイーン4泊、ザルツブルク2泊)、ウイーン空港−ホテル、ホテル−ザルツブルク空港の送迎(混載)だけでした。 後は、すべてネットで予約しました。 ザルツブルク音楽祭は、HPもしっかりしており、英語のページもありました。ちょっと不安もありましたが申し込むと、すぐに予約受付のメールがきました。しばらくするとクレジットカードからの引き落とし通知があり、チケットも郵送されてきました。あっけないほど簡単でした。 ウイーンでのクランクボーゲンの予約は、もう少し大変でした。HPにはドイツ語の画面しかなく、学生時代の「独和辞書」首っ引きでした。それでもクレジットカードの番号を書き込むにはちょっと不安が残って、ドイツ語が堪能な知人に問い合わせのメールを入れてもらって、予約しました。これも、予約後、チケットが送られてきました。 バッハウ渓谷のツアーはJTB系の代理店ですので、日本語で難なく予約しました。 ザルツカンマーグートのツアーは、JTBのMyBusとは日程があわず、現地の日本語ツアーを予約しました。英語で予約しました。返答のメールがなく、心配になり、メールをいれたところ、予約は受け付けているというメールがきました。 旅行直前に高齢の父親が入院するというハプニングもありましたが、なんとか出発できました。 |
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1日目(8/17) 関西空港−ウイーン | |||
9:24 いよいよ出発。 関西国際空港で出国手続きを済ませ、出発ゲートで離陸を待つ。父親の容体も気になり「本当に行けるのかな」、と心配もあったが、ここまで来てしまえばもう行くしかない。 朝食抜きで家を出てきた。サンドイッチをほおばり、ペットボトルのお茶とおにぎりを買い込む。日本食ともしばしのお別れとなる。 |
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VIE(ウイーン空港)行きのオーストリア航空OS056便のクレーム・タグ | |||
15:09(現地時間=JST+7hr) 時計の針を現地の夏時間にあわせて7時間遅らせる。 オーストリア航空のエアバスA340の機内。一応、席にはディスプレーも付いており、窓際だった。それでも、エコノミー席で12時間はやはりキツい。 |
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15:52 ウイーン空港に降り立つ。入国手続きはいたって簡単。 ところが、荷物を受け取る客はまばら。関空で同じ便に乗り込んだバリトン歌手の三原剛氏らはどこに行ったのかと首をかしげるほど。 |
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16:04 手配してあった「混載」の出迎えは、われわれ二人だけ。しかもベンツだった。感激したが、周りをみると、どのタクシーもみんなベンツ!! しかもパワーウインドーが付いていない!! ぐるぐる 手で窓を開けるなんて、懐かしい。 英語であれこれ説明してくれるが、あまり返答できずに先が思いやられる。 |
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17:32 リンク沿いのホテルで一服後、歩いて10分ほどのケルントナー通りへ。ウイーンの銀座といった趣で、観光客であふれている。 あちこちから大道芸の音楽が聞こえてくる。 |
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17:34 ウイーンの中心にそびえるシュテファン寺院。ここを中心として同心円状にウイーンの街が広がる。 |
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17:35 ゴシック建築の直線の上には、きれいな模様の屋根が。 |
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18:38 ケルントナー通りを10分ほど歩いてくると、リンクと交差する。その角にオペラ座がある。小沢征爾の本拠地である。 モーツァルトの衣装を着たダフ屋が何人もいて、「チケットあります」とにぎやかだ。 |
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18:53 「NORDSEE」という魚料理のチェーン店で夕食。カフェテリア方式なので、現物を見てほしいものを指差すだけすむ。メニューを見なくてもよい。 |
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18:53 通りのいたるとろにテーブルと椅子が並び、コーヒーを楽しむ人、ビールを飲む人がくつろいでいる。 |
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2日目(8/18) ウイーン | |||
6:17 時差ぼけで早く目が覚める。ホテルの目の前にあるStadPark(市立公園)を散歩する。 記念撮影する観光客が途切れることはないというヨハン・シュトラウス像の前も貸し切り状態。 |
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6:17 金色に輝くワルツ王はウイーン一の人気作曲家である。 |
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6:26 こちらはリンツ生まれの作曲家・ブルックナーの像 |
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6:30 シューベルトは純粋のウイーンっ子。像の周りの花の量から人気のほどがよくわかる。 |
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ウイーンには観光名所がいたるところにある。 | |||
6:34 ウイーンの旧市街を取り巻いていた城壁が取り除かれ、リンクと呼ばれる環状道路になった。路面電車が走っている。 |
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6:59 路面電車の料金は1.5ユーロ。左端の自動販売機で買える。しかし、切符を買っている人はほとんどなく、降車時にも切符は見せなくてよい。運転手は運転に専念するだけだ。あれで料金は回収されているのだろうか。不思議なシステムである。 |
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右上は駅の自動販売機で買った1回券で1.5ユーロ。同じものが車内で買うと2ユーロ。 左下は72時間有効で12ユーロ。最初に時間を刻印するとあとは乗り放題。 |
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7:01 初日に行き先を確かめずにとりあえず飛び乗った路面電車は、リンクをはずれて北部のハイリゲンシュタットに向かってしまった。 今回は「Ring−Kai−Ring」と表示された電車で一回りする。20分ほどで、リンク沿いの観光名所を確認できる。 |
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7:10 古い宮殿二つをあわせてホテルにした「Radisson SAS Palis」。1階(日本風に表現すると2階)の左から3番目の窓の部屋に4泊した。 |
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ホテルの領収書。部屋からパソコンをインターネットにつないでいたので、電話料の請求が並んでいる。 |
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8:24 「へへぐるま(シトロエン)」がとまっていた。古い町には古い2CVがよく似合う。 |
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8:38 市内観光はやはり中心にあるシュテファン寺院から。 |
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8:38 高さ137メートルの南塔が青い空に突きささる。 |
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8:51 高い天井。ひんやりとした空気。ゴッシック様式の大聖堂である。 地下のカタコンベにはハプスブルク家の歴代皇帝の内臓が納められている。 |
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8:56 ステンドグラスからカラフルな日が差し込む。 |
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9:00 エレベーターで北塔に上がる。鮮やかな模様のドームの屋根の向こうに南塔がそびえる。 |
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9:01 急勾配の屋根。こんない高いところに、どんな足場を組んで建設したのか。 |
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9:07 足下にウイーンの街が広がる。 シュテファン・プラッツ(広場)に、ひずめの音も軽やかに観光馬車が集合してくる。 |
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9:08 東の方向にプラターの観覧車も見えた。映画「第三の男」の舞台である。 |
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9:17 現在も使われているパイプオルガン。この夜もDomeMusikというオルガン・コンサートが予定されていたが、チケットを購入している他の演奏会とダブってしまった。 |
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9:22 寺院の正面で休憩していると、ツアー客がガイドに案内されて次々と入場していく。そして慌しく他の場所へ。 |
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9:29 寺院の外壁に沿ってふた周りほどして見つけた小さな礼拝所。ここでモーツァルトの葬儀が寂しく行われた。 |
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9:30 1791年12月6日にモーツァルトの葬儀は行われたと記されている。しかし、この記念碑ができたのは1931年のことである。 |
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9:34 シュテファン寺院から裏通りへちょっと入ったところにあるフィガロ・ハウス。モーツァルトがここで「フィガロの結婚」を作曲した。絶頂期のころである。 紅白の旗が下がっているところは、文化財の印。市から補助金が出ている。 |
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入場料は4ユーロ(500円ほど)。まあまあか? |
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9:39 絶筆となった「レクイエム」の自筆譜が展示されている。書き直したところなどないきれいな譜面に感心する。 |
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9:42 ここは観光ルートからはずれているようで、訪れる人は多くない。 |
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9:49 フィガロハウスは2階(こちら風には1階)にある。同じ階段を使用する3階以上には、現在も人が住んでいる。 |
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9:49 フィガロハウスの前で。腹にはパスポートを入れたウエストポーチ、背にはガイドブックなどをいれたデーバッグ姿。 |
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10:05 グラーベン通りに立つペスト記念柱。大流行したペストを制圧した記念に建造された。 |
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10:07 知る人ぞ知る音楽の都の楽譜専門店「ドブリンガー」。建物は改装中で足場が組まれている。有名作品の手書き譜のコピーが「ファクシミリ」の名で売られていた。 |
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10:30 パプスブルグ家の王宮(ホーフブルク)の正面。観光客であふれている。 |
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モーツァルト時代などに使われた古楽器が展示されている古楽器博物館などに入る。もちろん、エリザベート(シシー)の衣装なども飾られている「皇帝の間」にも。 次々に入場券が必要である。 |
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11:20 暑い。ハワイにやってきたのではないかと思うほどのカンカン照り。木陰で休憩する。 |
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12:13 王宮の庭園にある立派なモーツァルト像。前にト音記号をかたどった植え込みがある。 |
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12:42 オペラ座近くのビル地下にある巨大なセルフ・レストラン。とにかくビールがうまい。後でわかったことだが、料金は皿の大きさで決まる。恥も外聞もなく小さな皿に山盛りにしている人もいた。 |
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ハプスブルク家の夏の離宮・シェーンブルン宮殿の絵はがき。 |
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13:55 地下鉄に乗って郊外のシェーンブン宮殿に。夜に開かれるウイーン少年合唱団の演奏会の舞台ができている。 |
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14:01 少年モーツァルトが少女のマリー・アントワネットに求婚したという部屋もあるそうだが、宮殿内部の観光はパスした。 はるかかなたのグロリエッタに向けて炎天下を歩く。 |
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14:12 シェーンブルン宮殿は外壁を改修中。自慢のマリア・テレジア・イエローは一部にのぞいているだけ。 |
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14:19 グロリエッタに向かう木陰の小道には、リスの姿が。餌をもらえるのかと近づいてくる。 |
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14:26 グロリエッタからみたシェーンブルン宮殿。背後にウイーンの街が広がる。 |
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14:36 グロリエッタ内部のカフェーに入る。クーラーがないのに窓は閉まったまま。蒸し風呂のようである。 |
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14:36 最高に暑い一日。 この後、来た道を引き返すのもしゃくで、違う門から出る。やってきたバスの「Zentral(中央)」という行き先表示を見て、どこかの中心に行くと信じて乗り込むと、これがとんでもない郊外だった。 |
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19:16 ホテルから歩いてコンツェルトハウスに向かう途中にベートーベン像があった。 「楽聖」もモーツァルトほどには厚遇されていないようである。 |
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19:19 ウイーン交響楽団の本拠地・コンツェルトハウス。1913年に建てられたもので、外観には世紀末建築の名残が。 |
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インターネットで予約したチケット。ドイツ語の画面しかなく、木野氏に問い合わせのメールをいれてもらうなど、お世話になった。 |
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22:04 ブッフビンダーの弾き振りによるモーツァルトのピアノ協奏曲3曲。ピアノの音がよく音が響くのにびっくり。腕も良いのだろうが、ホールや湿度も影響しているのだろう。 でも、ピアノ協奏曲ばかり3曲も続くと、一日動き回った旅の疲れも出てさすがに眠たくなる。 |
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3日目(8/19) バッハウ渓谷ツアー | |||
8:45 バッハウ渓谷の1日ツアーに参加する。集合時間まで間があるので、近くにあるウイーン・フィルの本拠地・ムジークフェライン(楽友協会)へ。 |
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9:45 「Gesellschaft die Musikfreunde」と刻まれた立派な建物。ああ、やはり入ってみたかった! |
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9:13 こちらはオペラ座の裏側通路。立見席の入り口がある。 |
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9:14 楽屋の入り口から内部をのぞく。 |
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110:07 MyBus(JTB系)の現地ツアー、バッハウ渓谷1日ツアーに参加する。大型バスで1時間ほど走り、メルク修道院へ。 |
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11:08 11世紀に創設されたベネディクト派のメルク修道院は、観光客も多く、ブドウ畑などからの収入もあり、財政的には豊かだという。 |
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11:11 抜けるような青い空が美しい。 |
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11:12 こんなところに絵が描かれている。 一緒になった3歳の女の子は、彫刻を見るたびに怖いといって泣き出す。 |
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11:55 この天井はだまし絵になっている。 |
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11:55 箱庭のようなきれいな町が広がる。そしてドナウと緑の木々。 |
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11:59 |
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12:01 図書室は、9世紀からの写本を含む約10万冊の蔵書をもつ。 |
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13:14 昼食の後、修道院の庭を散歩する。 |
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13:16 |
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13:39 ドナウ下りの船に乗り込む。 |
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13:57 外人観光客は喜んで日を浴びている。 |
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14:00 日差しが強く、サングラスは必需品。 |
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14:12 古城が次々に現れる。 |
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14:28 |
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14:30 高台の城は、ドナウを行き来する船を監視していたのだろう。 |
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15:13 デュルシュタインの聖堂参事会修道院教会とドナウ川の観光船 |
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15:26 城門をくぐりデュルシュタインの古い町へ。 |
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15:30 ハウプト通りには、しゃれたレストランやかわいいお店が並んでいる。 |
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15:33 ドナウ川を見下ろす。 |
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15:36 民家の玄関にワラ細工が並ぶ。おみやげに欲しかったが。 |
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15:41 ブドウ畑が広がる。その向こうにドナウが流れる。バッハウ渓谷はワインの産地である。 |
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19:09 ウイーン市内のアンカー時計。時間がくると、文字盤が開き、人形が踊るらしいが、見ることはできなかった。 |
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19:32 夕食は、やはりウイーン名物のシュニツェルを。 |
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19:48 薄く延ばした子牛の肉にパン粉をつけて揚げたカツレツ「ウイナーシュニッツェル」。皿からはみだしている。下味がついており、レモンを絞るだけ。カリッツとしていておいしいが、2人で1枚が食べ切れなかった。横の席の小柄なおばさんは、ペロリと1枚を平らげていたが。 |
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20:28 シュニツェルで有名なフィグルミューラーのベーカー・シュトラッセ店。あらかじめメールで予約を入れておいたが、その必要はなかったようだ。 |
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レストランの領収書。 | |||
20:56 ライトに照らされた夜のオペラ座。 リンクの路面電車は遅くまで走っている。乗り放題の気安さから、2駅先のホテルまで、何回も利用した。 |
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4日目(8/20) ウイーン | |||
8:22 ホテルから3分ほどのところにある地下鉄のシュタッド・プラッツ駅。車と同じで、列車の進行方向が逆だ。 |
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8:37 ウイーン市民の台所、ナッシュマルクトを散歩する。野菜が豊富である。何よりも色がきれい。 |
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8:41 真っ赤に熟したトマト。ツルでつながったままである。 |
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8:51 大きなスイカ。果物の種類は日本とあまり変わりない。 |
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8:53 ワインの量り売り。下の箱に積まれている瓶を取り出し、欲しいものを欲しいだけ入れる。 |
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8:54 ヒマワリの花も並ぶ。一面のヒマワリ畑もあった。実を食べたり、油を絞ったりするのだろう。 |
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9:01 屋根の上にタマネギが載ったような分離派会館。1898年に完成した分離派の活動拠点で、地下にはクリムトの壁画「ベートーベン・フリーズ」がある。 残念ながら、まだ開館していなかった。 |
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9:27 路面電車のスッドバーンホフ(南駅)行きに乗ってベルベレーデ宮殿の上宮へ。 |
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9:28 広い庭も手入れが行き届いている。 |
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19・20世紀絵画館(Oberes Belvedere)のチケット。 |
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9:44 絵画館が開くのを待つ。クリムトの有名な「接吻」など分離派の作品が展示されている。 |
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10:57 路面電車でホーフブルクに戻る。リンクの外側にある美術史博物館。自然史博物館向かい合っているが、ここは素通りする。ルーブルとならぶ美術品の宝庫だが、みんな回ってたのでは時間が足りない。 |
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10:58 ハプスブルク家全盛時代の女帝、マリア・テレジアの像。身長は150センチ台だが、体重は100キロほどあったという。 |
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11:28 地下鉄でウイーン西駅へ。ザルツブルクに行く日には早朝に利用するので、ちょと下見しておく。なんてこともない駅である。 |
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11:58 昼食を兼ねてマリア・ヒルファー通りのカフェでちょっとひと休み。ザッハー・トルテは甘かった。 |
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12:19 カフェの名前は「リッター」。ガイドブック推薦の店はすぐに見つかった。 |
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16:15 ホテルでひと休みしたあと、地下鉄と路面電車を乗り継いで中央墓地へ。ここの並木道が「第3の男」の最後の場面の舞台になっているそうである。わたしは映画を見ていない。 |
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16:21 音楽家の墓地が大集合している。 |
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16:23 ベートーベンの墓は正面左手。 |
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16:23 正面中央はモーツァルトの記念碑。墓は別の場所にある。 |
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16:23 正面右手はシューベルト。これが御三家というわけである。 |
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16:24 花が捧げられている。 |
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16:24 ブラアームスはどうしたことか頭をかいている(?) |
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16:24 ヨハン・シュトラウス2世。 |
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16:25 「軽騎兵」などの行進曲を作曲したスッペ。 |
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16:26 ヴォルフってだれだったか? |
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16:28 ヨーゼフ・シュトラウス。 |
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16:28 ヨハン・シュトラウス・ファーター。 |
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16:30 32区画というのが、芸術家集団の墓地になっている。 |
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18:58 脂っこい料理にもちょっと飽きたので、日本料理店「天満屋」に。肉じゃがにおにぎりと味噌汁のセットがおいしかった。 もちろん客も店員も全員、日本語で。 |
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21:49 Wiener ORPHEUS Orchester の演奏によるモーツァルトの小曲。それにアリアも。 |
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21:57 狭いフロアーでダンスまで。 |
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22:06 6歳の神童・モーツァルトが演奏会を開いたパルフィー宮殿。フィガロ・ザールと名づけられた同じ部屋で演奏会が行われた。 |
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5日目(8/21) ウイーン−ザルツブルク−ザルツカンマーグート・ツアー | |||
7:11 目覚まし時計が鳴らず、起きてみると6時15分。あわてて準備し、30分にはホテルで朝食。すぐにチェックアウトして、タクシーでウイーン西駅へ。 あまりの手際のよさに、列車の発車まで1時間近くもある。 |
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ウイーン−ザルツブルクのウイーン国鉄乗車券と1等指定席券。 |
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7:11 西駅の出発案内。ミュンヘン行きなどの国際列車が発着する。 |
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7:13 予約したミュンヘン行き特急「EC68」には「モーツァルト号」の愛称がついている。 |
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7:23 ホームにいてもアナウンスはない。静かに入ってきた列車が、定刻には静かに発車してゆく。 |
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9:01 食堂車でコーヒーを飲む。ミルクが2つもついてくる。 |
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10:07 1等を奮発したので広々としたコンパートメントである。6人掛けだが、ザルツブルクまではだれも乗ってこなかった。 |
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11:01 ウイーンからリンツを経由して3時間。ザルツブルクに着いた。 |
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11:02 ザルツブルクのホームは観光客であふれている。 |
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13:04 ホテルに荷物を預け、日本語メニューがあったレストランで昼飯。ミラベル庭園は、あいにく雨が降っている。 この階段と門は「ドレミの歌」の最後のシーンで登場する。 |
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13:07 ミラベル庭園の向こうの山上にホーエンザルツブルク城が霞んでいる。 |
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13:10 ここは映画「サウンド・オブ・ミュージック」でマリア先生が子どもたちと「ドレミの歌」を歌う場面で登場する。 |
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13:13 ミラベル・ブルンネン(ミラベルの泉)。 |
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13:15 すれ違う観光客はアジア系も多い。韓国人、中国人の方が目に付く。 この2つの像も「ドレミの歌」に登場している。 |
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13:19 モーツァルテーム(音楽院)の正門。だれでも簡単に入れる?? |
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13:23 教室から練習に励むソプラノが聞こえてくる。 |
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13:29 玄関の寄付者プレートには、アスキー創業者の西和彦夫妻の金文字が。 |
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13:33 「へへ印」の前にかわいいぬいぐるみ。 |
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13:45 ミラベル宮殿。中央の窓から大司教の愛人、サロメと思われる肖像画が見える。 |
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13:45 ザンクト・アンドレー協会。ここの左手がツアーの集合場所になっている。 |
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14:23 現地ツアー会社のザルツカンマーグート日本語半日観光ツアーに加わる。 |
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14:23 ザルツカンマーグート地方には大小の湖がある。 |
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14:24 |
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14:41 ザンクト・ギルゲンの町。正面は市庁舎。 |
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14:41 市庁舎前に立つモーツァルトの像。バイオリンを弾いている。 |
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14:43 「カフェ・ナンネル」。ナンネルはモーツァルトの姉の名前である。 |
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14:46 モーツァルトの母親と姉のナンネルのレリーフ。 |
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14:50 モーツァルトの母親が生まれた家。 |
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ヴォルフガング湖の遊覧船のチケット。 | |||
14:59 観光船に乗り込み、ザンクト・ヴォルフガンクまで行く。 |
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15:36 ヴォフルガンク湖を観光船が進む。水上スキーを楽しむ人もいる。湖岸にには立派お屋敷が。 |
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15:46 |
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15:48 ザンクト・ヴォルフガングが近づく。 左手の山がシャーフベルク。映画「サウンド・オブミュージジック」にも出てくる蒸気機関車のシャーフベルク登山鉄道で登る。 |
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15:58 ザンクト・ヴォルフガングの路地。といいてもこれが中央通り。 |
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16:01 ここも観光客であふれている。 |
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16:02 ベナツキーのオペレッタの「白馬亭にて」で有名な、といわれても知らないが・・・。ホテル・イム・ヴァイセン・レッスル。 |
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17:05 「竜の顔」に見えるとガイド氏。 |
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17:09 モントゼーの教会は18世紀のバロック様式。 |
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17:10 映画「サウンド・オブ・ミュージック」でマリアとトラップ大佐が結婚式をあげるシーンに登場する。 |
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17:17 立派な祭壇があるが、内部は意外と狭かった。 この祭壇の前でマリアとトラップ大佐の挙式が行われる。 |
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6日目(8/22) ザルツブルク | |||
7:01 「カーン、カーン」と教会の鐘があちこちから鳴り響く。 |
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7:04 モーツァルトがウイーンに旅立つまで住んだアパートが残っている。 |
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7:05 建物内部はモーツァルト関連の記念館になっている。 |
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7:07 ザルツァハー川沿いにある カラヤンが生まれた家。 |
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7:08 ヘルベルト・フォン・カラヤンは4年後には生誕100年になる。ザルツブルク音楽祭もにぎやかになるだろう。またやってきたい。 |
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7:08 庭には指揮棒を振るカラヤンの像が立っている。 |
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7:23 ザルツブルクの目抜き通り、ゲトライデ・ガッセには、意匠をこらした看板が続いている。わたしはずっと上を向いて歩き、奥さま屋さん、たぶん! |
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7:23 こちらはブーツ屋? |
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7:25 ここはビアガーデンのシュテルンブロイ。 |
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7:26 ここは鍵屋でしょうか。 下はアートのガラス屋。 |
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7:26 「NORDSEE」は、ウイーンで最初の夜にお世話になった魚料理のチェーンショップ。あちこちにあるが、ここのは看板もしゃれている。 |
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7:27 どかで見たような「M」だと思ったら、やはりマクドナルドである。 |
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7:27 これは洋品店。 |
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7:28 装飾品が素晴らしいブランドである。 |
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7:30 モーツァルトが生まれた家。内部は博物館になっている。 |
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7:31 ここの4階でモーツァルトは生まれた。 |
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7:31 1756年1月27日に、モーツァルトはここで生まれた。 |
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7:38 卵で作ったクリスマス飾り。年中、売っている。 |
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7:42 ここはクリスマス用品店。 |
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7:46 モーツァルト広場に立つモーツァルト。 |
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7:46 レジデンス。司祭の館である。 |
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10:09 岩をくりぬいた祝祭劇場のホール・フェルゼンライトシューレ。 映画「サウンド・オブ・ミュージック」のコンテスト場面で使用された。 |
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10:11 あこがれのザルツブルク音楽祭祝祭劇場の正面。 |
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ジョルジュ・プルートル指揮、ウイーンフィルハーモニーの演奏会パンフレット |
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インターネットで購入したチケットは110ユーロ。この演奏会にあわせて旅の日程を組んだ。 ザルツブルクのバスなど交通機関の1日乗り放題券が6枚もついてきた。 |
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10:13 みやげ物店の看板。なんでも珍しい。 |
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10:24 だんだんと入場客が集まってくる。 |
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10:25 2階の窓から見下ろす。劇場前の道路がロビーである。 |
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10:38 豪華に装ったひとが多い。たいていが夫婦連れである。 正面にホーエンザルツブルク城。 |
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10:43 天気も回復して、気持ちがよい。 |
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10:45 わたしもきょうはネクタイ着用。 |
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11:29 タンホイザー序曲が終わった。拍手の渦のなか、シャッターを押す。この瞬間だけは、カメラ撮影が黙認されている。 |
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11:29 みんな立ち上がっての拍手の渦である。 |
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11:38 白ワインを飲む。大勢の列に混じってワインを注文、支払いを済ませるくらいには慣れた。 |
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11:39 休憩時間も長く、ロビーはゆったりとしている。 |
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11:39 ワインを片手に満足の表情。これをやってみたかった。 |
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11:45 2300人も収容する大きなホールである。 |
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12:51 弦が限りなく美しい。抑制の効いた管もさすが。ベルリオーズの「幻想交響曲」に固唾をのんだ。 |
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翌日の地元紙には演奏家の記事が掲載されている。 |
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13:08 ホールの前に新車発表会のようにズラリと並んだアウディ。スポンサーが招待客のために準備したものらしい。 |
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14:03 ホテルに戻って着替え、もう一度町へ出る。 ミラベル庭園のペガサスの噴水。 |
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14:05 天候が回復して、ミラベル庭園が一段と美しい。 |
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14:06 ホーエンザルツブルク城がはっきりと見える。 |
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14:08 |
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14:15 ザルツァッハー川にかかるモーツァルト・スティック(小橋)の上から旧市街を眺める。 |
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4:16 ザルツァッハー川巡りの船が停まる。 川辺には屋台の列ができている。 |
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14:26 「昼食は簡単でいい」と、日本でもあまりはいることがないマクドナルドへ。さすが、メニューは世界統一規格である。 |
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14:29 ハンバーガーは紙に包んでくれる日本とは違って紙箱に入っていたが、味は同じ。 |
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14:47 ゲトライデ・ガッセに観光客があふれる。 |
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15:03 ケーブルカーでホーエンザルツブルク城に上がる。 |
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15:06 ホーエン・ザルツブルク城から見下ろす。手前が旧市街。ザルツァッハー川の向こうにミラベル宮殿が。 |
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15:11 中央は大聖堂(ドーム)。 |
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15:11 「ここから写真を撮れば最高です」と、ツアー客を案内している日本語ガイドの説明が聞こえる。その教えに従ったらこの通り。 |
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15:13 大砲が城壁から街を見下ろしている。 |
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15:20 赤い塔がノンベルク修道院。「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアが育ったところである。 |
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15:36 ノンベルク修道院までやってくる人は少ない。「サウンド・オブ・ミュージック」はジュリー・アンドリュース主演の米国映画で、ヨーロッパではあまり馴染みがないためかもしれない。 |
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15:39 ノンベルク修道院の聖堂。 映画も尼僧院のシーンはにここで撮影されている。 |
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15:42 ローソクを献灯する。 |
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16:02 こちらは、「サウンド・オブ・ミュージック」でゲシュタポに追われるトラップ一家が隠れるザンクト・ペーター教会の墓地。 実際には墓石の後ろに隠れるほどのスペースはない。映画はセットで撮影されたのだろう。 |
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16:03 花で飾られた墓地。 背後にカタコンベの入り口が見える。 |
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16:09 岩山をくりぬいたカタコンベの窓から見るグロッケンシュピール(鐘楼)。 |
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16:14 まだ大聖堂にも入っていないが、「ちょっと疲れた。パスしようか」。 |
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16:53 フェルゼンライトシューレはメンヒスベルク山の岩壁をくりぬいて造られている。このわきのカフェーでひと休みする。 |
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20:23 さすがに疲れて、前日と同じだがホテルのレストランですませる。「わかりきったものを食べよう」と注文したウインナーソーセージはトグロを巻いている。ジャガイモは合格だが、ザウワークラウトは酸っぱいこと。 |
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7日目(8/23) ザルツブルク−ウイーン−(関西空港) | |||
8:02 最後の朝になった。 朝食はどちらのホテルもアメリカンスタイルで、ジュース、コーヒーにパン、野菜、ベーコン、ハム、チーズに卵と食べ放題。おいしかった。 |
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8:02 仕上げにケーキを食べる。 |
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08:02 ビール会社直営のホテル・レストランで庭はビアガーデンになっている。天気がよければ、ここで食事ができたのに。 |
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8:09 ホテル・スティーグルブロイ。 ここの看板もしゃれている。 |
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8:11 ウイーンのホテルよりは1ランク下だったが、まあ満足。 |
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8:34 時間があるので、ホテルの周りを散歩する。 真っ赤な2CVがかわいい。 |
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8:35 初めて見たピカソ。わがクサラのバリエーションである。側面は4枚窓。これもかわいい。 |
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8:36 こちらはZX。 ベンツやワーゲン、オペルといったドイツ車ほどではないが、フランス車も結構走っている。プジョー、ルノーには数で負けるが、シトロエンもそこそこに。 |
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8:36 C3も街の雰囲気にぴったり調和して小粋である。 |
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8:44 BXも健在。これも赤というのが憎い。 |
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9:01 あっという間の1週間だった。 |
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10:46 旅は終わろうとしている。2晩お世話になったホテルで荷物をまとめる。 ザルツブルク音楽祭の開催中はハイシーズンで、ウイーンより部屋は狭いのに、料金は高かった。 |
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11:04 ザルツブルクのモーツァルト空港で搭乗機を待つ。客はまばら。 この街では、あちこちで「モーツァルト」に出会った。 |
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11:47 ウイーン行きだから幹線かと思っていたら、チロリアン航空機(オーストリア航空の子会社)はなんとプロペラ機。 こんな小さな飛行機でも、前から数列はビジネスクラスで、食事が出ていた。シートは同じだったが。 |
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11:47 のんびりとした搭乗風景。 |
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11:50 5段ほどのタラップを上る。 右肩のバッグには、免税品のおみやげが。 |
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ザルツブルク−ウイーン−関西空港のチケット。 | |||
12:04 ザルツブルク上空から見納め。 中央上に見える小山のから手前に町が広がっている。中央に流れるのははザルツァッハー川。 |
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12:05 Aufwiedersehn! |
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使い残したユーロ紙幣1枚とコイン。 コインは次回、空港でのチップに使うことにしよう。といっても、いつのことだかわからないが…。 |