革堂図子あたり、図子づくし   2005/11/19
 「革堂図子(こうどうずし)」を訪ねるのが目的でした。
 革堂は、正式には行願寺(ぎょうがんじ=西国33所札所)といい、豊臣秀吉による都市改造で現在地の寺町丸太町下るにいてんするまで、このあたりに広大な寺域があったそうです。
 上京区の一条通上る、小川通から油小路(あぶらのこうじ)通までが目指す図子です。
 油小路通を今出川から下ってくると、「革堂西町」の消火箱に出会いました。このあたりのはずです。
 地図から推察するに、この通りでしょう。といってもどこにもそんな表示はありません。
 おまけに、車を洗っていた男性に聞くと「ここは革堂西町で、あっちが革堂町ですが、革堂なに、ずし?」。これでは、かつての白梅図子と同じです。
 一本、はずれると「西無車小路町」とい表示を見つけました。かわった字を書くんだなあと感心!!
 「上京区武者小路通小川東入無車小路町」。こちらはごていねいに「無車」の部分は白いペンキを塗って修正されています。
 次の立派な家です。表札を見ると「官休庵」とあります。茶道の武者小路千家家元です。
 家元の千宗守さんには、かつて原稿を書いてもらったことがあります。

 官休庵の2軒先を左(北に)へ曲がると、細い路地になってます。
 「常盤井図子町自治会会長」という札がかかってます。
 ということは、ここがその図子ということでしょう。
 先の通りを左折、そして10メートルほど進んでT字路をを右折して出てきたのは元誓願寺通です。その先に「狩野元信旧邸」の石碑が唐突に立ってました。
 歩いてきた道を振り返ると、ここは「元図子町」でした。元とはいかに? 今は何なんでしょうか。
 「大峰寺址」です。平安時代には大峰寺があったそうです。説明に最後には「この付近は、現在大峰図子と呼ばれ…」とあります。またも図子に出会いました。
 ここが大峰図子です。紅殻格子の家も残ってます。