京都・下鴨の実家に行きました。ちょうど昼になるので、大丸で弁当を買いました。嵐山の料亭「錦」が錦味ブランドで売っている錦弁当(1260円)です。京都らしくちまちまとした取り合わせですが、おいしかったです。
熊魚庵の「光悦」
このページのサブタイトルは「きょうの昼飯」ですが、「京の昼飯」を作ってもいいような。
熊魚庵、これで「ゆうぎょあん」と読みます。まず読めません。
熊魚庵たん熊北店で一番簡単な昼食コース「光悦」(2730円)をいただきました。
前菜のなすびの和え物、イクラなどが柿の葉に載った冷やし物、造りは鯖と白身の魚でした。
次はつくねのあんかけと、松茸などの焼き物です。
鯛のあら煮が出てきました。好物です。
仕上げは鮭の粉がのったご飯と漬け物です。ちょっとタイミングがずれたみそ汁は写ってません。
最後は、グレープフルーツをゼリーにしたものでした。
京都・烏丸丸太町(カラスがまるまると太った町、ではありません)の角にある京都烏丸ホテルハーベストの地下にあります。
「銀平道頓堀店」の焼き魚定食
久しぶりの外食です。ちょっと遠出しました。
道頓堀(といっても御堂筋より西側です)の魚匠銀平の道頓堀店です。北新地店には何度も行ったことがあったので、一度、行って見たかったのです。ところが、地下にある店に入って思い出しました。ここ、来たことがある。以前に何回か飲みに来たことがありました。それが銀平とが結びついていませんでした。
「紀州でとれた新鮮な魚」がウリの店です。定食はそのボリュームに圧倒されます。きょう食べた焼き魚は鮭でしたが、焼きたての身の大きいこと。自家製豆腐にジャガイモバター、昆布に椎茸煮、それにおかわり自由のご飯とみそ汁です。これで1000円です。
北新地店の昼の定食は、大きな椀に入ってくる実だくさんの汁と、食べ放題のおいしい漬け物が自慢でした。そのかわり別皿はありませんでした。構成はちょっとちがいましたが、大満腹です。
南天の実 鷹峯光悦寺
鷹峯光悦寺の門前です。南天の実が真っ赤になってます。でも紅葉はまだまだ先のようです。
この秋は、休みになると雨模様でした。きょうは久しぶりによい天気です。「京都一周トレイル」の6回目、京都北山西部②で鷹峯から沢ノ池、高尾、清滝のコースを歩いてきました。
これでゴールのつもりでしたが、さらにコースは清滝から保津峡、鳥居本、嵯峨野、嵐山、苔寺と続く「西山コース」ができていました。もう一度、楽しみが増えました。最後は、紅葉したころに行こうと思います。
今回もコースにそった写真は、HPに掲載しました。よろしければ下記のURLをお訪ねください。
http://dot117.minibird.jp/HP/miyako/miyako006.html
京都一周トレイル 北山西部 その2
北山西部②
鷹峯源光庵前バス停-千束-坂尻-上ノ水峠-沢ノ池-槙尾-高尾-清滝
総歩数=21,121
鷹峯(たかがみね)光悦寺。門前の南天の実が真っ赤になっている。しかし、紅葉はまだ先のことだ。
阪急烏丸から地下鉄で北大路へ、そこから市バス「玄沢」行きに乗り鷹峯源光庵前で下車した。
前回は京見峠から下ってきた。ところが、京見峠-上ノ水峠間は、9/25~11/10は入山禁止になっている。松茸のシーズンだからだ。今回は、迂回路としてまっすぐ上ノ水峠を目指す。
すぐにマイナス21度の急坂を下る。
千束で出会った三体の地蔵仏。「愛宕大権現」の石碑が立つ。
北山杉のトンネルを行く。空気がひんやりしている。
上ノ水峠まで登ってきた。
「北山76」のトレイル案内板があった。京見峠は「68」だったので、残念ながら69~75はカットというこになった。
遠くに比叡山が霞む。
岩肌に二体の地蔵がまつられていた。
沢ノ池は、江戸時代に作られたため池だ。
山の中にある静かな池のはずなのに、あほなキャンパーが大音量で音楽を流していた。たまらず、休憩もせずに退散する。
北山杉がまっすぐに伸びている。
川端康成の「古都」で「杉の里」として描かれた小野郷あたりも遠くはない。
国道162号の栂尾(とがのお)のちょっと下流に降りてきた。まだ紅葉には早いが観光客の車が止まっている。
槙尾(まきのお)の西明寺に下る道には案内板のオンパレード。京都一周トレイル、東海自然歩道、丹波散策の道とにぎやかだ。
槙尾西明寺の門前。わずかに紅葉したもみじが。
高尾神護寺の門前。
川床の茶店は、まだまだ開店休業状態だ。
清滝への道を下る。
本日、初めての休憩をとり、コンビニで買ってきたおにぎりをほおばる。
これが真っ赤に紅葉するのは12月になってからか?
ゴール!!
清滝までやってきた。「北山94」の案内板があった。私が参考にした「Walkウォーク関西版」(2003/04秋冬号、2003年10月発行)では、ここで「永く楽しかった旅も終わった」となっている。
ところが、案内板にはさらに矢印がつづき「西1」の表記が。今年春になって、清滝から保津峡-鳥居本-嵯峨野-嵐山-松尾山-苔寺と続く「西山コース」ができていたのだ。
金鈴橋から「終点」の案内板を振り返る。
愛宕神社の参道。ここから愛宕山に登るが、かなり苦しい道だ。
清滝川にそって西山コースがスタートする。
まだ時間があったが、せっかくの道だから、紅葉したらまたやってこようと、次の機会に残す。
清滝のバス停に着くと、ちょっと前にバスは出たばかり。
「清滝遂道」を歩いてみる。戦前、嵯峨から清滝まで鉄道が走り、愛宕山にはケーブルカーが登っていたそうだ。このトンネルは鉄道の線路が走っていた名残だ。信号があるのも「納得できる。
小学生のころ、このトンネルを歩いた覚えがある。もっと怖かったような気がする。
本日はここまで。
愛宕寺の前で臨時バスの乗り、京福嵐山へ。観光客の間をすり抜けて渡月橋を渡り阪急嵐山へ向かった。
紋屋図子と西陣あたり
紋屋図子と西陣あたりを歩きました。
今回は写真が多かったので、HPの方に掲載しました。よろしければ、以下のURLにお越しください。
http://dot117.minibird.jp/HP/zusi/monya-zusi.htm
西陣ほんやら洞のランチ
京都の紋屋図子と西陣あたりを歩きました。
「ビールあります」ののれんに吸い込まれるようにして入った「西陣ほんやら洞」です。
民家を改造したらしく、細長い店の奥には坪庭の名残のような庭もあります。
「きょうのランチ」のビーフシチューは売り切れており、ハンバーグに変更されてしまいました。昨日に続いてのハンバーグになってしまいました。
黒いソースがかかったおおきなハンバーグです。野菜もたっぷりです。パンはこの店での焼きたてです。おいしいです。
大根のみそ汁はちょっとミスマッチとなってしまいました。
食後には飲み物までついて、これで780円とは立派なモノです。
焼きたてのパンを売ってます。コレを買いに入ってくる客も結構いました。
「ほんやら洞」は同志社大の横にある、学生街の穴蔵のような喫茶店でした。その店はいまもありますが、マスターが別に「西陣ほんやら洞」として作ったようです。
重亭のミニハンバーグ盛り合わせ
久しぶりにカメラをポケットに会社を出ました。今週は、弁当3回と社食ですませてました。さて、どこに行くか?
わたしのが頭の中にリストアップしている「きょうの昼飯候補」から選んだのは「重亭」。ここは、産経新聞が夕刊(9月7日発行)で大きく紹介していました。「創業60年 変わらぬ味 大勢の芸人に愛され」と。そのうち行こうと思っていたところです。
肉の塊からミンチにして、客の注文を聞いてから焼いてくれるハンバーグや、オムライスが名物のようです。でも頼んだのは「ミニハンバーグ盛り合わせ」とライス(計1000円)です。なるほで、小ぶりですが柔らかくてジューシーなハンバーグでした。ソースもおいしく、懐かしい味でした。
「京都検定」で京都を楽しむ
京都検定の問題集があります。「京都1000問ドリル」(京都おおきに学会編、講談社、952円)。
正解率601問以上 「たいへんよくできました」
正解率401問から600問 「よくできました」
正解率400問以下 「もうすこししっかりやりなさい」
いや、難しい。テーマによってはほとんどできません。この本は、丸善京都河原町店の最後日に買いました。毎朝、通勤の車中でシャープペンシル片手に試しながら読みました。
「あるく京都」(移動教室出版事業局、743円)は、梅田の紀伊国屋で探しました。「膏薬図子」とかがどこにあるのかを地図で確かたかったからです。いろんな地図がありましたが、これが、目的にあってました。
「京都の不思議」(黒田正子著、光村推古書院、1700円は)は、京都のことをネットで検索してると、よくヒットするのでタイトルは知ってました。きょう、京都の書店で平積みになっているのを見つけて買いました。初めて聞いた出版社です。
「清水の舞台から飛び降りた人は本当にいる?」といったテーマを並べた京都雑学エッセイです。
こんなのを読んでると、次の休みはどこに行こうかと、京都が新鮮に見えてきます。
天使突抜通を突き抜ける
「天使突抜通(てんしつきぬけどおり)」。なんとすばらしいネーミングでしょう。そんな名の通りが京都・下京区の西洞院通と油小路通(あぶらのこうじ)の間にあります。
東中筋通を下りました。松原通の交差点は天神前町です。そこからさらに行って振り返ると、ありました。「下京区東中筋通松原下る天使突抜1丁目」の町名表示です。
「天使突抜通一丁目」はここです。最近では、通崎睦美さんの本のタイトルで有名です。京都市立芸大卒のマリンバ奏者で、アンティーク着物のコレクターであり、その着物の着こなしで話題になっています。生まれがここで、住宅地図にも同じ姓の家が載っています。
大学の後輩の娘が「通崎好み」という本を持っていたので、ちょっと斜め読みしたことがあります。
消火器の箱です。でも、こんな省略の仕方は天六、谷九、日本一の大阪だけかと思ってました。
立派な門柱の礎石が残ってます。金属のアーチには、電球が付いていた痕もあります。路地を入ってみましたが、変わったモノはありませんでした。それにしてもいわくがありそうです。
住宅が取り壊されたあとは、とりあえずタイムパーキングに、という都心の風景です。それにしても「てんしつきぬけ」かと関心していると、次に見つけたのはそのものズバリ「天使ガレージ」です。ちょっとくたびれた看板ですが、降参です。
天使突抜通は五条通を越えて六条通まで続いてました。
ここまで来ましたが、残念ながら名前以上の景観にはお目にかかれませんでした。
天使突抜通の名は、この五条天神からきています。松原通西洞院の南西角にあります。ちなみに昔の五条通は、現在の松原通だそうです。
「五條天神由来」によると、桓武天皇が京都に都を定めたとき、都の平安を守るために、大和の国宇陀郡から天神(てんしん)を迎え「天使の宮」として建立した神社だそうです。当時、洛中では最も古い神社で、最大の鎮守の森を有していたそうです。
この「天使の宮」を貫通してできた道だから「天使突抜」というわけです。「天使」といってもエンジェルの天使とは関係なかったようです。
五條天神は義経と弁慶が出会った場所とも言い伝えられています。「京の五条の橋の上…」という童謡の橋は、現在の鴨川の五条大橋(石碑があります)ではなく、当時は五条天神の東側を流れていた西洞院川にかかっていた橋のことです-と由来は説明しています。