茎ブロッコリーがあったので、アンチョビで炒めてパスタにしました。
アンチョビの塩気でブロッコリーの甘みが引き立ちます。
150グラムほどの、ちょっと多めのパスタでしたが、ペロリでした。
パルミジャーノ・レジャーノを削って振りかけました。
「マッシモさん」となってます。でもイタリア料理の巨匠、マッシモ・ボットゥーラさんの画像をネットで調べると、イラストとはちょっと違う人のようです。
チーズの原産国はイタリアですが、箕面で加工されています。
ニンニク、タマネギも刻んで入れてます。
京都を歩いた後は、立ち飲みスタンドで昼飯に一杯というのも定番になってきました。
きょうは四条大宮です。四条通を歩いたときに気になていた「立ち呑み 庶民」です。庶民って、いいですね。寅さんも並んで飲んでいたりして。
あては「ねぎとろ巻き」です。多くの客が頼んでいて、この店の一番人気のようです。うまいです。食べ応えもあって、この一品は外せないというのがわかります。
とえあえずの生中です。
カウンターに並んでいた牛すじ煮込みです。「それ、ちょうだい」と頼むと、レンジでチンしてくれました。
酢かきです。頼んでから、生で大丈夫かなとちょっと気になりました。Januaryだから大丈夫でしょう。
ツルリとうまかったです。
湯豆腐も出てきました。ハイボールもすすみます。
揚げウインナーです。
たった100円という値札につられて頼んでコロッケは、ソースをたっぷりとかけていただきました。
カロリー・オーバーです。ああ、満腹です。
昼間から混んでました。ありえないほどの庶民価格が、なによりの魅力です。隣があいた瞬間にカメラを向けました。
この店が創業店ですが、大阪駅前ビルの第1、2、3ビルや京橋などにも出店しています。
立ち呑み 庶民 四条大宮店
京都市下京区四条大宮町18-6
きょうも京都を歩いてきまいた。シリーズ化した4回目です。
羅城門から平安京のメーンストリート朱雀大路(現在の千本通)を上り大極殿、内裏(だいり)を巡りました。源氏物語、そしてNHKの大河ドラマ「光る君へ」の舞台です。
とはいえ、当時の華やかな都をしのばせるような建造物などはなく、ただただここがその地だったことを記す石碑と案内板だけでした。
京都を歩いた後は、立ち飲み屋で昼飯兼一杯というパターンが定例化しつつあります。
京都駅まで10キロほど歩いてきて、腹減った、ノド乾いた。で、駅前の立ち飲み居酒屋「いなせや」です。
とりあえずビールのあとに頼んだ揚げ出し豆腐です。熱々をほおばりました。
最初は、すぐにできるものと頼んだナスの煮物です。
アサリの酒蒸しです。アサリは少ないですが、出汁がこれはうまい。許します。
つくねと生ピーマンです。
角ハイボールも追加しました。トップの画像とはグラスが変わっています。
パリパリとピーマンをかじりました。ピーマン好きにはこれが一番うまかったです。調理している人に申し訳ありません。
かなりリーズナブルな価格設定です。ありがたいです。
いなせや
075-371-8878
京都市下京区東洞院通七条下ル真苧屋町220-8
朝の京都は冷え込んだようです。でも良い天気でした。
京を、いや今日も歩きました。銀閣寺からスタートして、平安神宮、青蓮院、知恩院、円山公園、清水寺、智積院と東山山麓の社寺を巡りました。
三十三間堂では、通し矢が行われていました。晴れ着姿のお嬢さんたちが、たすきをかけて弓を引く姿を拝見しました。
京都の四条通りを西端の松尾大社から東端の八坂神社まで歩きました。途中に何軒か入ってみたい居酒屋がありました。そこまで戻るのも大変なので、四条河原町から裏路地に入った「柳小路TAKA」に行ってみました。いつも行列の人気店ですが、運よく空いてました。
焼き鳥がメーンの立ち飲み居酒屋です。肝、皮、軟骨の3串を頼みました。
最初に出てきた肝です。なんだ、これは。一般的な焼き鳥屋の3倍はあろうかというデカさです。臭みは一切しません。じゅわーと柔らかい脂が口いっぱいに広がりました。
レバーの間にハツがはさまっています。目の前で焼いているのを、まだか、まだかと待ちました。
アサヒ生ビールですが、こちらでは開発コードに由来する「マルエフ」と呼んでいます。
時間差で皮が焼けました。皮と言いながら、たっぷりと身も残っています。
ニッカのハイボールを追加して、軟骨を楽しみました。
1本1本、焼き具合を何度も確かめながら魂を込めて焼いているといった光景でした。
若い女性2人客が2組とおとこ2人。焼き鳥屋とは思えない店内です。
焼き鳥の単価は、ちょっと高目ですが、あのボリューム、味からすれば納得です。
柳小路 TAKA
075-708-5791
京都市中京区中之町577 柳小路 はちべえ長屋
京の都、平安京は方角を司る四神、北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎に護られた「四神相応の地」にあります。
玄武の上賀茂神社は参ったばかりです。
青龍の八坂神社と白虎の松尾大社は京都のメーンストリート、四条通りの東西両端にあります。この10キロほどを歩きました。
西山の麓にある松尾大社から歩きました。
京都の昼飯です。飲んでいても、立っていても昼に腹を満たせば昼飯です。
裏寺町の立ち飲み屋、「たつみ」の暖簾をくぐりました。「ハイリキ」です。チューハイと頼んで、「なに味?」と聞き返されました。レモンと答えて出てきたのがコレでした。
ハイリキは、アサヒビールが1983年7月に発売した日本初のチューハイブランドだそです。初めていただきました。飲みやすい飲料!でした。
湯豆腐は、カウンターの上のアルコールバーナーで温めました。
熱いものは熱くしてという、あたり前で食べると、そりゃおいしいです。
とりあえずビールは、サッポロの赤星でした。
カキフライもいただきました。
最初は何もつけず、次はマヨネーズ、そしてソースと味変を楽しみました。
ゴボウの天ぷらは山盛りです。
目の前には、メニューの黄色い短冊がいっぱいです。
向こうのハンバーグの店は、まだ行列でした。
居酒屋 たつみ
075-256-4821
京都市中京区裏寺町通四条上ル中之町572
食べて飲んでいるうちに松の内も過ぎてしまいました。これはいかんと、京都を歩きました。
スタートは上賀茂神社です。きょう8日は、もう成人の日でした。境内には、後ろ姿はすべてよしの振り袖新成人が集っていました。
初詣の人たちもまだまだ多くて、にぎわっていました。
神馬の神山号は出社していまいた。好物のニンジンをもらって、ご機嫌のようでした、
立砂を模した竹に、おみくじが花を咲かせています。
細殿の前に円すい形に盛られた白い砂山があります。
橘手水には、タチバナの実がいっぱいに浮かべられていました。でもこの手水には、初めて気づきました。
朱が鮮やかな楼門です。その前の玉橋に整列して記念撮影するのが、わたしの両親が健在だったころの家族の年明けの慣例でした。
両親と兄家族3人、わたしたち家族4人、プラス犬一匹が最大でした。
この正月、わが家には娘家族4人、息子家族3人の9人が集まりました。ちょうど一世代が回りました。
中門には宝船がぶら下げられています。この下を潜ると良い年になるといわれています。
この朝は、雪が降ったそうです。北向きの屋根には、白い雪が残っていました。
成人の日の記念撮影が行われていました。どこかの学校の同窓会1クラスでしょうか。
社家町を歩きます。
わたしが育った下鴨北園町の近くにある萩公園を通り抜けました。この塔は、3角ベース(少年野球)を楽しんだ児童公園の中央に、当時から同じ姿で立っていました。
何だろうと改めて見ると、「JOOK」と書かれていました。NHK京都放送局のコールサインです。
ということは、ここからラジオが流れ、住民がラジオ体操とかをしていたのでしょうか。
ここには、わたしが小学生だった当時にすでに老朽化して使われなくなったコンクリートのプールがありました。その周りをローラースケートで走り回ったものです。
当時の通学路を歩き、京都市立葵小学校までやって来ました。
当時の木造校舎は鉄筋になってますが、それも老朽化してます。
中学校へ向かう道です。
2年前の夏の「京の三十三食」で廃墟探検と書いた音色食堂です。
シャッターが閉まり、手書きの学習塾入塾案内が張られているだけでした。食堂はまだ健在なのでしょうか。
下鴨神社までやって来ました。
本殿の前にある言社(ことしゃ)は、干支の守り神です。わたしはうしにお参りしました。
水みくじは、境内を流れる御手洗川に浸すと文字が現れます。
次のタスクは、百万遍近くにある金平糖の老舗、緑壽庵清水に寄ることでした。
いろんな味の金平糖から3種を選んで、土産用にパッケージしてもらいました。
昨年のポルトガル~サンティアゴ巡礼で、最終日のリスボンでごちそうになった神父さまに届けようと思います。
金平糖は、鉄砲などとともにポルトガルから渡来しました。
古い製法を継承しています。
緑壽庵清水
075-771-0755
京都市左京区吉田泉殿町38-2
この後、東山通を南下。昼飯を食べよう思っていた三条の中華の店は、ものすごい行列。次のからしそばの店は、前に並んでいた若者が「僕で最後といわれてます」。
四条大橋から鴨川を眺めました。YAMAPを見るとまだ10キロちょっとでしたが、ゴールとしました。