天使突抜通を突き抜ける

天使突抜1丁目

 「天使突抜通(てんしつきぬけどおり)」。なんとすばらしいネーミングでしょう。そんな名の通りが京都・下京区の西洞院通と油小路通(あぶらのこうじ)の間にあります。

住居表示

 東中筋通を下りました。松原通の交差点は天神前町です。そこからさらに行って振り返ると、ありました。「下京区東中筋通松原下る天使突抜1丁目」の町名表示です。

住宅地図

 「天使突抜通一丁目」はここです。最近では、通崎睦美さんの本のタイトルで有名です。京都市立芸大卒のマリンバ奏者で、アンティーク着物のコレクターであり、その着物の着こなしで話題になっています。生まれがここで、住宅地図にも同じ姓の家が載っています。
 大学の後輩の娘が「通崎好み」という本を持っていたので、ちょっと斜め読みしたことがあります。

天二町

 消火器の箱です。でも、こんな省略の仕方は天六、谷九、日本一の大阪だけかと思ってました。

アーチのある路地

 立派な門柱の礎石が残ってます。金属のアーチには、電球が付いていた痕もあります。路地を入ってみましたが、変わったモノはありませんでした。それにしてもいわくがありそうです。

駐車場

 住宅が取り壊されたあとは、とりあえずタイムパーキングに、という都心の風景です。それにしても「てんしつきぬけ」かと関心していると、次に見つけたのはそのものズバリ「天使ガレージ」です。ちょっとくたびれた看板ですが、降参です。

天使四丁目

 天使突抜通は五条通を越えて六条通まで続いてました。
 ここまで来ましたが、残念ながら名前以上の景観にはお目にかかれませんでした。

五条天神

 天使突抜通の名は、この五条天神からきています。松原通西洞院の南西角にあります。ちなみに昔の五条通は、現在の松原通だそうです。
 「五條天神由来」によると、桓武天皇が京都に都を定めたとき、都の平安を守るために、大和の国宇陀郡から天神(てんしん)を迎え「天使の宮」として建立した神社だそうです。当時、洛中では最も古い神社で、最大の鎮守の森を有していたそうです。
 この「天使の宮」を貫通してできた道だから「天使突抜」というわけです。「天使」といってもエンジェルの天使とは関係なかったようです。

義経と弁慶

 五條天神は義経と弁慶が出会った場所とも言い伝えられています。「京の五条の橋の上…」という童謡の橋は、現在の鴨川の五条大橋(石碑があります)ではなく、当時は五条天神の東側を流れていた西洞院川にかかっていた橋のことです-と由来は説明しています。

膏薬図子を歩く

膏薬図子

 四条通に面した堺町通と柳馬場通(やなぎのばんば)の間ビルに料理教室はあります。腹ごなしにここを出て、西に向かって歩きました。
 京の通り名のうち、東西の通りは「あねさんろっかくたこにしき(姉三六角蛸錦)…」としてよく知られています。今も、京都S大学のテレビCMのバックグラウンドで流れています。
 南北の通りについては、わたしもよく知りませんが、こんなのがあるようです。
 てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい
 寺  御幸 麩屋 富  柳   堺
 たか あい ひがし くるまやちょう
 高  間  東   車屋町
 からす りょうがえ むろ ころも
 烏   両替    室  衣
 しんまち かまんざ にし おがわ
 新町   釜座   西  小川
 あぶら さめがいで ほりかわのみず
 油   醒井で   堀川の水
 新町通を越え、西洞院通(にしのとういん)までのところに幅2メートルほどの細い道があります。上京区では京都府庁の前の釜座通(かまんざ)ですが、下京区の四条から下がる小路は「膏薬図子(こうやくずし)」の名が付いています。

住所表示

 四条の角に立って住居表示を見上げました。
 通りの東側は「下京区四条通新町西入下る新釜座町」とあります。
 西側は「四条通西洞院東入郭巨山町」となっています。

鍾馗さん

 「郭巨山(かっきょやま)」は、祇園祭の山の名前で、この家が保存場所になっています。屋根の上には魔除けの「鍾馗(しょうき)」がのっています。

路地

 細い道をちょっと入っただけで、静かな別世界です。左手に路地がありました。入り口には路地の奥にある家の表札が並んでいます。

将門

 民家の壁に埋め込まれたような祠があります。その名は神田神宮。「天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」と由緒が書かれています。
 下総国で戦に敗れた平将門の首が都へ運ばれ、ここで晒されたが、ある夜、光を放ちながら東方へ飛び去ったそうです。

東西の道

 膏薬図子は途中で鉤型に曲がっています。
 将門の霊を弔うため、空也上人が念仏道場を建てたそうです。その御堂が「空也供養(くうやくよう)の道場」と呼ばれていましたが、いつしかなまって「膏薬」なってしまったというのです。まるで、冗談のようなホントです。

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 図子の長さは160メートルほど。南側の綾小路からみたところです。

杉本家

 綾小路の東角には杉本家住宅(京都市指定有形文化財)があります。ここは祇園の伯牙山の飾り場にもなっています。

白梅図子はどこに?

白梅図子

 「路地」、これを京都では「ろーじ」と発音します。先日、祇園の路地を歩きました。表通りから一歩入っただけで、まるで別世界にまぎれこんだような静寂が支配していました。もっと路地を歩きたくなりました。
 「図子」(「逗子」とも書くようです)。平安京の条坊制の名残で、通りで区切られたブロックの内部を貫通する細い道が図子です。
 図子で私が最初に思いついたのは「白梅図子(しらうめずし)」です。

白梅図子のバス停

 昔、四条河原町から下鴨の自宅に帰るときは、市バスの4系統「深泥池」行きか14系統「松ヶ崎」行きに乗りました。河原町を上がってきて「府立病院前」の次のバス停が「白梅図子」でした。でも、当時は図子の意味も、それがどこにあるかも知りませんでした。

町屋

 白梅図子は、明治7年に消滅するまで「花街」として栄えたそうです。
 町家風の古い家です。2階には虫籠(むしこ)窓もついています。

大久保利通旧邸

 同じ通りに「大久保利通旧邸」という石碑もありました。

すしや

 この崩れかけた(失礼)店は、もとはすすし屋だったようです。

地名表示

 古い住所表示がありました。「中筋通、石薬師上ル」とあります。ここではないようです。

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 地図の黄色の道かと思ってました。①の表示がある家の夫人が出てこられたので尋ねました。
 「河原町の角に武長という竹屋さんがありますやろ。そこをはいったとこです」
 「南北の通りなんですか」
 「はい。そうです」
  緑色の道という説明です。②で、車を洗っていた男性に聞きました。
 「そこを曲がって河原町に出たところに、わたしの子どものころには白梅図子というバス停がありました。だから、その右に曲がった通り(青色の道)と違いますか」
  さらに指さされた角、③で家から出てこられた夫人に聞くと「河原町の向こうと違いますか(赤色の道)」
 ああ、振り出しに戻りました。

白梅図子の古地図

 ネットで検索していたら、こんな記事と古地図に行き当たりました。
 赤色の道のようです。これで一見落着です。

白梅図子

 現在はこんな感じです。
 左(南)側は、、寺の塀が続いています。もはや、かつての花街を感じさせるものはもとより、標識などに「白梅図子」という表示は見あたりませんでした。すでに、忘れ去られようとしているようです。

祇園の小路

十四番小路

 京都を散歩しました。久しぶりに四条河原町から東へ向かって歩きます。それにしてもこの人の多さはどうしたことでしょう。まだ30度近い暑さなのに、すっかり秋の観光シーズンですね。
 「永楽屋」をのぞき、オーケストラをデザインした日本手ぬぐい(昭和14年製の複製)を買いました。額に入れいれば壁掛けにでもなりそうです。「よーじや」は通り過ぎて、クラフトセンターをひと巡りしました。
 祇園石段下がもうすぐというところで、左手に路地を見つけました。これまでにも何回となく通った道ですが、この存在には気づきませんでした。
 一歩、路地に入りこむと、四条通りの喧噪とはうってかわって、シーン。開店前の料理屋の前には打ち水と盛り塩がしてありました。
 通りを抜けて振り返ると「十四番小路」の表示がありました。ということは「十五番も」と、祇園富永町通を西に東に。

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 ありました「十六番小路」も。
 このあたりは祇園東の花街です。あまり縁はありません。

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 そろいの着物を着た舞妓さんが通り過ぎました。あわててカメラを手に追いかけてしまいました。

白川

 この写真だけは、ちょっと離れたところです。新門前通から新橋通に抜ける路地です。ここを抜けると白川が流れていて、吉井勇のかにかくにの碑があります。
 プラハの路地も素敵でしたが、京都もまけてません。

時代を超越した商店街

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 京都・東山のとある商店街に迷いこみました。これが、たいへん楽しい商店街で、ついついシャッターを切る連続でした。おかげで一挙12枚同時公開です。
 最初は「西日の当たる商店」です。商品が日焼けしないように布がかぶせてあります。それはいいんですが、いったい何を売っているんでしょうか。わかりませ~ん。
 どんな店があるのかと、期待の胸を膨らませてくれるに十分な商店街入り口の金物屋です。 

きな粉

 健康志向ははよくわかります。「きな粉ミルク」はどんなものなのか、どんな味がするのか、こちらもよくわかりません。

クリスマスも

 盆も正月も…、いや母の日のカーネーションもクリスマス・ツリーも飾ったままです。時計がいつのころからか止まったままのショーウインドーです。

靴屋

 「バレーシューズ有□」(□=ます、には斜線がいります。PCではだせませんので)って、買いにくる人があるってことなんでしょうね。きっと。
 ついでながら、わが社の用語集ではバレーは運動種目、バレイは舞踏です。どっちなんでしょう。

奉仕品

 本日の奉仕品です。商品は確かです。なにせ京都のワコール製です。
 4500円のパジャマが安いのかどうかは、わたしにはわかりません。

中国産も

 「ブランド京野菜」に認証されている万願寺とうがらしです。舞鶴市万願寺近辺で栽培されている人気のとうがらしは、「京の伝統野菜に準じる野菜」にも指定されています。
 それと並んでいる「見切品」のにんじんは中国産で、とりあえず日中友好の構図です。

韓国産も

 もちろん、お隣の韓国とも仲良くしましょう。「いま、韓国で一番売れているタバコ」だそうです。
 「冬のソナタ」の、よくタバコを吸っていたふられる方の男性も、これだったのでしょうか。

便秘十訓

 便秘のかたは熟読してください。「横着」に読み飛ばしたらいけませんよ。 

ねずみとり

 この商店街にはなんでもあります。きっと、ネズミだって屋根裏を駆け回っているのでしょう。

菓子

 すばらしい色をしています。写真では、あの色を再現できません。いまどき、あれほどきれいな(赤色○号だかの合成着色料を使った)色をした食品にはあまりお目にかかりません。

掲示板

 「むつきにも 手を合わせる おとしより」
 わざわざ「むつき」のところに赤線をひいて「おむつ」と解説がはいっています。ご親切なことで、ありがとうございます。

テイクアウト・カレー

 テイクアウトばやりです。なんでも持ち帰りできる時代です。それにしてもカレーのテイクアウトは初めてです。ここだけは、時代を前方に超越しているんでしょうか。

西国街道 京に上る

2005/02/25

 西国街道は、京の都から西国(山陽地方)を結ぶ古来の日本の幹線道路です。

 私の住む水無瀬も通っています。この西国街道を半日かけて京の都までのぼってみました。

 9:59

 自宅から5分も北に歩くと、「桜井の駅跡」に着く。

 「西国街道」の碑が建っている。「街角の再発見」としてフジサンケイグループが大阪府下のあちこちに建てた記念碑のひとつである。

 見わたせば 山もとかすむ 水無瀬川
 ゆうべは秋と なに思ひけむ
         (新古今集 後鳥羽上皇)

 碑にはこう彫られている。

 10:03

 楠公父子決別之所」の大きな碑が建っている。

 楠正成、正行親子がここで別れた。父は西に向かい、湊川の戦いで敗れる。

 10:28

 ケータイを忘れたことに気づき、取りに戻る。20分近くタイムロスをする。

 右手に水無瀬神宮への道。境内には、「日本の名水百選」の「離宮の水」がわき出ている。

 10:40

 左手にJR京都線の踏切が。向こうにはサントリー山崎工場がある。

 10:44

 「従是東山城國」の碑が関大明神の横にある。
 
 現在も大阪-京都の府境となっている。
 ここで大阪府三島郡島本町から京都府乙訓郡大山崎町にはいる。

 10:49

 JR山崎駅前の離宮八幡宮
 嵯峨天皇が建立した「河陽宮」の一角にある。

 10:50

 荏胡麻油の生産と結びつき発展した。
 「油祖神」の石像がある。黄色い輪は、油屋のシンボルマークだったそうである。

 10:52

 JR山崎駅前。

 左の京阪バスは淀川対岸の淀競馬場行きの臨時便。右側は千利休の茶室がある妙喜庵。

 10:58

 こちらは阪急大山崎駅。
 
 アサヒビール大山崎山荘美術館の無料送迎バスがとまっている。

 11:06

 天王山の中腹にある山崎聖天への道。まずJR京都線の下をくぐり、阪急京都線をまたぎ、急な階段を上る。

 三川(さんせん、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる)が見下ろせる展望スポットがある。

 11:31

 小泉橋を渡ると、長岡京市にはいる。

 11:36

 調子八角の交差点。「新西国街道」の標識がある。
 「67 府道西京高槻線」の別名のようである。

 本来の西国街道は、府道と併行して続いている。

 11:40

 「右 よど(淀)  左 やなぎ(柳)谷」の古い石柱が立っている。

 柳谷観音は長岡京市の西の山の中にある。目の疾病の神さんとして、今も参る人が多い。

 11:53

 神足(こうたり)商店街には、石畳が敷かれている。

 京都の元気企業のひとつ、セラミックの村田製作所の本社がある。

 11:55

 国登録有形文化財の石田家住宅。

 街道に面した商家と住居を兼ねた立派な切り妻住宅である。

 11:57

 どうしてこんなところに駅名表示が? と思いながら通り過ぎてはたと気がついた。

 JRの駅は「長岡京」とかわり、今は「神足」という駅はない。なにかの記念のようである。

 12:02

 JR長岡京の駅前。再開発が進み、すっかりきれいになっている。正面にそびえるのが、村田製作所の新本社ビル。

 最近建てられた新しい石柱の説明には長岡京は「延暦三年至ル十三年 桓武天皇王城ノ地ナリ」とある。

 12:19

 「一文橋」は、室町時代に架かられた日本最初の有料橋だったという。

 たびたび橋が流されるので、架け替え費用のため、通行人から一文を徴収したという。

 12:23

 向日市の下川原地区。静かな街道の佇まいが残っている。
 ここも石畳になり、凝ったデザインの街路灯が並んでいる。

 12:28

 阪急京都線のガード下をくぐる。

 12:34

 鈴吉大明神。昔は田の中にあったが、周辺の宅地が進み、祠の中に収容されたそうだ。

 12:36

 「愛称 西国街道」の標識がある。なぜ愛称なのか、ちょっとわからない。

 12:40

 立派な向日神社参道。この前は車でなら何度でも通ったが、あまり気づかなかった。

 12:43

 神﨑屋の店頭には、早くも筍が並んでいる。

 12:44

 京都府指定文化財の須田家住宅。

 12:54

 石畳の道を下ってくると「愛宕権現」の常夜灯が。

 12:55

 阪急東向日駅に近い梅ノ木あたり。 右端に碑や道標が並んでいる。

 13:03

JR向日町駅。向日市になって久しいのに、駅名は町のままだ。

 13:09

 JR京都線を横切るために「西国地下歩道」を抜ける。

 13:20

 国道171号、通称「イナイチ」を横切る。向こうにそびえるのは、京都の元気企業のひとつ、日本電産。

 13:25

 久世の街並み。

 13:40

 街道は、桂川に突き当たる。対岸へは「渡し」があったのだろうか。

 彼方に比叡山の山並みが望める。

 13:35

 久世橋を渡る。車でいつも走っているが、歩いて渡るのは初めてである。

 13:39

 堤防上にサイクリングロードが整備されている。ここから上流9キロで嵐山、下流10キロで三川合流。

 向こうは愛宕山。

 13:58

 吉祥院の商店街を抜ける。

 「久世の大根飯、吉祥の菜飯、またも竹田のもんば飯」

 赤い鳥-紙風船が歌っている「竹田の子守歌」を思わず口ずさむ。

 14:03

 西大路通を越える。

 14:20

 九条通と合流し、東へ。ちょっと回り道をして、「西寺(さいじ)」の跡へ。

 平安京の中心にある朱雀大路の南端に羅城門があり、入ったところに東寺と西寺があったそうだ。この二つは対をなしていたが、西寺は失われたままになっていた。最近は発掘が進み、伽藍跡が見つかっている。

 14:26

 京の都に到着した。
 羅城門までやってきた。児童公園の片隅の石碑だけが、平安京の証である。

 14:55

 東寺の五重塔。

 ウォーキングにはもってこい、暑いほどだが、気持ちのよいの一日だった。
 自宅からは2万7000歩を超えている。

熊野九十九王子を往く 1

< (1) 窪津王子-坂口王子ー郡戸王子-上野王子 (04/07/03)

 2004/07/03
 晴れ
 地下鉄天満橋-「窪津王子」-八軒家船着場跡-御祓筋-南大江公園-「坂口王子」-榎木大明神-安堂寺町通り-上汐町筋-高津神社-「郡戸王子」-生国魂神社-上之宮-「上野王子」-四天王寺-熊野権現遥拝石-超願寺(竹本義太夫の墓)-JR天王寺


 10:34
 京を出発した熊野詣は、下鳥羽から舟で淀川を下り、渡辺の津といわれたこのあたりで上陸する。後に八軒家と呼ばれるようになった船着場である。
 京阪天満橋駅の南筋向いにある「永田屋昆布本店」の軒下に「八軒屋舩着場の跡」の碑がある。



 安藤広重描く「八軒家船着場の図」(「浪速名所図絵」より、天保5年=1834年)

 「この地は江戸時代には八軒家と称し淀川を上り下りの三十石船の発着場として さらに古くは渡辺といい紀州熊野詣での旅人の上陸地として栄えた また大江山の鬼を退治したといわれる渡辺綱はこの地を支配した摂津源氏一族の出身であり『地獄門』で知られる遠藤盛遠が袈裟御前を見初めたのもここに架けられた渡辺橋の渡りぞめの時のことと伝える 楠正行がこの橋からなだれ落ちる敵兵を救いあげ衣料を与えて国へ帰してやったという美談は明治初年わが国が万国赤十字に加盟のとき伝えられて感銘を与えた」
                               昭和四十年五月  牧村史陽識

         (いずれも永田屋昆布本店配布のパンフレット「八軒家の今昔」より)


 10:40
 坐摩(いかすり)神社行宮。ここに熊野九十九王子の第一王子、窪津王子(または渡辺王子)があったという。
 坐摩神社は、地下鉄本町近くにある。「御由緒略記」によると「神宮皇后が新羅よりご帰還のおり、淀川南岸の大江、田蓑橋の渡辺の地に奉祀が始まりとされています」とある。窪津王子については触れられていない。
 


 10:45
 御祓筋を南へ歩き始める。「アリの熊野詣」の出発である。
 しかし、興味をひくものはなにもない、ただただ暑いばかりのビルの谷間である。 


 10:45
 御祓筋の北端にある「熊野かいどう」の碑。
 「熊野街道は…上町台地の西側 脊梁にあたる御祓筋を通行したものと考えられる…」
 


 11:06
 御祓筋を1.7キロほど歩いた右手に南大江公園がある。ここの南西角にある狐坂大明神。
 ここが坂口王子があったと伝えれれる朝日神明社の跡地である。
 


 11:07
 「朝日神明社跡」の碑。
 「朝日神明社は、天慶年間(938-947)に平貞盛が創建したという。…熊野王子のひとつの坂口王子の伝承地である…」


 11:13
 御祓筋を上ってきて細くなった突き当り、朝日神明社旧跡の南に樹齢600年と推定される榎(実際は槐=えんじゅ=だという)がそびえている。根元に榎木大明神の祠が置かれている。
 古代からのランドマークだったのだろう。


 11:15
 榎木大明神の南側に「直木賞」で知られる直子三十五の文学碑がある。直木は明治24年(1891)にこのあたりで生まれた。

 「きっとなせる市蔵」
 「なせる」
 大久保市蔵はそういってうなずくと吉之助の手を握った
 軽輩のすべてはおなじ心で磯浜を桜島を眺めていた
                     直木三十五「南国太平記」

 これは新聞に掲載された薩摩藩のお家騒動を題材にした小説だそうだが、わたしは読んでいない。


 11:20
 御祓筋を左折して安堂寺通りにはいる。古い家並みとなる。鋼製品を扱う商店が目につく。
 真新しい「熊野街道」の石碑が立っている。大阪府、大阪市、大阪市教育委員会が競うように整備を進めている。


 11:43
 空堀(からほり)商店街の東端をかすめるように通り過ぎる。
 「ろまん街道」とネーミングしているこの商店街は、古い町屋をそのまま店舗にしたりのユニークな町おこしで注目スポットになっている。


 11:47
 上汐町筋を南下する。町の雰囲気がすっかり変わる。
 


 11:47 
 古い看板。南区は中央区に変わったが、「上汐1」は同じ。


 12:03
 一本、横の道に入ったために、偶然にも前を通ったサントリーの「樽ものがたり」家具展示場。
 1カ月ほど前にジュンク堂に積まれていた宣伝パンフで、オープンしたことは知っていた。こんなところにあるとは。



 ウイスキーはオークで作った樽で熟成される。その樽も50年ほどすると、樽としての寿命を終える。そのオーク材を再利用して家具にしている。
 飛騨・清見村のオークビレッジは、かつて、その樽材から家具を作っていた。今も、オークヒルズの食堂では、樽材で作ったピュアモルト・スピーカー(スピーカーはパイオニア製で、ボックスが樽材)が心地より音楽を響かせている。
 わが家のリビングのテーブルが買い替えの時期にきている。オークビレッジ製が第一候補だが、こちらも手ごろな価格で心が揺らぐ。
 


 12:25
 長堀通りを通り越してから、「郡戸王子」は高津宮にあったのだ気づき、暑い道を引き返す。
 といっても、神社境内にそれらしき碑などはない。


 12:35
 生国魂神社は来たことがあるので、横目に通り過ぎる。


 12:57
 またも遠回りしてたどり着いた「上宮社跡」。マンションの玄関にあった。
 ここが四天王寺を守る7社の一つである上之宮(上野王子社)。


 12:59
 巨人・元木選手の母校・上之宮高校が、目の前にある。アテネ五輪出場OB選手の名前が掲げられている。


 13:18
 四天王寺四天王寺の西門。
 土曜日だったが、四天王寺高校の女子生徒が下校してくる。


 13:26
 四天王寺の南門の「熊野権現遥拝石所」。ここから南に一直線に熊野への道が延びる。


 13:27
 四天王寺の門についている「転法輪(てんほうりん)」。

 「法輪は、お釈迦さまの教えが他に転じて伝わるのを輪にたとえたもので、仏教の象徴です。 
 合掌して、『自浄其意』(じじょうこい=心が清浄となりますように)と唱えて軽く右にお回しください。」


 13:31
 四天王寺の南門で出て、まっすぐ行くとすぐに「超願寺」がある。
 ここに浄瑠璃の中興・竹本義太夫の墓がある。


 13:36
 堀越神社を谷町筋の向こうにみる。ここに窪津王子が合祀されているそうだが、あまりの暑さに、横目で素通りする。


 13:45
 今回はここまで。

琵琶湖周歩の旅 その14 坂本ー瀬田唐橋

(14) 比叡山坂本-瀬田唐橋 (04/05/22)


 (水無瀬-JR大山崎-京都-JR比叡山坂本)-穴太-志賀-近江神宮-三井寺-長等-三橋節子美術館-浜大津-琵琶湖文化館-なぎさプロムナード-膳所公園-粟津の晴嵐の碑-瀬田唐橋(ゴール! ゴール!! ゴー~ル!!!)-JR石山-JR京都-水無瀬
 天気=うす曇り
 距離=約16キロ 総歩数=32,676歩


 9:17
 にぎやかな会話の輪に加わる。いつもはひとり旅だったが…。


 9:44
 国道を避けて日吉神社の参道へ。
 


 9:53
 表通りを避けて裏道に迷い込むと、懐かしい「仁丹」のマークがかかっていた。
 


 9:55
 日吉東照宮の参道。坂本の町は、いたるところに神社仏閣があった。


 10:08
 「右 大津道」「左 日吉神社」
 道端の碑は、新しいもののようだった。


 10:10
 瑞慶山盛安寺。
 由緒はわからなかったが、随分と立派な寺だった。


 10:14
 高穴穂(あのう)神社に参る。
 地名は穴太(あのう)。戦国時代に活躍した近江近郊の石積み(穴太積み)職人の集団、穴太衆の地元だ。


 10:43
 京阪石坂(石山-坂本)線にそって歩く。
 この鉄道路線も京阪電鉄の合理化でいずれは消える運命にある。


 10:44
 「この花の名前知ってる?」
 「シラン」


 10:59
 大津京を造営した天智天皇を祀る近江神宮。
 6月10日の「時の記念日」には、天智天皇が日本で初めて漏刻(ろうこく、水時計)を作った故事にちなんで「漏刻祭」が行われると案内にあった。


 11:08
 史跡近江大津宮錦織(にしこうり)遺跡。
 天智天皇が築いた大津宮の遺跡との見方が強くなっている。


 11:16
 大津市役所前の道には、大津絵の代表的な絵が。


 11:33
 ノンストップで三井寺まで歩いた。
 近江八景「三井晩鐘」で知られる高い鐘楼がある。


 11:46
 「この花の名前知ってる?」
 「アヤメ?」「ショウブ??」「それともカキツバタ???」


 11:53
 第一疎水。琵琶湖の水が向こうから、足元のトンネルに流れ込んでいる。
 この水が山科-蹴上と流れ、京都の飲料水となる。


 12:01
 長等公園の一角にある「三橋節子美術館」


 12:06
 三橋節子の生涯と作品を描いた「湖の伝説」(梅原猛著)は20年以上前に読んだ。その作品が展示されている。
 まずはビデオでその生涯を振り返る。


 京都の美術館で回顧展が開催中で、展示は少ないのではと心配したが、展示室には代表作の「花折峠」と「三井の晩鐘」が展示されていた。
 〒520-0035 大津氏小関町1-1
 長等創作展示室 三橋節子美術館
 電話 077-523-5101
 入場料 210円


 12:42
 「この花の名前知ってる?」
 「知らん」


 12:45
 鮒寿司で有名な阪本屋。
 琵琶湖のフナはブラックバスなどの外来魚の攻勢に敗れ、すっかり獲れなくなった。おかげで鮒寿司も、あまりに高価。素通りする。


 12:54
 浜大津の大津港。ここから竹生島への観光船が出発する。


 13:03
 大津生まれの花登匡の顕彰碑があった。
 「泣くは人生 笑いは修業 勝つは根性」
 「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」が出世作と刻まれている。
 


 13:05
 「お腹、減ったな」と話しながらなぎさプロムナードの整備された湖岸を歩く。


 13:09
 明智光秀の弟、明智左馬之助が天正10年、兄光秀の死を知り、大津から坂本へ湖上を馬でとってかえしたという「明智左馬之助の湖水渡り」の碑があった。


 13:12
 琵琶湖ホール前の案内板。
 女房が代表をしている女声合唱団「コール マーテル」の指導者、K氏が出演するオペラ「ジプシー男爵」のポスターが。もちろん女房はチケットを買っている。


 14:21
 膳所公園まで来た。
 公園には四高桜が移植されていた。


 14:35
 {ゴール!!」
 わたしたちの本当のゴールも目の前に迫ってきた。


 14:42
 近江八景「粟津の晴嵐」の碑。


 14:48
 目の前の流れが琵琶湖から瀬田川に変わる。


 14:52
 1年前の5月24日に出発した瀬田唐橋が目の前に。
 230キロ、よくぞ歩いた。


 14:58
 唐橋の中ノ島には「「日本の道百選」の碑が立っていた。


 15:02
 左はゴールししたふたり。
 右は1年前に出発したときのふたり。

 さて、両方の写真で違っているところは何カ所あるでしょうか?


 15:03
 わたしも、満足感を腹(?)に記念撮影。


 15:08
 一周の途中で何度も見かけた「瀬田から右回り○○lキロ」「左周り○○キロ」の標識の「どちらに回っても230キロ」があるはずだと探すが、残念ながら見つからなかった。
 これは、たぶん大阪港からの距離を示す標識。


 15:10 
 出発-ゴールの日本三名橋「瀬田の唐橋」

熊野九十九王子を往く 京洛の熊野社

京洛の熊野社

熊野若王子神社 (2004/04/16)


 「熊野九十九王子を往く」のスタートはやはりここ、と決めていた。
 下鴨からの帰宅途中に寄る。雨が降っていたので、車を乗り付けてお参りした。


 永暦元年(1160)に後白河法皇が熊野権現を勧請したのが始めとという。東方の山中に滝があり、熊野三山の那智大社に相当する。
 熊野詣にあたっては、この滝で浄めを行ってから出発したと伝わる。


 神木の梛(なぎ)の木が鳥居の横にある。
 熊野詣や伊勢参宮のとき、禊の木としてして、罪けがれをはらい清めるお守りとして用いられた。
 「この梛守は、受験・結婚・その他すべての苦難をナギはらうお守りです」(パンフレットより)


 京洛東那智 熊野若王子神社(くまのにゃこうじじんじゃ)
 京都市左京区若王子町2
 東山三十六峰のふもと、哲学の道の起点にある。

 
 熊野神社 
(2004/05/30)



 熊野神社
 京都市左京区聖護院山王町43
 東山(東大路)通と丸太町の交差点、バス停は「熊野神社」の西北角にある。

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 弘仁2年(811)、修験道の始祖・役小角(えんのおづぬ)の十世僧、日圓が、紀州熊野大神を勧請したのが始まりという。


 御神燈などに八咫烏(やたがらす)がデザインされている。
 三本脚のこの烏は、神武天皇東征のとき、熊野灘の那智海岸に上陸した神武天皇を熊野から大和に入る険しい道を先導した鳥という。
 日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている。



 聖護院の森は「八ツ橋発祥の地」といわれ、境内にはその碑と「八ツ橋中興の祖」西尾為治(1879-1962)の銅像がある。
 東山通にめんした北側には「八ツ橋発祥の家」と大きな提灯にかいた西尾家八ツ橋の店が。近くには、西尾家と聖護院八ツ橋の本家が道を隔てて向かい合っている。


 熊野牛王(くまのごおう)
 「熊野牛王宝印」の6文字が、「烏点(うてん)」で記されている。烏点とは、熊野神社の神使である八咫烏を図様化し、その間に宝珠をデザインしたもの。熊野本宮は92羽、熊野新宮は48羽、熊野那智は72羽で、ここは新宮の故をもって48羽が描かれている。
 熊野牛王は祈願神として用い、願意を記して捧げることで、その願いが神に届くとされている。

 新熊野神社 (2004/05/30)


 新熊野(いまぐまの)神社
 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
 熊野神社から東山通を南下、祇園-清水坂-智積院を横目にJR東海道線を越えた右側にある。バス停や地名は「今熊野」。


 熊野信仰が盛んに平安末期、後白河法皇が熊野の神を勧請して創建した。


 ここにも八咫烏。


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 新熊野十二社権現といわれ、本社をはじめ、若宮社、結の社、速玉社の「上四社」・「中四社」・「下四社」の十二社の社殿が東西に並列して建てられている。。
 


 「紀州国の熊野三山の御土」
 後白河法皇が平清盛に命じて紀州熊野の土砂材木等をもって社殿を造営させて聖地熊野をこの地に再現させた。この御土は往時をしのび、「熊野三山」から奉納されたもの、とある。


 社頭にある大樟(くすのき=楠)。創建のとき、熊野から移植、後白河法皇お手植えを伝えられ、樹齢900年、健康長寿、病魔退散、特にお腹の神を信じられ参拝者が多い。京都市の天然記念物。

琵琶湖周歩の旅 その13 和邇ー坂本

(13) 和邇-坂本 (04/04/03)


 (水無瀬-JR大山崎-JR和邇)-南浜-JR小野-真野浜-琵琶湖大橋-出島灯台-堅田浮御堂-天神川-雄琴温泉-JR比叡山坂本(-JR山崎-水無瀬)
 天気=うす曇り
 距離=約11キロ 総歩数=25,456歩


 10:14
 今回のスタートは和邇。京都から湖西線の各駅停車でやってくる。


 10:22
 花見に行っても、どこも人でいっぱいだろうからと琵琶湖へ。
 「琵琶湖周歩の旅」も終盤にして、初めて女房と一緒に歩く。


 10:23
 道端でニラが白い花を咲かせている。


 10:27
 だれもいない和邇南浜から北方を振り返る。比良が背中になっている。


 10:43
 懐かしい看板がかかっている。新聞販売店でもないのに、どうして?


 10:47
 シイタケが分厚く育っている。おいしそう。


 10:53
 琵琶湖大橋が大きくなってくる。


 10:59
 壁に大きく「社団法人 日本鳩レース協会/王将競翔連合」の文字。そんな団体があるんだ!
 右側の櫓にハトはレースを終えた帰ってくるのだろうか。


 11:19
 国道沿いのJR小野を通り過ぎる。


 11:21
 遂に出発の大津市に戻ってきた。


 11:37
 .真野川を渡る。桜が咲き、親子が釣りを楽しんでいる。


 11:39
 琵琶湖大橋西岸の琵琶湖タワー。大きな観覧車が運転していないのは知っていたが、その前のドライブインまで休業してしまったとは。
 すぐ横のコンビニで弁当と缶ビールを仕入れる。


 12:30
 出島(でけじま)灯台。今堅田の先端に明治8年(1875)立てられた、全国でも類をみない木製の灯台。
 風をさけて湖岸で弁当を開ける。
 


 12:44
 堅田の「浜通り商店街」と看板にあるが、商店はどこにある?
 人通りもない静かに湖岸の道。


 12:49
 堅田港から対岸を見る。1年ほど前にその前を歩いた佐川急便の体育館などが見える。


 12:53
 堅田の浮御堂。参拝する善男善女の列が続いている。
 正面に回ると拝観料300円。手だけ合わせてご遠慮申し上げる。


 13:11
 天神川の土手にはユキヤナギが真っ白に。その先に黄色いレンギョウ。対岸には桜とカラフルである。


 13:23
 「ボンジュール神戸」の移動パン屋の屋台が出ている。ここのメロンパンは皮がパリッと焼きあがっており、結構イケル。1個120円ナリ。


 14:09
 雄琴の歓楽街を横目に。
 風営法施行以降、ネオンの瞬きも随分おとなしくなった。それでも昼間から客引きのニイちゃんもたっていて、それなりに。


 14:52
 JR雄琴までのはずが、通り過ぎてひと駅先の比叡山坂本まで歩いてしまう。
 これでテンパイ。あと1回でゴールになる。