簡単にボロネーゼ風のパスタにしました。「風」としたのは、冷凍保存されていたドライカレー1人前を解凍して、ソースにしただけだからです。
ご飯にかけても良かったのですが、これまた冷凍されているご飯をチンするのなら、同じ手間かと。
なかなかいいお味に仕上がりました。味付け、奥さま作のドライカレーに完全依存しています。
材料は、きわめてシンプルです。包丁を使うことはありませんでした。
目玉焼きも作ったので、フライパン2つに鍋1つ。あとかたずけを考えれば、簡単だったかどうかは疑問が残ります。
花手水をあちこちで見かけるようになりました。SNS映えするフォトジェニックスポットとなっています。神社やお寺の手水鉢が、新型コロナを契機に生まれかわったようです。
高槻・安満(あま)にある浄誓寺では毎月、花が入れ替えられています。車で出かけたついでに寄り道しました。
6月のテーマは、「芍薬week 優美」です。白と赤紫のシャクヤクのコントラストが鮮やかでした。
芍薬の花言葉は、花の色によってはじらい、慎ましさ、はにかみ、誠実、幸せな結婚・・・と様々です。
こちらは?
「夏越の祓(なごしのはらえ)」を前に茅の輪ができています。
楠正成の甥にあたる南朝の武士が、観応元年(1350)に創建したという浄土真宗本願寺派の寺です。
浄誓寺
高槻市安満北の町5-26
念願のSTAUB(ストウブ)をゲットしました。フランス製の重たい鉄の鍋です。百貨店の調理器具売り場などで見るたびに憧れていました。
さっそく調理しました。塩だけで、調味料などは一切使っていない「塩肉じゃが」です。仕上げに黒コショウを振っただけです。
うまい。ジャガイモと豚バラのうま味が完璧に発揮されています。それがお手軽に作れます。
冷えたビールが、さらにうまいです。
ディルのマスタードをつけてみました。
和風だった肉じゃがが、ドイツのポテトに変身しました。
作り方は簡単です。
ジャガイモ3個を半分に切って、水に晒します。
豚バラ肉に塩をします。
STAUBにオリーブオイルを入れて、水を切ったジャガイモを炒めます。
豚バラをかぶせ、水カップ2、酒小さじ2をそそぎます。
あとは中火で湯気が出るまであたため、弱火にして25分。それで完成でした。
STAUBのレシピ本は、たくさん出版されています。
STAUBのココット・オーバル23㌢です。高齢者2人暮らしには、これくらいでちょうど良さそうです。
たかが鍋、されど鍋です。なんとシリアルナンバー(製造番号)が振られていました。
こめ油を塗り込んで熱し、シーズニングという最初に使う前の儀式を行いました。
いい色になりました。
万願寺とうがらしを焼きました。シーズンですね。好物のニンジン葉のごま和えも並びました。
お隣の大山崎町で昨日、開かれた「十日市」で買ってきました。
梅雨入り前の最後の好天でした。東山三十六峰を巡る3回目は、蹴上から南禅寺の裏山とでもいうべき4峰を歩きました。それぞれに山名を表示したプレートがあり、4戦全勝の好成績でした。
第16峰の若王子山(にゃくおうじやま、183㍍)のすぐ前には学校法人同志社の共同墓地があり、創始者の新島襄、妻の八重らが眠っています。
若王子山から雑木の間を100㍍あまり行くと、第17峰南禅寺山(197㍍)でした。
京都市左京区南禅寺福地町というのが所在地です。
わたしは右京区の産院で生まれましたが、両親は当時、南禅寺の塔頭の一間を借りて住んでいました。わたしの最初の住民登録地は左京区南禅寺福地町だったはずです。赤ん坊のときに見上げていた町内の山というわけです。
暑い1日でした。冷麺が食いたいなと歩きました。
山を下りた天王町から丸太町を河原町まで歩いて、「冷たいまぜ麺、あります」という店と巡り合いました。
冷たいビールとともに、ああうまかった!
交野市(かたのし)の交野山(こうのさん)に登りました。山頂に観音岩という大岩があり、眺めがいい山です。ササユリが咲くことでも知られます。
東京発のテレビは、天候の悪化ばかりを伝えていましたが、大阪の朝は、思いのほかよい天気でした。急に思い立って出かけました。
満開のササユリが待っていてくれました。純白です。
青空を背に、ちょっとピンクがかったのも咲いていました。
アジサイも、前夜の雨を浴びて清々しです。
交野山の後は、サンドイッチ山、アンテナ山、新サンドイッチ山とカタカナで名付けられた三山を縦走しました。わたしの間尺にあった山々です。
昼飯は、白旗池の畔で独り、メスティンを使ったナポリタンを作っていただきました。
六甲山の別荘地にある「ヴォーリズ六甲山荘」で、ファゴット アンサンブルの柔らかな調べを楽しみました。庭のウグイスも、合わせて歌っていました。
ファゴット(バス―ン)というのは、あまり目立たない楽器です。ソロでその音色に接する機会はあまりありません。それが3奏者もそろい、心地よいアンサンブルを奏でました。
楽器の説明もあって、「このように5つのパーツに分解できるのですよ」と。
奏者のひとり、宮本謙二さん(元日本センチュリー交響楽団首席ファゴット奏者、左)は、ご自身が大津市にあるヴォ―リズ建築である「宮本邸」に住んでおられます。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)は、米国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者です。最初に暮らした滋賀・近江八幡などに多くの名建築が残っています。
宮本さんは、プロジェクターを使ってご自邸を紹介、ヴォーリズの生前の姿も写しだしてくださいました。
ここでしか味わえない「山荘カレー」(1000円)が用意されていました。
ひと昔前に、喫茶店で食べたような懐かしさを感じさせる味でした。でももっとスパイシーで高級な香りのビーフカレーでした。
神戸市内のレストランで作ったものを運んできて、山荘の台所で温めたようです。
こんなシチュエーションでいただきました。
山荘の軒下です。目の前には、美しい緑が広がります。別荘暮らしをひと時だけ、体験させていただきました。
ヴォーリズ六甲山荘は、1934年にヴォーリズの設計で関西学院高商部教授だった小寺敬一氏の夏の別荘「小寺山荘」として建てられました。山荘建築の代表的作品だそうです。
堺のホールで音楽会でした。その前に軽く腹を満たしました。
創業は元禄8(1695)年。八代将軍吉宗のころという老舗そば屋です。そんなことより、わたしは勤めていた大阪・桜橋の新聞社の隣にあった「ちく満(ちくま)」のそばをもう一度、食べてみたかったのです。
「せいろそば」という名で、蒸しあげて湯気の立ったそばを、濃い目の醤油味の、しっかりとだしの効いた汁でいただきます。
この味です。腰はなく、ふにゃりとした麺が、喉を滑ります。
1.5斤の斤は、尺貫法の重さの単位で、1斤が160匁(600㌘)です。パスタの1人前が80㌘とすると、乾燥重量との差があるにしてもちょっと違いすぎるような気はします。それはともかく、1.5人分としてもペロリでした。
生卵を割り、薬味の葱とわさびをいれ、徳利に入った熱々の出汁を注ぎます。
せいろそばは、重ねて運ばれてきました。
仕上げにそば湯もいただきました。ちょっと濃い目の出汁がいい口直しになりました。
広い座敷です。
時間が中途半端だったのか、客はわたしたちだけでした。
メニューはいたってシンプル。正味はせいろそばだけです。
わたしは、桜橋の店(支店だったと思いますが、正確な関係はわかりません)で好きだった「鴨なんば」も食べてみたかったです。
店の裏が大きな蕎麦工場です。現在は改装工事中でした。
目の前が千利休の屋敷跡です。
ちく満
072-232-0093
堺市堺区宿院町西1-1-16
「新日本フィルハーモニー交響楽団50周年記念演奏会」をフェニーチェ堺の大ホールで聴きました。指揮の佐渡裕が舞台あいさつでも話してましたが、お目当てはピアノの反田恭平です。生で聴くのは3回目です。
堺での音楽会らしく、こんな方の花も飾られていました。
反田くんは、佐渡さんの指揮をバックにベートーベンのピアノ交響曲第5番「皇帝」を、あまり偉ぶらない優しくてしなかやかなエンペラーのように弾きました。アンコールのシューマンの「献呈」は、さらに愛を込めた響きになってました。
2000人収容の大ホールです。オペラ公演を想定して、舞台両脇にはライトもついています。そのためかどうか、ちょっとデッドなのでしょうか。コンサートホールで聴くような金管楽器の華やかな響きは聞こえてきませんでした。
S席を奮発しましたが、2階2列目という席も、ちょっと遠すぎたようです。
昨秋のショパンコンクールで目を引き付けた長い髪を後ろに束ねた「サムライヘア」をカットしたのも、あまりわかりませんでした。この夜は燕尾服姿だったようですが、それすらも判別できませんでした。
新日フィルは、50年前に小澤征爾と山本直純が立ち上げました。テレビの「オーケストラがやってきた」で聴いたものです。
ベートーベンの交響曲第7番に続いてアンコールは、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ(オーケストラ編)」。弱音が限りなく美しい弦の調べでした。
チャイコフスキーがウクライナを旅して聴いた民謡をもとにした名曲です。「ウクライナにあるチャイコフスキーの家が破壊されました」と佐渡さんも話していました。ウクライナに平和な日々が戻ってくることを祈るような演奏でした。