京城勝覧を巡る 第七日 愛宕山鉄道の廃線跡と大河内山荘

 貝原益軒の記す京ガイド「京城勝覧」の第七日は、『嵯峨にゆく道』です。これまでになく多くの名所旧跡が網羅されています。『上下の嵯峨見所多し朝ははやく出べし』の注意書きもあります。
 わたしは最初に、益軒さんの時代には存在しなかった愛宕山鉄道の廃線跡をたどりました。
 愛宕山に登る参拝者を運ぶため嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)が、昭和4(1929)年に開設されました。しかし、戦時中にレールを軍に供出して、わずか15年で廃線となりました。
 その遺構は多くはありません。最大のものが、今も清滝につながる幹線道路として使われている清滝トンネルです。単線の鉄道トンネルとして開通しました。その途中には、架線柱の残骸が朽ちて残っていました。

 『野ノ宮(野々宮)』の辺りの竹林です。まだまだ観光客は少なく、静かでした。

 「大河内山荘」に初めて入りました。時代劇映画の大スター、大河内伝次郎が30年の歳月をかけて作り上げた回遊式の借景庭園です。これほど素晴らしい庭園とは知りませんでした。
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JR・ICOCA大回り乗車 北近畿ルートの3食

 JR西日本のICカード、ICOCAの利用可能駅が今春、拡大されました。北近畿エリアでは、山陰線の園部-城崎温泉、姫新線の和田山-寺前間の主要駅です。
 これまでは大阪近郊区間に限られていた大回りルートが、ICOCA利用だと京都-和田山-姫路と回るループが可能となりました。
 青春18きっぷのシーズンですが、5回分を使い切る気力もなく手が出ません。お手軽に、北近畿をぐるーっと回って片道160円ぽっきりというICOCA大回りを楽しみました。
 駅弁もいただきました。和田山のホーム・ベンチで昼飯にしたのは京都で買ってきた「京風だし巻と牛すき重」です。目の前に止まっている気動車、キハ40のガラガラというディーゼルエンジンのサウンドをバックに、風に吹かれていただきました。

 京都では、ホームの立ち食い、麺家の「朝定食」をいただきました。現役時代には、東京出張の折によく食べた思いでの味です。

 姫路での足跡は、これしかありません。ホームにある「まねき」の「えきそば」です。黄そば(中華そば)と和風だしが、絶妙のマッチングです。

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伊勢参り その2 JR奈良線に沿って木津まで

 歩いてお伊勢参りの2回目です。JR城陽から奈良線とつかず離れずで木津まで歩きました。奈良までのつもりが、すでに18.5キロも歩いていました。
 梅雨の中休みです。街道歩きには幸いなことに、からりとは晴れ上がりませんでした。それでも暑かったです。
 半袖のTシャツ姿でした。家に帰ってシャワーを浴びてびっくりしました。首と腕に、くっきりと日焼けの段差ができていました。これからの伊勢参りの旅には、日焼け対策が必要です。

 奈良街道の長池の宿辺りを歩いていると、「カン、カン」と踏切の音がしました。路地をのぞき込むと、みやこ路快速が通過しました。現代の飛脚か早馬ですかね。

 青田の中をブルーの電車がさっそうと横切ります。

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旅の写真 10日間 vol.10 グムンデン

 オーストリア・ザルツカンマーグートの町、グムンデンです。予定もしなかったOeBB(国鉄)の駅での途中下車でした。
 乗客はみんな降ります。どうしたのかと戸惑っていると、隣の席のおじさんが「ここからはバスで行くんだよ。ついておいで」と。横に旧市街に向かうトラムが停まっていました。
 鉄道は不通になっていたようです。バスはトラウン湖岸を走り、思わむ景色を楽しました。
 バスを降りたときに振り返ると、窓に「代行」と表示されていました。

 おかげで、湖に浮かぶ美しい村、世界遺産のハルシュタットの滞在時間が短くなってしまいました。

 土産物店で緑色のラインが鮮やかなグムンデン焼きにひきつけられました。カルパッチョなんかを盛るときに重宝しています。
 最初にザルツカンマーグート観光したときのツアーガイドが、グムンデン焼きをバカにしたような案内をしました。わたしにとっては思い出深い町になりました。

 その旅の最終地のジュネーブです。GPL(ゴールデン・パス・ライン)の展望車の先頭に乗って、スイスの山岳田園風を楽しみました。モントルーからレマン湖を眺めて到着しました。
 気が緩んでいたのでしょう。ビールを飲んで、コルナヴァン駅(中央駅)の小荷物窓口に向かいました。でも、とっくに閉まってました。ゲペックという便利な託送サービスでスーツケースを預けていました。ここで受け取らなくては、翌朝の帰国便に間に合いません。
 案内の腕章をした駅員に助けを求めると、「ここで待ってなさい」と保管場所から2個のスーツケースを持ってきてくれました。 

 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を鑑賞しました。
 到着したマルペンサ空港でシャトルバスに乗り込みました。でも、なにかヘン!「Milano Centarale?」。運転手に確かめました。「No,No! あっちだよ」。おかげで旅の初日から迷子にならなくてよかったです。

 どの旅でも旅行傷害保険はかけていました。でもロスト・バッゲージにもあわず、使ったことはありません。それでよかったのです。
 スペイン巡礼では、その日の日課を歩き終えた午後は、シャワーを浴びてのんびりとビールでくつろぎました。
 そんなときにLINEに呼び出し音が響きました。パリ在住40数年という中学時代の同級生のマダムからでした。「困ったことができたら、いつでも連絡してよ。サンジャック(巡礼のゴールのサンティアゴのフランス語読み)にも知り合いがいるから」。これが、最大の安心保険でした。

 オーストリアとスイス、ドイツが接するボーデン湖の湖上につくられたブレゲンツ音楽祭の舞台です。

 大きな目が背景となった湖上の舞台で、プッチーニのオペラ「トスカ」を楽しみました。
 これもいうなれば偶然でした。この旅では、ルツェルン音楽祭を見るはずで、旅行代理店にチケットを手配していました。ところが、直前になって「席が取れませんでした」。あわてて調べたら、同じ日がブレゲンツの最終日でした。
 それ以来、旅はすべて自分で手配しています。航空券も、ホテルもコンサートも。
 さて、次に旅立てるのはいつになるのでしょうか・・・。

 あ、これで完結です。バトンを引き継ぐのを忘れてました。どなたか、お願いします。

旅の写真 10日間 vol.9 ベルン

 ベルンのトラムは真っ赤っかでした。石造りの町に調和していました。
 時計塔を抜けてトラムは走っていました。

 国旗も、窓の花も赤です。

 アーレ川を渡ります。

 どちらを向いても絵になる街でした。

 公園のちびっこの何気ない表情まで、絵になりました。

 ルツェルンにも架線は張られていました。でもこれはトロリーバス用でした。
 わたしは黄、赤、水色の旗にカメラを向けました。開催中のルツェルン音楽祭のシンボルでした。

 ルツェルン駅のすぐ横にあるルツェルン美術館のホールです。
 ここでラベルのピアノ協奏曲を聴きました。ピアノの横の青いドレスがマルタ・アルゲリッヒ。横で手を挙げているのが指揮のシャルル・デュトワでした。

 

旅の写真 10日間 vol.8 プラハ

 とりあえずの「8」です。プラハの街角に停まっていた旧東ドイツの国民車・トラバントの改造車です。EU加盟後も、独自通貨のチェコ・コルナ(CZK)を使っているチェコですが、タイ式マッサージ店の広告で、お代は8EURでした。
 トラムはいっぱい走ってます。渋滞で数珠つなぎになった後ろはプラハ城です。 

 石畳の上を走ります。ビルができる前から走っていたのでしょうか。

 チェコといえばビールです。バドワイザーの発祥地です。
 名物ピヴニツェ(ビアホール)の「ウ・カリハ」は、ハシェクの「兵士シュベイクの冒険」の舞台になったそうです。といってもよくわかりませんが、壁には小説を題材にした落書きがあり、主人公・シュベイクなどのグッズも売っていました。

 同じポーズでジョッキを掲げました。
 南部ボヘミアのチェスキー・クルムロフは、世界遺産の古い街並みと城が美しかったです。
 まっ先に目指したのが、1560年創業の地ビール醸造所「エッゲンベルク」でした。ちなみにお代は、0.51リットルの大がたったの25クローネ(約100円)でした。

 プラハの市民会館でもビールを飲みました。アルフォンス・ミュシャが意匠を手掛けた素敵なレストランでした。
 ここのホールで「プラハの春音楽祭」が始まり、スメタナの「わが祖国」が演奏されます。

 音楽祭の水色の垂れ幕が下がるルドルフィヌム(芸術家の家)です。

 ここのドボルザーク・ホールで、バッハの「ヨハネ受難曲」を聴きました。
 ペーター・シュライヤー(テノール歌手=舞台中央)が指揮をし、物語を進めるエバンゲリスト(福音史家)を歌いました。バッハの宗教曲にに引き込まれるきっかけとなった夜でした。

旅の写真 10日間 vol.7 ベルリン

 「7」がないって? ベルリンを走るトラムです。旧東ドイツ側のテレビ塔から見下ろしました。7両編成です。急カーブを曲がれるように、短い車体が数珠つなぎになっています。共産党独裁時代に建築された、コンクリートで規格化されたような味気ない街並みを走っています。
 現代のLRTは、車いすにもワンコにも優しいです。
 旧西ドイツ側にはトラムの姿はありません。

 東西統一の象徴である連邦議会は、シュプレー川の遊覧船からもよく見えます。この裏手にブランデンブルク門があります。

 ベルリン大聖堂は、ひときわ目を引くドームが印象的な建物です。結婚式が行われていて、壮大なパイプオルガンがメンデルスゾーンの結婚行進曲を奏で始めました。

 ベルリンを3度も訪れたのは、これがあるからです。
 ヘルベルト・フォン・カラヤン通りを期待に胸膨らませて歩いてくると、ここにやってきます。ベルリン・フィルハーモニーです。左が大ホールです。

 マリス・ヤンソンスが指揮するドボルザークの「新世界」が終わったところです。ヤンソンスの一挙手一投足にくぎ付けになりました。間違いなく、これまでに聴いた最高のシンフォニーでした。

 サイモン・ラトルは大阪・シンフォニーホールでも聴いています。でも違いました。
 ブラームスの「交響曲2番」の一糸乱れぬ大爆発でした。金管が弾けてその風圧に圧倒される中に身を置きました。

 樫本大進がコンマスと務めるステージです。
 ピアノのアリス・紗良・オットが裸足で、天女のようにヒラリと登場しました。残念ながらその画像はありません。

 後日、ベルリンフィル・デジタル・コンサートホールにアップされた紗良・オットの姿を、自宅でゆっくりと楽しみました。
 旅の楽しさは、何度でも振り返ることができる思い出を作ってくれることです。

 
 

旅の写真 10日間 vol.6 コペンハーゲン

 コペンハーゲンにはトラムは走っていません。全廃されてしまいました。
 朝の通勤ラッシュです。皆さん、自転車をこいでました。健康的ですよね。
 おとぎの国のお城のようなコペンハーゲン中央駅を出発する「IC3」型の気動車です。「ヤツメウナギ」の愛称をもつデンマーク国鉄(DSB)の顔です。車両端には、ゴム製の大きな連結幌がついています。このため、編成連結が簡単という、すこぶる合理性を備えたデザインです。ホームからの転落防止にも役立ちます。 

 ハンブルクに直行する奥さまのツアーと別れて、ひとりコペンハーゲンまで回り道したのは、「渡り鳥ライン」と呼ばれる海峡横断鉄道に乗りたかったからです。
 ドイツ国鉄(DB)自慢のICE気動車版、ICE-TDでコペンハーゲンを出発。ロービュからのバルト海19キロは、列車ごとフェリーに乗り込んで渡りました。45分の船旅まで体験しました。ただ風が強いばかりでしたが。

 ドイツのプットガルテンに上陸しました。列車の横を大型トラックも走ってました。
 このルートは2019年から運休になり、現在は陸上ルートになっています。

 ハンブルクのレーパーバーンは飾り窓で有名です。ビートルズが活動を始めた街でもあり、「ビートルマニア」というミュージアムがありました。
 わたしは「ミニチュアワンダーランド」を楽しみました。鉄道模型とジオラマの驚愕スポットです。計12kmにもなるHOゲージ線路が敷かれ、890両の車両が縦横に動き回っていました。

 ハンブルクから遠くない塩の町、リューネブルクの聖ニコライ教会です。ここで奥さまたちの女声アンサンブルが日曜ミサに献歌しました。
 高いドームに、澄み切った声が響き渡りました。

 同じハンザ同盟都市のリューベックにあるホルステン門は、その重みから傾いています。
 左にそびえているのがマリエン教会です。バッハがパイプオルガンを聴くため、はるばる数百キロの道のりをやってきたそうです。

 で、無理やりにこじつけてバッハがカントールとして活躍したライプツィヒの聖トーマス教会です。
 ここでBCJのバッハ「マタイ受難曲」を聴きました。

 ライプツィヒ中央駅には、トラムがひっきりなしにやってきました。

旅の写真 10日間 vol.5 グラーツ

 オーストリア第2の都市、グラーツには2010年と19年に訪れました。旧市街のハウプト広場は同じですが、走っているトラムはLRTに変わってました。わたしは味のある古い車両の方が好きです。
 わざわざグラーツまで観光に出かける人はそれほど多くはないでしょう。わたしは、1854年にアルプス山脈を越える初めての鉄道として開通したゼメリング鉄道のルートを走りたかったのです。
 その後、息子がグラーツに本社がある企業に転職して、たびたび出張するようになりました。奥さまも「どんなとこか行ってみたい」となりました。

 鉄道のグラーツ中央駅前は、きれいに整備されてトラム駅は地下化されていました。そこへ博物館から出てきたような旧型車がやってきました。

 ライプツィヒの聖トーマス教会近くにある鉄道模型店でみやげに買った車両です。なんとこのモデルでした。

 行先字幕にエッゲンベルクとありました。最初の旅では、時間切れでした。 

 エッゲンベルク城の「日本の間」には、17世紀初頭に制作された大坂城を中心に町の様子が描かれた「大坂図屏風」が残っています。古伊万里などとともに、ここまで渡ってきてました。8曲の屏風は1扇ごとに解きほぐされ、壁面に張り込まれていました(内部は撮影禁止)。

 おとぎの国のお城のようでした。

 グラーツは大指揮者、カール・ベームが生まれた地です。ザルツブルクで亡くなりましたが、墓はグラーツにあるそうです。
 このサインは、ウィーンのオペラ座近くの歩道に埋め込まれていました。

 ザルツブルクの郊外には、もうひとりの大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンが眠っています。わざわざ墓参りに訪れました。意外なほどに質素な墓でした。

 ザルツブルク音楽祭では、祝祭大劇場でベルリオーズの「幻想交響曲」を聴きました。初めて聴いたウィーンフィルハーモニーの弦が限りなく美しかったのを覚えています。

旅の写真 10日間 vol.4 ゲント

 ベルギーの古都、ゲントでは遊覧船からレイエ川に沿って建ち並ぶ壮麗なギルドハウスや鐘楼などを眺めました。
 ガイドさんは「トラムに乗ってモスコーにも行けるんですよ」と、橋の上を横切るトラムを指さしてしゃれていました。

 トイレが借りたくて入ったマクドナルドの窓からも、こんな眺めです。
 向こうにそびえる聖バーフ大聖堂には15世紀フランドル絵画の最高傑作といわれるヤン・ファン・エイク作の「神秘の子羊」がありますが、ミサ中で見ることはできませんでした。16世紀につくられた本格的なカリヨン(複数の釣り鐘からなる楽器)もあったようです。

 カリヨンの音を間近に聞いたのは、アントワープのノートルダム大聖堂でした。「フランダースの犬」のネロが憧れたルーベンスの3つの祭壇画が飾られていました。
 細い路地を縫うようにかわいいトラムも走っていました。

 馬車のパレードにはデン・ハーグで出会いました。アムステルダムから列車で1時間ほどのところです。
 その日は、年に1度の国王のパレードが行われていて、町は大混雑でした。おかげで、わざわざやって来たマウリッツハイス美術館は臨時休館でした。 

 フェルメールの名画「真珠の首飾りの少女」は、東京まで旅してきたときに出会ってました。もう一度、ゆっくりと会いたかったのです。

 フェルメールの絵画は37枚しか残っておらず、それが世界中に散らばっています。
 アムステルダム国立美術館にはそのうちの4点が、さりげなく並んでいました。フラッシュをたかなければ、カメラ撮影もOKでした。

 ウィーンの美術史美術館には「絵画芸術」が、あまたの作品の一つとして飾られています。
 「世界一きれい」といわれる美術館内のカフェでゆったりとしました。

 ベルリンの国立絵画館には2作品が所蔵されています。ところがお目当ての「真珠の首飾り」は見当たりませんでした。館員に尋ねると「東京に行っているわ」。

 ドレスデンのアルテマイスター絵画館は、ラファエロの「システィーナのマドンナ」で有名です。フェルメールの初期の作品「取り持ち女」はその後、大阪にもやってきました。

 絵画館の隣にはゼンパーオーパー(旧ドレスデン国立歌劇場)があります。ここでメンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルト(メンコン)を聴きました。
 窓からは王宮やフラウエン教会(聖母教会)がよく見えました。黄色いトラムも風景に溶け込んでいました。