ベルリン フィルハーモニーのプレッツェル

【6/10】
今回の旅の総仕上げは、ベルリン・フィルハーモニーで聞いたベルリンフィルの定期演奏会でした。その感動は、ベルリンで「ベルリンにやって来てよかった フィルハーモニーに酔った夜」と書いています。
Berliner Philharmonie/ベルリン・フィルハーモニーは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地のホールの名前です。
演奏会が始まる1時間以上前にいそいそとやってきました。ポツダム広場駅で地下鉄をおり、SONYセンターのあたりまでくると、演奏会に向かう人がぽつぽつと歩いてます。後をついていくと、そのままホールのロビーに入ってしまいました。
さっそく白ワインです。プレッツェルもかじりました。
ボーデン湖畔でのブレゲンツ音楽祭でも、「トスカ」の開演前に白ワインを飲み、プレッツェルをかじったのを思い出しました。

水は自由に飲めます。こちらでは水は有料なので、珍しいです。カップは三角錐でテーブルに置くことはできません。なんらかの意図があるのでしょう。

ドレスアップした人たちが、思い思いに開演を待ちます。

正面入口には、チケットの確認ゲートもありましたが、わたしがいるのはその内側。最後までチケットを見せることはありませんでした。

このホールは1963年に竣工しました。五角形のヴィンヤード型で2,440席あります。

わたしの席からの眺めです。指揮のマリス・ヤンソンスの動きがよく見えました。こんなに楽しく、すばらしい演奏会はありませんでした。

パイプオルガンは、右側にあります。

休憩時間には、庭に出てくつろいでいる人もいます。このあたりは、外部との境はありません。ということは、ホールにいくらでも紛れ込んでくることもできるはずです。

ドイツやその他のヨーロッパ各国には、列車に改札口がありません。列車はすぐに検札にきますが、トラムや地下鉄はたまに抜き打ちで私服係員が検札に回ってくるくらいです。
チケットをもっているかどうかは、双方の信頼関係の上に成り立っているということなのでしょうか。

感動の演奏会が終わって、フィルハーモニーを後にしました。

昼間に訪れたフィルハーモニーです。その右のドームがSONYセンターです。

フィルハーモニーの前は、ヘルベルト・フォン・カラヤン通りです。

ネットで確保したチケットです。
ベルリン・フィルはS席で2枚で250EUR(約25000円)でした。数年前に大阪・シンフォニーホールで聞いたベルリン・フィルは、さして良い席ではありませんでしたが、それでも1人でそれくらい支払ったはずです。
真ん中は、ライプツィヒ-ベルリン間のDB(ドイツ国鉄)の乗車券です。ベルリンの市内交通が到着日の1日乗り放題というサービスをつけています。
ホテルももちろん、ネットで予約しました。
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ワイマール ゲーテ街道、わたしにはバッハ街道

【6/9】
ロマンティック街道やメルヘン街道は、ドイツでも人気の観光ルートです。ゲーテ街道は、ちょっとイマイチのようですが、文豪・ゲーテが生まれたフランクフルトから終焉の地・ワイマール、さらに学生時代を送ったライプツィヒを結ぶ400キロのルートです。
10数年前に、このルートを取材で訪れたことがありました。
ワイマールは、一番印象深かった町です。「古典主義の都ワイマール」として、世界文化遺産に登録されています。
City Castle/市の城も、登録文化財です。

もう一度訪れたいと、ライプツィヒからICE(特急)でやってきました。でも駅を出ると、雨。旧市街まで15分ほどということで、歩き始めましたが、やーめた。引き返してバスを待ちました。

ワイマールといえばこの人です。
ゲーテ(左)とシラーです。ザクセン=ヴァイマル公国の時代に、ゲーテは宰相として仕えました。

2人の像は国民劇場の前に立ってます。
ワイマールは、第1次世界大戦後の1919年、憲法制定会議が行われた地でもあります。この国民劇場で制定されたのがワイマール憲法です。

雨があがって、気持ちの良い木陰の道です。

マルクト広場に面した市庁舎です。広場には市がたっていました。
前の旅では、ここでニンニクを麦わらにつけた飾り物をみやげにしました。

結婚届を市役所に提出するためにやってきたカップルと出会いました。2人は、きれいにドレスアップしてますが、まわりの親族らは平服です。

ゲーテ・ハウスはゲーテが長らく暮らし、亡くなった家です。そのまま残っています。
入ろうとすると、時間制限があるようで、「次のガイドツアーは15:30からよ!」と。よく理解できないでいると、わざわざ紙に「15:30~」と書いてくれました。とてもそこまで待ってはいれないので、入場はあきらめました。

ゲーテ・ハウスの南側です。ちょうど大きな木の下あたりに、ゲーテが「もっと光を」といって亡くなった部屋があったはずです。

観光馬車が走ります。

わたしにとって、このルートはバッハ街道でもあります。
ワイマールは、バッハが宮廷楽長として過ごした町です。
もう少し西に行くと、バッハが生まれたEisenach/アイゼナッハがあります。ここももう一度訪れたい町でした。でも、ゆっくりと旅したかったので、あきらめました。

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止まれ 止まれ 進め ドレスデンの歩行者信号

 【6/6】
 ドレスデンの町角です。
 「止まれ!」。歩行信号が赤です。

 こちらも通せんぼをするように「止まれ!」

 「進め!」

 それにしてもかわいいデザインです。
 東西ドイツ統一後、歩行信号は一度はもっとあっさりとした西ドイツ・デザインに統一されました。でも、あの東ドイツ時代の方がよかったと復活した信号です。
 信号デザインに関する限りは、壁の向こうの方がちょっとばかり人間くさかったということなのでしょう。すべての事象を、ワンパターンで右か左かと捕らえることの危うさを物語っているようです。

 このデザインに興味がおありのかたは、コチラもご覧ください。日本語ページもあります。

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音楽、あるいはビール三昧の旅

 【6/3】 
 音楽三昧の旅にいつわりはありませんでした。でも、ビール三昧の旅でもありました。昼、夜、昼、夜…。よく飲みました。
 旅の出発は、チェコ南部の町、チェスキー・クルムロフでした。そして最初に向かったのが「Eggenberk/エッゲンベルク」という地ビール醸造所でした。
 「エッゲンベルク・ラガー」は、手前0.51リットルが25クローネ=約100円、向こう0.31リットルが15クローネ=約60円と、びっくりする価格でした。
 チェスキー・クルムロフ エッゲンベルクの地ビール

 【6/2】
 チェコでの最初のビールはこちらでした。プラハのホテルに着き、ミニバー(冷蔵庫)から取り出した缶ビールです。ヘルシンキ空港で買ったパンをかじりました。
 Pilsner Urquell/ピルスナー・ウルケルは、ピルスナーと呼ばれるラガー・ビールの元祖のようなビールです。

 【6/3】
 チェスキー・クルムロフの細い路地にあった陽気なピザ・レストランで飲みました。
 「Budvar svetle」(0.31リットル、135クローネ=約540円)には「Budweiser」の表記もあります。日本でおなじみの「バドワイザー」は、米国産(アンハイザー・ブッシュ社)です。本家・チェコのBudweiserとは、商標を巡って訴訟が繰り広げられました。
 「バドワイザー」の名称は、中世以来のビール産地である南ボヘミア州のチェスケー・ブジェヨヴィツェのドイツ語読み地名からきています。ここは、チェスキー・クルムロフの往復時に通りましたが、何度呼んでも覚えられない地名です。
 チェスキー・クルムロフ 陽気な夜にピザをかじる

 【6/4】
 プラハに戻ってきて、アルフォンス・ミュシャが意匠を手がけた「市民会館」のレストランで飲んだピルスナー・ウルケルです。
 プラハ 「市民会館」の経済的昼飯

 【6/5】
 ドレスデンに向けて出発する前に、プラハ本駅のカフェで飲んだバドワイザーの缶です。
 プラハ本駅と「food issimo!」のボロネーゼ

 【6/6】
 朝からビールです。最高です。
 ドレスデンのGemäldegalerie Alte Meister/アルテ・マイスター絵画館で、フェルメールに会いました。絵画館の売店は、結構な数に入場者でしたが、ちょっと離れたところにあるしゃれたカフェは静かでした。
 Ur-Krostitzer/ウア−クロスティッツァーの黒を飲んでます。ライプツィヒ北郊外にあるKrostitz/クロスティツという町で作られているピルスナーです。ライプツィヒ滞在中によく飲みました。 

 ライプツィヒ到着後、真っ先に向かった「アウアーバッハス・ケラー」です。なにもいわずとも地ビールのUr-Krostitzer/ウア−クロスティッツァー 0.5L(4.4EUR=約440円)でした。
 ライプツィヒ 森鴎外も通った「アウアーバッハス・ケラー」

 【6/7】
 ライプツィヒの中心、マルクト広場の脇にあった「Nordsee」は、カフェテリア方式の海鮮レストランです。料理を頼んだ続きにビールを2本、取りました。銘柄に合わせたグラスを出してくれます。
 Bitburger/ビットブルガーは、ドイツではポピュラーなピルスナーです。
 Erdinger Weisse(エルディンガー・ヴァイス)は、さっぱりとした、こちらも人気ビールです。
 ライプツィヒ 海鮮バイキング「NORDSEE」のお勧めメニュー 

こちらはマルクト広場のAlte Rathaus/旧市庁舎の1階にあるレストランで、その名も「Das Alte Rathaus」です。ここもUr-Krostitzer/ウア−クロスティッツァー 0.5L(3.7EUR=約370円)でした。
 ライプツィヒ 「Das Alte Rathaus」のシュパーゲル

 【6/8】
 ライプツィヒの町をふらふらとしてパスタ・レストランの「VAPiANO」での昼飯です。
 目の前でパスタを作ってもらい、2階に上がると飲み物コーナーがあり、当然頼んで出てきたのがこれです。
 Krombacher Pils/クロンバッハ・ピルスは、ケルン東方で作られているようです。
 ライプツィヒ 「VAPiANO」のPASTA VONGOLE

 【8/9】
 ワイマールの「HOTEL ELEPHANT」です。緑いっぱいの中庭でのんびりと飲んだのは、Sternquell/シュテルンクエルです。ドイツ東部Plauen/プラウエンにあるビール醸造所の出身です。
 ワイマール 「HOTEL ELEPHANT」の優雅な時間

 そしてもう一度、ライプツィヒ 「Das Alte Rathaus」でシュパーゲルを食べ、飲んだのはUr-Krostitzer/ウア−クロスティッツァーでした。

 【6/10】
 ドイツ最後のビールとなったのは、ベルリンのブランデンブルク門近くにあるウィーン風カフェ「EINSTEIN」でのはSchneider Weisse/シュナイダーヴァイセのHefe dunkel 0.51リットル(4.5EUR=約450円)でした。
 ベルリン 「EINSTEIN」のターフェルシュピッツ

 この後のFINNAIR帰国便では、フィンランドのビールを飲んでます。

 

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FINNAIRの機内食 帰国便

【6/11、12】
帰りは、ベルリン・テーゲル空港→ヘルシンキ空港→関西空港とFINNAIR/フィンランド航空で帰国しました。
ヘルシンキ出発後に食べた夕食です。このときはパスタとカレーかなにかの選択だったと思います。もう1カ月近く前の旅の思い出です。記憶もだいぶあいまいになってます。

メーンはチキンとトマト味のペンネです。サーモンがついてます。

飲み物は、ビールとワイン以外は有料です。しかも、ホットミールについてくるだけです。ちょっと残念でした。
選んだビールは「Sandel」です。チェコ、ドイツでおいしいビールを飲み続けた後だけに、ちょっと頼りない味でしたが、一気に空けてしまいました。

もう1本は、同じOLVI社製の「OLVI」です。隣の同行者から回ってきました。こちらの方が、アルコール度は高い印象でした。

ベルリン離陸後の機内食は、簡単にパンとコーヒーです。2時間ほどのフライトですから、こんなものでしょう。

日本のサンドイッチのようにしっとりと柔らかいパンには出くわしません。

中国・大連上空まで戻ってきて最後の朝食です。チーズバーガーがメーンでした。

ネットで調べた格安航空券で、FINNAIRは欧州系航空会社では一番安かったです。それに、ヘルシンキ経由というのが選択の理由です。これまでにオランダ・スキポール空港経由のKLMなどで旅してきましたが、バルト海上空まで飛行してきた後の2時間ほどが、やたらと長く感じたものです。ヘルシンキなら、日本からは時間的に一番近いヨーロッパです。

追加 【6/2】

行きの便の最初の機内食は
は、ヘルシンキ空港かで書いてます。
もうひと品を食べていたので、追加です。ハンバーグ・ライスです。

飲み物は、2回とも白ワインでした。

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ライプツィヒ 聖ニコライ教会とシュタージ

【6/7、8】
ライプツィヒの聖ニコライ教会は、聖トーマス教会とともにbachfest/バッハ音楽祭の演奏会場のひとつとなる教会です。聞けませんでしたが今年もここでトン・コープマン指揮のアムステルダム・バロックオーケストラが演奏しました。

ここは、東西ドイツ統一の流れを生み出した「月曜デモ」が行われた教会でもあります。
1982年9月の月曜日、集まった数百人の信者らが「平和の祈り」の後に市内を行進しました。それがどんどんと膨らみ、89年10月9日には7万人の市民が「Wir sind das Volk!(われわれは市民だ!)」とシュプレヒコールをあげて環状道路を埋め尽くしました。ホーネッカー書記長は弾圧する方針でしたが、ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の指揮者、クルト・マズーアらの呼びかけでデモは平穏に終了。その直後にホーネッカーは失脚しました。

教会は1165年の創設とライプツィヒで一番古いですが、その後に改修の手が入っています。
内部は明るく、柱の上部は南国の植物をかたどっているように見えます。

北側に広い広場があります。ここもデモの人並みに埋まったのでしょう。

環状道路沿いにはルンデ・エッケと呼ばれる威圧的な建物が残っています。現在は「ライプツィヒ・シュタージ博物館」となっています。シュタージとは、東ドイツ時代の国家秘密警察のことで、国民の8人に1人は関係があったといわれているそうです。

壁には「1950-89年の間はライプツィヒ秘密警察の管理領域だったが、89年12月4日の月曜デモで市民に占拠された」と書かれています。

ルンデ・エッケの前には、ベルリンの壁の一部が、記念物として移設されていました。
ライプツィヒからわき上がった東西ドイツ統一の願いの声が、この壁をも壊す平和革命につながったのです。

博物館には入りませんでしたが、内部の壁には何枚かの写真が張られていました。
わたしはこの1枚をはっきりと覚えています。
当時、わたしは新聞社の国際面デスクをしており、最後は50万人にまで膨れあがったデモを驚異の目で見ていました。外国通信社から配信されてきたこの写真を、出稿(新聞記事にすること)しました。
改めて画像を見ると、オペラ座の裏手にある環状道路沿いのビルから写されていることがわかります。オペラ座の向こうにゲバントハウスが見えます。

ゲバントハウスから写したアウグスツゥス広場です。正面がオペラ座です。この広場を群衆が埋め尽くしたのです。写真右に写っている高層ビルから、上の歴史的カットは撮影されたのでしょう。

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ライプツィヒ バッハの聖地、聖トーマス教会

 【6/7~9】
 小学校の音楽教室に掲げられていたのと同じ顔です。Johann Sebastian Bach/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)です。
 バッハが後半生の30年近くをカントール(教会音楽監督)として過ごした聖トーマス教会のステンドグラスに、バッハがいました。

 教会内の主祭壇の前にあるバッハの墓標です。

 教会の天井は、見事な幾何学模様です。

 後ろの2階にオルガンがあり、演奏が行われます。この時は、合唱のリハーサルが行われていました。
 ここで7日夜にbachfest2012のオープニングコンサート、8日夜はバッハ・コレギウム・ジャパンの「マタイ受難曲」を聞きました。

 教会の横にバッハの像が立っています。
 上着の左ポケットの中身が外に出ているのは、「金がない」ことのアピール。ベストのボタンが一つだけ外れているのは、指揮棒をさっとしまうためだそうです。
 そんな説明を10数年前、初めて訪れたときに聞きました。

 教会の正面です。この花壇の左にメンデルスゾーンの像が立ってます。

 マンホールもしゃれて見えます。

 教会を出ると金管の音が響いてきました。少年3人が、一生懸命トランペットやホルンを吹いていました。ちょっとしたアルバイトかもしれません。あまりのかわいらしさから、「投げ銭」をする人が多く、町のあちこちでパフォーマンスを繰り広げるプロのミュージシャンよりよほど稼ぎが多いようでした。

 教会の横の広場です。芝生の上でみんなが、思い思いにくつろいでいます。ゆっくりと時間が流れていました。

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プラハ 窓から見上げるプラハ城

【6/2~5】
2日夜、プラハ空港からタクシーで到着、チェックイン。
3日朝、午前9時プラハ本駅発のチェスキー・クルムロフ行き列車に乗るためにチェックアウト。スーツケースを預け、身軽に地下鉄で出発。
4日夕、プラハに戻り、旧市街などを散歩してチェックイン。
5日朝、チェックアウト。スーツケースを預け、ペトシーン公園からプラハ城まで散歩。昼過ぎにホテルに戻り、スーツケースを引き取って呼んでもらったタクシーでプラハ本駅へ。EC(国際急行)でドレスデンへ。

これが存分に利用したホテル「B.W. PREMIER ROYAL PALACE」です。マラー・ストラナ地区にあります。地下鉄A線のマロストランスカー駅にも近くて便利でした。
3日の朝食は、午前7時のオープンとともに食堂に行ったので、まだ温かい玉子料理はなく、パンも届いていませんでした。

こちらはちょっとゆっくりといただいた5日朝です。

こぢんまりとした静かなホテルでした。

部屋の窓からプラハ城が見上げられるという抜群のロケーションです。

ライトアップが始まったプラハ城です。

2泊目は、旧市街を向いた部屋でした。
ブルタヴァ川岸から観光用のアドバルーンが上がっていました。ペアシートがぶら下がっていて、上空から旧市街を眺めることができます。

古い建物を改装したホテルです。

B.W. PREMIER ROYAL PALACE
LETENSKA 11 PRAGUE CS 11819 CZECH REPUBLIC
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プラハ 茶色い甍が波打つ町

【6/5】
プラハのブルタヴァ川西岸の丘の上にあるペトシーン公園を散歩しました。そのはずれのストラホフ修道院の庭から眺めたプラハです。左にプラハ城と聖ヴィート大聖堂がそびえます。その右に広がる茶色い甍がマラー・ストラナです。

ペトシーン公園にはケーブルカーで上がります。乗車券は市内交通と共通です。でも、もっていなかったので自動販売機で購入しました。
発車間際にドドーッと学生風の一段が乗り込んできて、いっぱいになりました。

振り返ると、木々の間からブルタヴァ川と旧市街がのぞきます。

プラ八っ子のデートスポットとなっているペトシーン公園ですが、平日とあって人影はまばらです。バラも満開はまだ先のようです。

シンボルとなっている天文台です。1928年に完成したそうです。

ブラブラとスタラホフ修道院まで歩き、さらにプラハ城までやってきました。
振り返ると向こうに天文台がそびえています。

「百塔の町」という表現が理解できる旧市街です。ティーン教会の尖塔が美しいです。

中央がカレル橋です。写真ではその下の左側の大きな建物が、2泊したホテル「B.W. PREMIER ROYAL PALACE」です。

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ベルリン 朝の博物館島を歩く

【6/11】
旅の最後の朝です。
泊まったのは、ベルリン中心部を南北に貫くフリードリヒ通りのシュプレー川沿いにある「Meliã Berlin」でした。
朝の博物館島を散歩してから食べた朝食です。果物が豊富でした。向こうの人は、これにヨーグルトをたっぷりとかけて最初に食べてますが、わたしは最後に果物だけをいただきました。

いろんな果物が並びます。

部屋も広く、満足のホテルでした。これで料金はVAT(付加価値税)7%を入れて99.01EUR(10141円)でした。もちろん2人分の朝食付きです。
東京だと狭いシングルのビジネスホテルに泊まっても、朝食抜きでこれ以上します。

Meliã Berlin
Friedrichstr. 103, Mitte Berlin, 10117
+49 (0) 30 20607 900

ホテルを出てちょっと歩くと、5つの博物館が集まっていることからMuseumsinsel/博物館の島と呼ばれるシュプレー川の中州に行き着きます。北端のドームがあるのは「ボーデ博物館」で
、中世以降の宗教的彫像などがコレクションされています。早朝ですから、まだ開館したません。

こちらは「ペルガモン博物館」の入口です。
古代ギリシャのペルガモン(現トルコ)で発掘された「ゼウスの大祭壇」が再建されているそうです。
他国から略奪してきた品々を、国の宝として自慢する神経は、島国出身のわたしにはちょっと理解できません。でも、実際に見たら、もっと違った感想を抱いたかもしれません。

ギリシャ神殿のような堂々とした「旧ナショナルギャラリー」です。
ロマン主義、表現主義、象徴主義などのドイツ絵画や、マネ、セザンヌなどのフランス印象絵画コレクションがそろっているそうです。

円柱が並ぶ「旧博物館」の正面です。

壮大なドームが特徴のベルリン大聖堂です。高さが114メートルあります。ちなみに、大阪の通天閣の高さは103メートルです。

たっぷりと朝の散歩を楽しみました。

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