京の三十三食 十一番 松原 力餅食堂北垣商店の衣笠丼

 力餅なら衣笠丼(きぬがさどん)があるかなーそんな気持ちで松原橋を渡りました。川端通の角にある「力餅食堂北垣商店」です。
 これが「衣笠丼」(850円)です。京発祥の丼です。甘く炊いた揚げに九条ねぎをふわりとした玉子が覆っています。金閣寺近くの衣笠山が雪をかぶった姿に似ているところから、そう呼ばれるようになりました。
 山椒をふっていただきます。箸からこぼれそうに柔らかいです。

 きつね丼に玉子丼、天丼、木葉丼・・・とメニューは並びます。ところが衣笠丼が見当たりません。「衣笠丼はないのですか」と尋ねると、おばちゃんは「できますよ」。裏メニューの注文となりました。

 京都五花街の一つ、宮川町の入り口にあります。きれいどころの団扇が並んでいます。舞妓さんも、ここの丼を食べるのでしょうか。

 力餅の商標が額に収まっています。
 力餅食堂は、兵庫・豊岡で明治22(1889)年に創業した餅屋から始まった大衆食堂です。独特ののれん分け制度によって京都を中心に店舗網を広げ、昭和の終わりごろには180店まで増えました。その後は商圏の変化や高齢化により、現在は半数ほどになっているいるそうです。

 力餅食堂北垣商店 
 075-561-1077
 京都市東山区宮川筋5丁目345

 1軒おいて隣は「グリル富久屋」でした。「洋食弁当」を何度か食べたことがあります。

 10年ほど前に産経新聞の夕刊に掲載された記事です。筆者は「どたぐつ」こと、わたしです。

 病院からの市バスを四条河原町の一つ先の河原町松原で降りて、鴨川にかかる松原橋を渡りました。
 松原通は昔は五条通でした。義経と弁慶が出会ったのも、実はここだったという説もあります。

 さすがにこの時間には、カップルが腰かける「等間隔の法則」も証明されません。

 宮川町は、まだシーンと静まり返っています。

今夜の一献 ピメント・デ・Yファーム

 「ピメント・デ・パドロン」(ピメントスという表記もあります)は、スペイン・ガリシアの味です。巡礼のゴール、サンティアゴ・デ・コンポステーラのバルでつまんで感激しました。
 パドロン産のシシトウといった意味です。京都のスペイン料理店で食べたときは「ピメントス・デ・京都」といって出てきました。
 Yさんに万願寺唐辛子の小さいのをいただきました。となればこれしかありません。さしずめ「ピメント・デ・Yファーム」です。
 オリーブオイルで炒めて、岩塩を振りかけただけです。いくつでもつまんでしまいます。

 きれいな色をしています。
 「辛いのあるかもしれんよ」ということでしたが、オールセーフでした。

 「禁酒」して2週間になります。アルコールフリーの夕食にも慣れてきました。
 でも、ノンアルコール飲料は欠かせません。きょうは初めてノンアルのワインです。ちょっとジュースのようですが、気分はスパークリングワインです。いくら飲んでも酔いません。

 ゼブラなすの蒸し浸しです。

 ゴーヤは豚肉と炒めてあります。

 まくわ瓜って、懐かしいです。ぬか漬けにすると、これはイケます。
 Yファーム産の野菜ばかりです。わが家の家計はおお助かりです。おまけに、産直、宅配です。

 食べる鬼灯(ほおずき)もいただいてました。ちょっとかじってみましたが、酸っぱくて例えようのない味です。
 奥さまがシロップ漬けにしました。

孫娘と遊ぶ 「ビー玉バトンリレー」

 孫娘に会いに行きました。前回は「ビー玉迷路」をプレゼントしました。きょうも何かをと、朝からネットを調べて「ビー玉バトンリレー」を急造しました。

 右端のビー玉が2番目のビー玉に衝突、3番目、4番目と衝撃は伝わり、最後に左端のビー玉が勢いよく飛び出します。「運動量保存の法則」といいます。
 実際には製作精度の悪さから、全体がブラブラと揺れてます。左右両端の赤いビー玉だけが動くはずでした。
 そんな難しいことはわからない孫娘は、チャラチャラと球を動かして遊んでくれました。

 7個のビー玉がぶら下がっています。

 ありあわせの角材やベニヤ板の切れ端で作りました。半時間ほどの作業でした。 

 ビー玉は残ってますが、赤や黄色のきれいなのが足りません。車で5分ほどの百均まで走って、買い足してきました。

 赤い絹糸を、エポキシ系接着剤で固定しました。
 同じ高さになるよう、ボール紙で台をつくって調整しました。

 2人の孫娘の名前のシールを張って完成のつもりでした。
 それにしては出来がよくありません。思うように動いてくれません。解決法を思いついたので、「今度、来るときは2号機をつくってくるよ」と約束してきました。

京の三十三食 十番 聖護院 かく谷老舗の「都萌そば」 

 放射線治療を受けている京都府立医大病院の通用口から鴨川畔に抜け、荒神橋を渡って京大病院近くまで15分ほど歩きました。転院したわけではありません。
 にしんそばが大名物の「かく谷老舗」がお目当てでした。天ぷら、やまかけ、にしんの3種そば「都萌そば」(1170円)です。「熱いですよ」と、おばちゃんに念を押されましたが、「はい、結構です」。
 汗をぬぐいながらすすります。色白でつるりとした、のど越し良いそばです。

 最初は天ぷらそばです。最初から山椒がかけられています。そのままいただきます。うまい。
 結構な大きさのエビが現れました。

 2杯目はやまかけです。

 トロリさが増して、ソフトになりました。出汁に沈んだ山芋を、吸い揚げました。

 トリはにしんです。満を持して七味も登場です。

 にしんの棒煮です。甘さは控えめで、しっかりとした身です。

 にしんの脂が出汁に溶け出して、濃厚でパンチのある味になりました。

 三者三様、どれもおいしかったです。
 出発は同じ出汁だったはずですが、ゴールではこれだけ色が違っていました。

 「都萌そば」といいます。なんて読めばいいのでしょうか。
 わたしが「3種の」と頼むと、おばちゃんは「ともえ、ひとつ」と通していました。三つ巴の巴か。3種のそばが競っているのだとそのときは納得していました。
 改めてショーウインドーを眺めて、もう一度納得しました。都萌(ともえ)そばでした。

 名物のにしんそばは、こんな姿です。
 この食べ歩きの一番で登場した「松葉」とあと一店が、京のにしんそば発祥の店と呼ばれるそうです。

 入ったところの1人掛けテーブルでいただきました。どんどんと客がやって来ましたが、ここはわたし1人でした。
 奥に深い店で、テーブル席にカウンターもあるようです。

 「わたしも行きたかった」と奥さま。「まだあるんやね。懐かしい。高校のとき、よく食べに行ったわ」
 奥さまは、近くの岡崎にあった高校に通ってました。

 明治維新のころに先々代が石川県から京都にでてきて、店を構えたのだそうです。間違いなく150年余の老舗(しにせ)です。

 京大病院の南の筋にあります。

 かく谷老舗
 075-771-2934
 京都市左京区聖護院山王町39
 

京の三十三食 九番 出町 出町ろろろの「お昼のろろろ弁当」

 大原の無農薬野菜をふんだんに使ったおばんざいが味わえる京料理処「出町ろろろ」です。
 昼ご飯は、ほとんどの客が「お昼のろろろ弁当」(1320円)です。ちまちまと、まさにちまちまと。手前の2段目に小皿が8皿、向こうの1段目にはご飯と2皿がお行儀よく並んでいます。
 ひと際の存在感あるご飯は、こちらを向けると、見事なおこげです。土鍋で炊いていて、お代わり自由です。

 夏のかきあげは、葉野菜が見事にパリパリに揚がっています。

 山椒が効いたみそ汁も、いい出汁です。

 ふっくらした、甘くないだし巻きは、あんをまとっています。

 2段目の圧巻8連チャンです。それぞれは、下のメニューの番号と照合してください。

 それぞれは、2口か3口で食べられるミニサイズです。でもこれだけ並ぶと見事です。
 「迷い箸はいけませんよ」と注意されそうですが、どれから食べようかと迷ってしまいます。

 箸置きまでしゃれてます。

 午前11時半の開店と同時に入りました。9人が入店して、席数を減らしているのでこれで満席。後からどんどんやって来た客は、みんな断られていました。
 予約不可欠な人気店です。わたしもかつて、入店できなかったことから、朝に電話を入れてました。

 窓の外はやがて、土砂降りになりました。

 病院から歩いて10分ほどの、出町の桝形商店街からちょっと入ったところにあります。

 出町ろろろ
 075-213-2772
 京都市上京区今出川通寺町東入一真町67-1

 アーケードがある桝形商店街で、雨が小降りになるのを待ちました。
 なつかし風情のとうふ屋です。

 原色キラキラの果物店は、ご主人のエプロンまで真っ赤っかです。

 古本屋で絵本を眺めました。1月にやってきたときは、ここで安野光雅さんの「旅の絵本」を買いました。

 きょうも元気な商店街です。

  「出町ふたば」の前は、いつになく行列が短めでした。これ幸いとくずもちを買って帰りました。

 おやつにいただきました。甘さほどほどで、おいしかったです。

京の三十三食 八番 錦 冨美家のしっぽくうどん

 錦(市場)の冨美家といえいば、小さいころは甘党の店でした。たまに大丸まで買い物に来たときは、帰りにここであんみつか何かを食べさせてもらうのが楽しみでした。今も「冨美家なべ(鍋焼きうどん)」で人気の麺類の店として残っています。
 きょうは錦通堺町角の錦店が休みだったので、北に50㍍ほど歩いた本店でいただきました。「しっぽくうどん」(680円)と「かやくご飯セット」(230)です。
 しっぽくとは卓袱。 長崎が発祥の和風中華の卓袱料理のことですが、京都ではかやくうどんです。板麩、かまぼこ、湯葉、厚焼き玉子、椎茸、それに三つ葉が載っています。七味をたっぷりと振りかけていただきました。。

 薄暗い店でした。それは言い訳で、ピントがうどんから外れています。
 控えめであまり主張のない柔らかいうどんです。

 京都のうどんは出汁で食べます。昆布と鰹節のよくきいた、純粋で飾らない味です。
 熱いのに、最後まで吸ってしまいました。

 メニューを見て気になっていた「亀山」です。ショーウインドーを眺めて、そうだ、これだ。焼き餅にあんがのっているのでした。小さいころに食べたことがあります。

 うなぎの寝床のような店です。手前がカウンター、奥がテーブル席です。

 冨美家本店
 075-222-0006
 京都市中京区錦通堺町上ル菊屋町519

 向こうを横切るのが錦です。

 店を出ると、相変わらずの暑さです。バッグの保冷袋から秘密兵器を取り出しました。「ネッククーラー」です。娘が「パチモンだけれど」と、買ってくれました。
 冷媒が密閉されていて、あらかじめ冷蔵庫で冷やしておきます。首に巻き付けるとひんやり、ほっとひと息つけます。家についてもまだ冷たかったです。
 

 角のシャッターが閉まっているところが錦店です。昔から同じ場所です。

 シャッターに張られていた定休日の案内です。新型コロナ対策のようです。2店でローテーション営業してます。従業員はワンセットで足りるということですね。もちろん休日要員は必要でしょうが。

 シャッターを閉めている店もあって、にぎわいはほどほどの錦市場です。
 冨美家の対角が、年末に白味噌を買いに来るのが恒例の「麩嘉」です。

 

京の三十三食 七番 室町 前田珈琲明倫店の名物ナポリタン

 きょうの京都は最高気温が37.7度と、とんでもない暑さでした。できるだけ歩かないですむところと、阪急烏丸から遠くない前田珈琲明倫店で昼飯としました。
 選んだのは「言わずとしれた前田の定番」とメニューにも書かれている「名物ナポリタン」(980円)です。
 鉄板に載っていないのがちょっと残念ですが、昭和の味の喫茶店のナポリタンです。トロリと濃厚な安心のケチャップ味です。
 具材は、ハムにタマネギ、マッシュルーム、ピーマンとまるで教科書通りです。スプーンもついてきましたが、フォークだけでいただきました。

 タバスコを振るかけると、さらにパワーアップします。

 口直しにはお決まりの「レーコー」、いや「アイスコーヒー」(+200円)です。

 旧明倫小学校の教室が、そのまま店になっています。

 壁にかかった額のロゴは、コースターにもプリントされています。
 中国の現代美術作家、徐冰(シュ・ビン)氏によってデザインされた、ありそうでない漢字です。MAEDAと書かれています。

 昭和46(1971)年の創業以来の味だそうです。
 わたしが大学生活を送っていた時代です。喫茶店で初めて食べたスパゲッティとは、こんなものだったのです。

 教室の一つがそのまま店になっています。

 店名はなく、教室表示だけです。ここには1年2組とか書かれていたのでしょう。

 前田珈琲明倫店
 075-221-2224
 京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏山町546-2 京都芸術センター内1F

 明倫校はこの夏、トマトやキュウリをたくさんいただいたYさんの母校です。「懐かしい!」と叫んでくれそうな風景は、さらに続きます。
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京の三十三食 六番 下鴨 音色食堂のランチ(C)

 きょうから8月です。平日はすべて放射線治療にスケジューリングされています。さあ、がんばって「京の三十三食」も食べ進みます。
 わたしが育った下鴨の「廃墟探検」がテーマです。下鴨神社の次の一本松で京都市バスを降りました。通りを東に入ると「音色(おんしょく)食堂」はありました。
 食べたのは「ランチ(C)」です。今どき、ありがたいワンコイン+10円です。
 コロッケとウインナーソーセージ、新鮮野菜とポテトのサラダがメーンです。

 揚げたてなのか、電子レンジで加熱したものかはわかりませんが、サクッとした衣にちょっと甘いコロッケです。昔の肉屋のコロッケを思いだします。

 コチラも甘めの味付けのふんわりとした卵焼きです。おふくろの味でしょうか。

 醤油、ソース、七味の3点セットは、バスケットに入って料理と一緒に運ばれてきます。

 昼のみのランチはA、B、Cの3種類です。一番豪勢なセレクトですが、価格差は40円です。

 一番人気は日替定食で、ワンコインで釣りがきます。
 わたしより先に来店していた3人は、みんなこれでした。3人はバラバラの男性客で、いずれもわたしと同年代でした。

 常連客には、これでもかとサービスは続きます。

 壁一面に紙が張られ、メニューが書き連ねられています。

 「経費節約」とはいえ、新聞社勤めだった身としては残念なことです。

 どなたかのブログで「廃墟」と表現されていたのはこのことです。
 テントははがれ、看板は数年前の台風で壊れてしまい、鉄骨だけです。店名がわかるものはありません。その前に食堂とわかるようなものもありません。何も書かれていないドアを開くには、探検気分の勇気がいります。
 もっとも、内部は予想に反してきれいです。心配は不要です。

 ショーウインドーには、どうしたことか年代物の受験参考書です。しかも東大に京大。下段には2022年版の共通テスト対策本もあり、どうやら現役です。

 店の横の路地(ろーじ)は、わたしの中学への通学路でした。
 おばちゃんに「いつからやってるの?」と聞くと、「わたしがここに(嫁入りして)来たときから60年は変わってません」という返答が返ってきました。
 昭和30年代の後半にも、同じように存在したのです。

 音色食堂
 075-781-2282
 京都市左京区下鴨膳部町1-23

 懐かしさに、路地を北に進みました。
 和菓子の「宝泉堂」がありました。JR新幹線の京都駅にも大きな店舗があります。社長は同級生です。

 この日の京都市の最高気温は37.4度でした。「下鴨探訪」は別の機会にしようと、洛北高校バス停から市バスで帰宅しました。