「青春18きっぷの旅」の第3回は、名古屋の大須観音です。初めてです。そのエネルギーにぶっ飛ばされました。「夏祭り」です。それ以上に、トヨタブームにわく中部経済の熱気がひしひしと伝わってきました。日本中で、一番元気な町を実感しました。
この迫力!
大須式ディスプレーです。すべてがぶら下がってます。
「青春18きっぷの旅」の第3回は、名古屋の大須観音です。初めてです。そのエネルギーにぶっ飛ばされました。「夏祭り」です。それ以上に、トヨタブームにわく中部経済の熱気がひしひしと伝わってきました。日本中で、一番元気な町を実感しました。
この迫力!
大須式ディスプレーです。すべてがぶら下がってます。
「青春18きっぷ」で出かけました。越前・今庄(旧今庄町、現南越前町)です。
歩いているのは、たったのひとりです(わたしはカメラを構えてますが)。なんにもない、街道の宿です。
山寺です。もちろん名前はあります。でも山寺です。
「鳴り瓢(なりひさご)」
堀口酒造です。格子構えがきれいです。「鳴り瓢」の看板がすばらしいです。
「聖乃御代(ひじりのみよ)」
北善酒造も切妻造の町家です。当然ながら杉玉がかかっています。
「白駒(はくこま)」
白駒酒造(京藤家)にかかる、圧倒的迫力の額です。
「百貴船(ももきぶね)」
畠山酒造の屋根にも、「うだつ」が上がっています。
南北わずか500メートルほどの宿場をゆっくりと歩きました。思わずシャッターを切ったのが、4軒もあった清酒の蔵元です。
祇園祭の粽(ちまき)です。
「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と書かれています。
八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔鳴尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来之子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。
その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来之子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕します。(八坂神社のHPより)
下鴨の実家です。古い粽をはずし、新しいのと変えました。
四条通に面した八坂神社の御旅所で手に入れました。
鉾町では、それぞれの山鉾の独自の粽が配られます。
食べる方の粽といえば、川端道喜の「道喜粽」です。実家のすぐ近くですが、予約で一杯でおいそれとは手に入りません。
信楽高原鉄道の「信楽駅」です。たぬきの町です。人出もすごいですが、それに負けないほどの狸が出迎えてくれます。
どれも、見るほどに愛きょのある顔をしています。
胸の札には「無事カエル」「おかねカエル」と。
「手造り」と胸をはっているのも。
おハコは「証誠寺の狸ばやし」。
かき集めているのは小判? ドローン、枯葉・・・!!
トラの皮をかぶったたぬき?。J・リーガーも。
きのう、きょう、あす。家族三態です。
「旗日」です。街角でみかけた狸は日の丸を。
5月5日の背比べ。
「全員集合」です。いや、ほんの一部です。
まるで桃源郷です。梅ですが。
梅を満喫しました。
大阪城公園東の丸庭園の梅園です。
LumixFZ30+接写レンズで撮影しました。
ことしもたくさんの花を咲かせてくれました。毎年、楽しませてくれるわが家の優等生、シャコバサボテンです。
春先にひと周り大きな植木鉢に植え替えました。それにあわせて、一段と大きくなりました。もう限界です。ベランダから部屋に移すのも、ぎっくり腰にならにように、慎重に運びました。
西山浄土宗総本山の光明寺です。
京都の西南、西山連峰の麓、粟生の里にあります。法然上人が初めて「お念仏」の教えを説いた地です。
開山は法然上人ですが、承久2年(1198)の創建に力をつくしたのは「平家物語」に登場する熊谷次郎直実です。
紅葉の名所で、きょうも団体を含めてものすごい数の観光客でした。
ビーナス・ラインを気持ちよく走り、蓼科高原です。「バラクラ イングリッシュ ガーデン」でお茶にしました。
約1万平方メートルの広い庭は、テーマごとに分かれています。ここはローズガーデンです。
エントランスです。
「設計から石工、ガーデナーまで、すべて英国人専門家による日本初の本格的英国庭園」ということです。1990年にできました。その数年後に訪れたことがありますが、まだまだ整備中だったのか、あまり印象は残っていません。
「柚」
知人の庭で実をつけました。良い香りがします。よく冷やした絹豆腐の上にすりおろしましょう。
「紫蘇」
株ごと、別の知人宅から転居してきました。こちらは、よく冷やした素麺にでしょうか。
日本の夏は、もうしばらくです-。