京街道を上る 山陰道 亀岡から明智越を丹波口へ

 天正10年(1582)6月1日亥の刻(午後10時)、明智光秀は丹波・亀山城(亀岡城)を発った。織田信長の命で、備中・高松城を水攻めしている羽柴秀吉の援軍として山陽路を行くはずだった。それが老ノ坂を越えた。京までの山陰道の道のりは5里(約20キロ)。途中、沓掛で1万3000の軍勢を休息させ、桂川を渡ると火縄に火を転じさせた。「敵は本能寺」という軍令が発せられた。
 そんな史実が残る山陰路を、亀岡から京都まで歩きました。全行程35,814歩という、なかなかの行軍でした。

9:34=明智光秀が城主だった丹波・亀山城の桜です。

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9:33=JR亀岡駅から西へ100メートルほどの「南郷公園」が今回のスタートです。丹波・亀山城の堀端です。

 9:40=堀に沿って反時計回りに進むと、市立図書館の前に「明智光秀ゆかりの城下町めぐり」の案内板があります。

 9:46=形原神社は、亀山城の大手門があった場所に建っている。

 9:57=城下町らしい雰囲気が残る。

 10:23=亀岡市篠までくる。街道脇に安詳小学校がある。かつて、やってきたことがある。校庭に京都市電が保存されている。

 10:27=朝堀りタケノコは残念ながら売り切れ。たったの300円だもの。

 10:31=篠村八幡宮は桜が満開。足利尊氏が必勝の願い文を奉じて尊皇討幕の旗揚げをした古社である。

 10:38=良い天気にあれ上がった。向こうは愛宕山。

 10:43=王子神社

 10:47=国道9号と交わる。向こうが老ノ坂。ところが、ここで道を誤り、ちょっと時間ロスをする。

 11:18=国道9号に沿ってあるく。眼鏡橋近くの桜が満開である。

 11:23=国道9号から右折して、京都縦貫道をくぐり老ノ坂への旧道を登る。

 11:35=「これより東山城国」の石柱が建っている。山城と丹波の国境である。

 11:36=老ノ坂は「大枝の坂」が転訛したもので、酒呑童子の大江山は実はこの大枝やまだったという。その首塚を祀る神社がある。

 11:41=老ノ坂は「京都の自然二百選」に選ばれている。そんな200選があることを初めて知った。

 11:45=国道に出る。右は使われなくなった旧トンネル。
 かつてはよく走ったが、京都縦貫道が開通してからは利用することもなくなった。

 11:48=車が走り抜ける単調な道を下る。京都市にはいる。

 12:23=国道9号と別れ、沓掛までやってくる。

12:37=大枝小学校で気持ちよくまわっている小型風力発電機。

 12:49=再び国道9号を横切る。ロードレーサーが猛スピードで走り去る。うらやましい。こちらは疲れながらも一歩一歩!

 12:57=三ノ宮は、沓掛の宿場跡。山陰道の京から最初の宿場である。

 13:02=街道脇の民家に「ばったん床几」が残っている。

 13:14=阪急京都線を横切る。すぐ向こうが桂駅。

 13:25=桂川街道を横切る。ラーメンの「天天有」がある。ふり向けば「来来亭」も。腹も減った。誘惑にかられるが、ぐっとがまん。

 13:30=桂離宮のすぐそばにある明治16年創業の中村軒です。麦代餅(むぎてもち)が名物。

 13:31=桂大橋の右岸に残る大きな愛宕山常夜灯です。

 13:42=天神川を越え、七条通にはいります。このあたりはまるで路地です。

 14:08=七条通の商店街まできました。日曜日とあって、どこも休みです。

 14:12=京都中央卸売市場の脇に「これより洛中」の石柱が建ってました。京七口のひとつ、丹波口です。今回のゴールです。

 14:22=ちょっと北には「島原大門」があります。遊郭の島原の入り口です。
 ああ、疲れたと門をくぐっても、ちょっとわらじを脱ぐ宿はありません。JR丹波口駅まで歩き、回転寿司を食べて帰宅しました。