My memory ウィーン その2 ウィーン国立歌劇場とフォルクス・オパー

 ウィーンの中心、シュテファン大聖堂から南に歩くとケルントナー通りがリンクと交わるところ。堂々としたウィーン国立歌劇場です。モーツァルトのいでたちの兄ちゃんが「チケットあるよ」と声をかけてきます。
 オペラの殿堂です。小澤征爾も音楽監督を務めました。
 ウィーンに行くたびに前を歩いています。でも入ったのは1回きりです。天井桟敷から観ました。

オペラ座の天井桟敷から

 最初に訪れたとき(2004)は、楽屋口からのぞき込みました。

ウィーン オペラ座をのぞく

 トラムの乗り場から何回も見上げました。イルミネーションもきれいです。

 雪が降った日にも、アルベルティーナ美術館から眺めました。
 

 見ているだけで楽しいショップです。

 心ひかれたオペラ座の立体紙模型です。みやげにはカレンダーを購入、わたしの部屋に1年間、掛けていました。

 フォルクスオパーもにも行きました。

ウィーン フォルクスオパーの「売られた花嫁」

KANSAIウオーク 大阪・難波宮エリアを歩く

 「KANSAIウオーク 2025」に参加しました。第1回大阪・難波宮エリアのスペシャルコースは、難波宮跡公園をスタート・ゴールに、上町台地を四天王寺まで南下、大阪城まで戻って来る約13キロでした。
 この日の大阪の最高気温は33.6度を記録しました。ほとんどが炎天下の舗装道を、ひたすら歩きました。
 高津宮は初めてでした。夏越の祓はあすですが、茅の輪をくぐって無病息災を祈願しました。

 難波宮跡公園に老若男女、いや若は少なめか、が集まっていました。

 産経新聞社の主催イベントでした。でも知った顔とは、ひとりも出くわしませんでした。

 出発式の後、一斉にスタートです。法円坂の横断陸橋は通行制限がかかるほどの大混雑でした。

 ザックにプラカードの一団が進みました。

 大阪の町にも知らないスポットがいっぱいあります。

 高津宮は初めてなので、素通りする参加者を横目に石段を上がって参っていきました。

 いくたまさん(生国魂神社)は鳥居の前から頭を下げました。

 四天王寺は、この暑さの中でも多くの参拝者の姿がありました。

 摂津の国分寺跡です。聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって建立されました。

 玉造筋を北上して、鶴橋で近鉄線をくぐりました。

 真田山公園まで来て、木陰にほっとしました。ベンチに腰掛けて冷たい水で休憩しました。

 三光神社の真田幸村像の横には、大阪城の曲輪、真田丸とをつないだ地下道の出口といわれる空洞が残っています。

 玉造稲荷神社は伊勢参りの起点です。

 大阪城公園を通り抜け、東外堀までやってきました。天守閣も見えて、もう少しでした。

 極楽橋をわたります。オーストリア・グラーツに残る豊臣期を描いた大坂図屏風にも描かれている橋です。

 この暑さの中、インバウンドを中心とした観光客の多さに驚かされました。

 大阪府警本部など大手前の風景が一変しています。もうすぐゴールでした。

 3時間ほどで歩き切りました。

 完歩証や協賛企業のみやげをいただきました。
 KANSAIウオークは、秋に京都・長岡京エリア、奈良・藤原京エリア、滋賀・大津京エリアと続きます。

京都・河原町丸太町 「ビバリオ」のタラのコロッケ

 京都では珍しいポルトガル料理の「ビバリオ」です。となればバカリャウ(干し鱈)です。
 「タラのコロッケ」です。外はカリカリ、内部はトロ~リ。クリームコロッケのようでもありますが、間違いなくタラです。
 リスボンで覚えた味、バカリャウ・ア・ブラースが食べたかったのですが、要予約でした。

 ハウスワインの白をカラフェ(デキャンター)でいただき、乾杯です。記念日でした。

 「アンコウのフリート」です。
 アンコウは向こうの市場でも愛嬌のある顔をしているのを見たことがあります。

 ガーリックタルタルソースをつけていただきました。あっさりとした白身です。

 「フムス」はガルバンゾ(ひよこ豆)をベースにした中東のペースト料理です。薄くスライスしたパンに塗ってパクチーといただきます。よい香りです。

 メーンは「海幸の南蛮漬け」です。エビとイカなどの魚介が玉ねぎと煮込まれています。
 ポルトガルの圧力鍋で運ばれてきました。周囲の金具を外して、パカリと開けてくれました。

 甘酸っぱいスープが美味しいです。自家製パンを浸していただきました。

 どの料理もリーズナブルでした。

 デザートは「レイテクレメ」です。「チョウジとカルダモン味のカスタードブリュレ」だそうです。
 さわやかですが、甘かったです。

 カミーノ巡礼のポルトガル・ルートで歩いた町、バルセロスのシンボルであるガロ(幸運を呼ぶ雄鶏)が飾られています。

 ワンオペで大忙しのオーナー・シェフがにこやかに見送ってくれました。

 ポルトガル料理 ビバリオ(VIVARIO)
 080-4640-1903
 京都市上京区駒之町561-4 河原町スカイマンション

京都市立芸術大 サグラダ・ファミリアの「歌う天使たち」

 バルセロナのサグラダ・ファミリアの彫刻家、外尾悦郎さんが生誕の門のファザードにつくった「歌う天使たち」の原型模型像が、母校の京都市立芸術大学に寄贈され、常設展示されています。
 テレビ番組「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」のサグラダ・ファミリア特番にも外尾さんは登場して、「ガウディの見ている方向を向いて⋯」と話していました。その天使たちに会いにいきました。

 9体の天使たちです。それぞれが等身大か、それ以上の大きさです。

 そっと語りかけているような。

 愛くるしくて明るい笑顔です。

 像の内部は空洞です。
 石膏で作られたモデルですが、2000年に砂岩で制作された石像と置き換えられるまでの10年間は、実際に設置されていました。

 アンサンブルホールへ降りる階段脇に設置されています。 

 カミーノ巡礼の後に訪れたサグラダ・ファミリア(2016年)では、生誕の門で楽器を奏でる6体とともに足下のキリストを見守る石像を目にしました。

【博士ちゃん】芦田愛菜×彫刻家 外尾悦郎インタビュー 完全版

光の洪水に圧倒されたサグラダ・ファミリア

Paso a paso Dos エピ3=10/3 バルセロナの光と色と

 佐川美術館(滋賀・守山)で2023年に開かれた「ガウディとサグラダ・ファミリア展」にも出展されていました。わたしはガウディの「コローニア・グエル教会堂、逆さ吊り実験」などに目がいっていたようで、あまり記憶がありません。

滋賀・守山 佐川美術館ミュージアムカフェの比叡とろ湯葉そば

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My memory ウィーン その1 ウィーン楽友協会

 「音楽の都」と称されるウィーンです。55歳のリフレッシュ休暇で初めて訪れました。リタイア後にはゆっくりと滞在しました。雪のクリスマス・マーケットでプンシュを飲み、カフェ巡りもしました。
 ウィーン楽友協会のグローサー・ムジークフェラインザールは「黄金のホール」と呼ばれます。ニュー・イヤー・コンサートのテレビ中継でなじみの憧れのホールに身を置きました。

 5回目のウィーンです。雪で凍てついた夜でした。でもここだけはアルゲリッチらの熱気にあふれていました。

楽友協会 アルゲリッチに振りまわされる

 ベートーベンの「第9」が爆発しました。広くない舞台に合唱まですし詰めでした。

 夜空に輝く聖地、ムジークフェラインです。

楽友協会 ベートーベンの「第9」に圧倒される

 奥さまの合唱団のドイツ遠征でもウィーン観光をしました。ここは外せないと訪れました。

あこがれの「楽友協会」だったのに・・・

 ガイドツアーでは舞台のかぶりつきで、カラヤンやベームの足跡かもしれない傷だらけの床まで見学しました。

ウィーン 楽友協会のガイドツアー

 最初の旅では、ムジークフェラインの存在を確認しただけでした。

ウィーン 初めての楽友協会

自分でつくる 夏野菜のペペロンチーノ

 夏野菜たっぷりのペペロンチーノです。
 ジムに通ってもお腹がへこまないので、パスタの量を100グラムに減らしました。具材が多いのだから、同じことですかね。
 きょうも美味しく、ペロリと平らげました。

 ナスにピーマン、パプリカ、トマト、ルッコラとベーコンです。

 こんな缶も忘れずに。

 粉チーズで味変しました。
 恒例の材料一覧の撮影を忘れてました。

My memory ザルツブルク ザルツブルク音楽祭祝祭劇場

 ウィーン・フィルハーモニーは、ベルリン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウとともに世界の3大オーケストラです。初めて聴いたのは、オーストリアのザルツブルクを訪れた2004年のことです。
 長い間の憧れだったザルツブルク音楽祭で祝祭劇場大ホールに登場しました。ジョルジュ・プルートル指揮するベルリオーズの幻想交響曲は、弦が限りなく美しかったです。

 まだ若かったです。55歳に到達して、新聞記者生活を始めて以来、初めて1週間のリフレッシュ休暇を取りました。

ザルツブルク ザルツブルク音楽祭祝祭劇場

 ザルツブルクの思い出は、2度目の旅で大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンの墓を参ったことです。アニフという村の小さな教会の墓地に、予想外につつましやかな墓がありました。

 カラヤンの墓に参る

伊丹 「パティスリー ラクロワ」のオリヴィエ

 アフタヌーンティーをいただきました。といってもわが家でお茶とケーキを並べただけです。
 伊丹のホールに音楽会を聞きに行った奥さまが、阪急・伊丹近くの「パティスリー ラクロワ(patisserie lacroix)」でみやげに買ってきました。
 店のHPで調べると、「オリヴィエ」というオリーブオイルのムースです。夏の定番のようです。

 オリーブオイルのムース、レモンクリーム、トロピカルドライフルーツ、ココナッツのダックワーズ。そんなのでできています。
 甘さ控えめ、さっぱりとしたお味でわたしでもおいしくペロリでした。

 ラズベリーのムースです。

 ロンネフェルト(Ronnefeldt)のティーバッグ、ジンジャー&レモンをいれました。

 さわやかなお味のハーブティーです。

 パティスリー ラクロワの店舗写真などはありません。HPをご覧ください。
 オーナー・シェフ・パティシエは、奥さまの知り合いの息子さんでした。

 http://lacroix.jp/

 PATISSERIE LACROIX(パティスリー ラクロワ)
 072-747-8164
 伊丹市伊丹2-2-18

My memory アムステルダム コンセルトヘボウ

 オランダ・アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに世界の三大交響楽団といわれます。その本拠地がコンセルトヘボウです。ボストンのシンフォニーホール、ウィーンの楽友協会と同様に、戦前からの姿を伝えるシューボックス型の音響の優れたコンサートホールです。
 ベルリンでマリス・ヤンソンスの指揮の虜になりました。常任をしていたコンセルトヘボウでも聴きたくなって、2014年に訪れました。期待通りの素晴らしいコンサートでした。

ヤンソンス、コンセルトヘボウに驚愕

コンセルトヘボウ おいしいワインと驚愕の響き

「I amsterdam」 の街に

 小ホールで開かれる無料のランチコンサートも楽しみました。

アムステルダム コンセルトヘボウのランチコンサート

 2019年にアムステルダムに立ち寄ったときにも、トラムで思い出のコンセルトヘボウの前まで行ってみました。

 アムステルダムを散歩する

 奥さまは、合唱の遠征旅行の折にもう一度、コンセルトヘボウに行ってます。プロムシュテットの指揮するドヴォルザークのチェロ協奏曲などを聴いたそうです。

京都国立近代美術館 「若きポーランド」に吸い込まれる

 京都・岡崎の京都国立近代美術館で「若きポーランド [色彩と魂の詩 1890-1918]」を楽しみました。
 オルガ・ボズナンスカの「菊を抱く少女」です。圧倒的な眼力で見つめられました。黒く大きな瞳ばかりを見返してしまいました。吸い込まれてしまいそうな、なんとも不思議な絵でした。
 1点を除いてカメラ撮影が許可されていました。わたしもカメラを向けました。髪の毛に室内照明が反射しています。

 日本初公開の絵画がほとんどです。その中からポスターにも使用されていました。
 美術館の最寄りの地下鉄・東山駅にも掲示されていました。

 「日曜美術館」(NHK-TV)でピアニストの反田恭平さんが「ジャル」という単語で説明していました。これを見て、会期末間際に滑り込みました。

 反田さんが、初めて訪れたポーランドで見た秋が描かれています。

 ショパンの「葬送行進曲」と同じテーマが描かれているそうです。

 カメラ撮影がOKなうえに、「線まで下がってください」というだけで作品との距離も近い展示でした。

 「夜明けのブランティ公園」です。国土が消えたポーランドの宮殿を朝もやの背後に置いて、夜が明けるの待っています。

 どれも繊細なタッチで描かれています。

 ウィーンでのとトルコ軍との戦いを描いています。
 サブ・タイトルとなっている20世紀前後に、「若きポーランド」と呼ばれた画家たちの作品が並んでいました。その先鞭をつけたヤン・マテイコの代表的作品です。

 近代美術館に入ったのはいつ以来でしょうか。思い出せません。


 
 改装されて、すっかりきれいになっています。
 この広いロビーで、反田さんのピアノ演奏会も行われました。ショパンの「ラルゴ(神よ ポーランドをお守りください)」も弾いたようです。抽選に落ちましたが、聴きたかったです。

 チケットを買おうとして、JAF会員割引の対象であることがわかりました。ありがたい200円引きです。

 暑い一日でした。白川の川辺だけは、涼しい風が吹いていました。向こうが美術館です。