京都・木屋町 日本映画発祥の地は京都電燈創業の地

 京都・木屋町の高瀬川に面した立誠(りっせい)小学校の跡地に「日本映画発祥の地」の案内板が立っています。その説明文に気になる会社名があるのことに気づきました。ここに京都電燈株式会社があったのです。
 菱形雷紋を社章とした京都電燈は明治22(1889)年、この地に社屋を建て、敷地内に石炭火力発電所を設けて電力事業を始めたのです。

 明治30(1897)年になった、京都電燈の中庭でフランス帰りの技師、稲畑勝太郎(稲畑産業創業者)によって映画が上映されました。

 高瀬川沿いにあった京都電燈の火力発電所とされる写真です(ネットよりDL、出所不明)。

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京都を歩く 嵐電・北野線100周年と幻の北野駅

 嵐電(京福電気鉄道)の北野線は大正14(1925)年、京都電燈によって北野ー高雄口(現・宇多野)間が開業しました。ことしで100周年を迎えました。
 新型車両の「KYOTRAM(きょうとらむ/モボ1型)」も今春、デビューしました。100周年のヘッドマークをつけて宇多野のホーム脇の残り紅葉を横目に走りすぎました。
 暖かな一日でした。嵐山本線から北野線が分岐する帷子ノ辻(かたびらのつじ)から10駅、北野白梅町まで3.8キロをカメラ片手に歩きました。

 冬枯れの鳴滝ー宇多野間です。桜のシーズンにはピンクのトンネルとなります。

 帷子ノ辻では、100周年写真展が開かれていました。どれも見入るような嵐電の歴史が詰まっていました。
 今はない北野駅を撮影したパネルもありました。

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京都を歩く 京都電燈の水力、火力と叡電100年

 京都電燈は、路面電車の京都電気鉄道(京電)に電力を供給する一方、自らも電鉄を経営しました。
 大正14(1925)年に開通させた叡山電気鉄道平坦線で、出町柳と八瀬(現八瀬比叡山口)を結びました。今年で開業100年です。
 八瀬比叡山口のターミナル特有のドーム状の屋根は、開業当時そのままです。 

 駅の山手に、京都電燈が明治33(1900)年に完成させた高野水力発電所の水門が残っています。

 叡山ケーブルも京都電燈が叡山電気鉄道部の鋼索線として平坦線と同じ大正14(1925)年、西塔橋(現ケーブル八瀬) – 四明ヶ嶽(現ケーブル比叡)間で開業させています。

 八瀬から叡電-京阪と乗り継いで京都・伏見の中書島までやってきました。ここには京都電燈の伏見発電所として建設されたレンガ造りの火力発電所の建屋が今も残っています。

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京都を歩く 疏水ダムと京都電燈の「菱形雷紋」

 京都電気鉄道(京電)の路線跡を歩きました。4日前のことです。
 京電当時の路線図(注)を見ていると、木屋町二条で右折して蹴上を目指した鴨東線に、「疏水ダム」(赤線)と読める停留所があります。町中のそんなところにダムが?
 それが京電に電力を供給し、現在も発電している疏水の夷川発電所だったのでしょう。もう一度、京都を歩きました。 

 京都電燈という電力会社が送配電していました。社章は稲妻からデザインされた「菱形雷紋」でした。
 その社章がくっきりと残る点検蓋が、寺町三条近くの路面に残っていました。

 ここにも隠れていました。千枚漬がカラーペインティングされた嵐山行きの嵐電(京福電鉄)の車体です。
 京福電鉄は、京都電燈を親会社として誕生し、菱形雷紋を継承しています。

 京都電燈のすごさは、このビルをみればわかります。
 京都駅前にある京都関電ビルディングは、現在は関西電力の京都支社です。これが京都電燈の本社ビルとして1937年に建設されました。

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京都を歩く 続・「木製仁丹看板」を追って

 「木製仁丹看板」を追って、再び京都を歩きました。小雨も混じった前回とは違って秋らしい気持ち良い天気でした。
 東本願寺の北西の裏手あたりの立派な民家に掲げられた「下京区新町通花屋町下東若松町」です。
 ネット上の古い画像とは設置場所が違っているようです。民家の壁などを改修したときに、よく見える正面にもってきたようです。誇らしげにみえます。 

 四条烏丸に近い「下京区佛光寺通烏丸東入下ル匂天神町」です。カメラの設定がズレて、モノクロになってしまいました。

 3枚目は川端御池の東側。「上京区新麩屋町通仁王門下る大菊町」です。
 長屋の路地の前、お地蔵さんに隠れるように残っています。仁丹の文字とカイゼル髭のトレードマークも鮮やかです。

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京都を歩く 「木製仁丹看板」を追って

 「木製仁丹看板」を追って、京都の町を歩きました。
 仁丹町名看板とか仁丹町名表示板とも呼びます。京都人なら、あれあれと、ご存知と思います。大阪に本社を置く「森下仁丹株式会社」が明治43(1910)年から広告も兼ねて町の辻々に掲げた町名表示板のことです。今も500枚以上が残っているそうです。白いホーロー(琺瑯)製 「木製仁丹看板」を追って、京都の町を歩きました。
 仁丹町名看板とか仁丹町名表示板とも呼びます。京都人なら、あれあれと、ご存知と思います。大阪に本社を置く「森下仁丹株式会社」が明治43(1910)年から広告も兼ねて町の辻々に掲げた町名表示板のことです。今も500枚以上が残っているそうです。
 白いホーロー(琺瑯)製の板に青字と赤いアクセント、カイゼル髭の紳士とお馴染みの看板の他に、もっと古くに設置された「木製」の看板もあることを知りました。
 ありました。四条烏丸近くの膏薬辻子(図子、こうやくずし)にある商家の上に「新釜座町」とかかっていました。小雨が降っていたので、レンズが水滴をかぶっていたのでしょう。画像が乱れています。

 2枚目は、古い商家の柱と同化しているような「東魚屋町」です。上部に仁丹と書かれているのが読み取れます。

 ホーロー製の仁丹看板にもバージョンがあります。
 仁丹のマークが上部にある方が古いのでしょう。中京区は現代風に左から、上京区は右から書かれ、区も旧字体です。

 鮮やかな看板もありました。「慈眼庵町」ですが、レプリカでした。

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KANSAIウオーク 京都・長岡宮エリアを歩く

 「KANSAIウオーク 2025」の第2回大会、京都・長岡宮エリアを歩きました。
 参加したスペシャルコースは約12キロ。阪急・西向日に近い朝堂院公園から向日神社、桓武天皇皇后陵、洛西竹林公園、樫原廃寺跡、物集女城公園、淳和天皇火葬塚、大極殿公園と巡りました。
 暑さはちょっと和らぎ、照りつける太陽もありませんでした。汗は流しましたが、秋の気配も感じながらの気持ちの良いハイスピード・ウォーキングでした。

 長岡宮があった向日市のカラーマンホールです。

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雲ヶ畑山歩き俱楽部 第1回 山歩きは「岩屋山と志明院へ」

 「雲ヶ畑山歩き俱楽部」の第1回山歩きに参加しました。京都北山の雲ヶ畑でベニバナヤマシャクヤクの保全活動などをしている「雲ヶ畑・足谷 人と自然の会」のメンバーが始められました。
 わたしの山の原点、60年余も昔の中学生だったころに歩いた北山をもう一度、歩きたくなりました。
 賀茂川の源流にある岩屋山までの7キロほどのピストンでしたが、峠までの道は荒れており、ヒルの襲撃をかわしてとなかなかハードでした。
 「妖怪の寺」としても知られる志明院にも参って、久しぶりに楽しい山歩きでした。

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東山三十六峰 番外その2 幻の霊山から絶景の阿弥陀峰

 東山三十六峰の峰々を巡る「番外その2」は、未踏となっている27峰、霊山(りょうぜん)を踏み、近くにある伊藤博文(春甫)の詩碑を訪ねることでした。
 標高170mほどのピークですが、そこに達するルートがありません。西麓の霊山護国神社、西法寺から、北の菊渓(きくたに)から、南東の京都一周トレイル19ポイントからとアプローチを試みました。でも行く手を阻まれました。
 南にある31峰、阿弥陀ヶ峰から霊山とともに清水寺を眼下にしました。清水の舞台の上は、観光客で一杯でした。

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東山三十六峰 番外 清水山辺りの6峰

 蒲団着て寝たる姿や~の京都東山三十六峰を巡ったのは3年ほど前のことです。その時には確認できなかった清水山辺りのピークに、新たに山名表示がついていることを、スマホ登山アプリ、YAMAPの記録で知りました。
 暖かな1日でした。お山歩(散歩?)気分で円山公園から清水寺を取り囲むように並ぶ三十六峰の山々を巡りました。
 
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