「そすいさんぽ」は、琵琶湖疏水を巡るように整備されたウオーキング・ルートです。
大津・鴨川コースは、びわ湖畔から蹴上を越えて鴨川まで。
鴨川運河コースは、鴨川に沿って南下して伏見から宇治川まで。
そして、今回(18日)歩いたのは疏水分線コースで、蹴上から哲学の路、銀閣寺、下鴨あたりを流れ、堀川紫明まで続いています。びわ湖からは20キロあります。わたしは堀川紫明から遡り、蹴上から鴨川、そして四条まで3つコースにまたがり15キロを歩きました。
下鴨北園町のわたしが育った家のすぐ近くです。疏水を渡るこの道は小学校への通学路でした。
高野川には遅咲きの八重桜が咲いていました。向こうの比叡山は、黄砂で霞んでいます。
南禅寺の水路閣です。この上を疏水分線は流れています。
【2024/04/18 10:07】
堀川紫明の交差点から歩き始めました。
疏水が流れていた紫明通は、疏水は暗渠になっていて、せせらぎが流れる緑地として整備されています。
フジの花が垂れ下がります。
おしゃれな噴水もあります。
烏丸通を横切ります。電柱を見上げました。この1本だけが、頭にギボシのようなものをかぶっています。京都市電が走っていたころの架線柱が生き残っているのです。
コデマリが白い花をいっぱいにつけています。
せせらぎ公園には、なんと滝までありました。
よく整備されていましたが、クレームをひとつ。公園はブロックごとに鉄柵でサークルに仕切られていました。それを続けて歩くことができませんでした。串団子の串のような動線があると、散策路として機能するでしょう。残念です。
鴨川に突き当たりました。
2段の堰の辺りの下を疏水は横切っているようです。
北大路橋を渡りました。京都五山送り火の大文字が正面です。でも大の字を確認することができませんでした。
シロヤマブキが咲いています。
黄色いヤマブキも。
北大路通を斜めに横切ると、「しもがも葵の小径」とネーミングされています。
ムラサキツユクサがきれいな紫です。
疏水が疏水らしい川になりました。
古いサクラの木の割れ目に、おししそうなキノコが育っていました。
ツツジが一斉に咲き始めました。
小学校の通学路で渡った橋に「北溝橋」という名があったことを、60数年後の今ごろ知りました。
松ヶ崎浄水場です。疏水分線は、ここに水を供給するのが目的のひとつだったのしょう。
高野川の下を疏水は流れています。
回り道をして渡った高野川沿いに16kmポストがありました。
それまでの19-17kmはその存在を忘れていました。
左に行くと、修学院のラーメン街道です。
疏水には鉄橋もかかっています。叡電が走ってきました。
「第一疏水分線」というのが正式名称です。
【11:52】
ここまで歩いてまだ5キロです。
ヴォーリズが円熟期に設計した駒井家住宅を横目にしました。
金閣寺から銀閣寺まで歩いた今年初めに、このプレートに気づきました。それで「そすいさんぽ」を知りました。
行列ができていると思ったらラーメンの人気店「ますたに」でした。
銀閣寺の手前まやってきました。大文字が目の前です。
哲学の道には、廃止された京都市電の路面から取り去られた敷石が並べられています。
若王子(にゃこうじ)橋で疏水はトンネルとなります。
若王子取水池には昔、プールがありました。小学生のころに泳ぎに来ました。水が冷たかったことを覚えています。
永観堂の脇にドウダンツツジが白い花を咲かせています。
東山高校の前が11kmポイントでした。
東山高校の脇を疏水の扇ダムから放水路が流れ下ってきます。
扇ダムは立入禁止でした。柵の隙間から疏水が流れているであろう水路が確認できました。
南禅寺の方丈です。外人観光客でにぎわってました。
水路閣は南禅寺の境内にかかる水路橋で、明治21(1888)に完成しました。
水路閣から下流に進むと、扇ダム-若王子につながるトンネルの入口が確認できました。
水路閣の上部です。早い流れです。
インクライン向けて遡ると、水路が入り組んでいます。
田邊朔郎の碑があります。琵琶湖疏水やインクライン、水路閣などを設計しました。
蹴上発電所に向けて太い導水管が2本、延びています。
インクラインの桜はもお終いでしたが、人気の観光地です。
琵琶湖疏水の上流です。ここからトンネルとなり山科へと上ります。
【13:26】
地下鉄蹴上の近くに10kmポイントがありました。堀川紫明からちょうど10kmでした。
ここをゴールとしてもよかったのですが、もう少し歩きました。
「ねじりまんぽ」に和服姿のご婦人が吸い込まれました。
疏水の南禅寺船溜です。向こうは京都市動物園です。
疏水を下ると11kmポイントです。木立の向こうが平安神宮の大鳥居です。
ロームシアターの近くにそすいさんぽの概略を記した看板がありました。
夷川船溜です。向こう岸あたりに京都踏水会という明治29(1896)年に大日本武徳会遊泳部としてスタートしたスイミングスクールがあります。
水辺には北垣国道の碑がたっています。
明治初めに京都府知事を務め、琵琶湖疏水を完成させるなど東京遷都後の京都復興の礎を築きました。
船溜の先には夷川発電所があります。
川端通にかかる橋は、田邊朔郎にちなんで田辺橋と名付けられています。
疏水は鴨川に突き当たり、ここが大津-鴨川コースのゴールです。
疏水は直角ターンして、鴨川の東を併行します。ここからは鴨川運河コースになります。
御池通の角に13kmポイントがありました。
三条大橋の東詰には「駅伝発祥の地」の碑が立っています。
【14:20】
四条大橋まで来ると、歌舞伎の祖、出雲の阿国の像が南座を見上げています。
ここを今回のゴールとしました。
青色が今回の、赤色はこれまでの「京都を歩く」の軌跡です。
GPSアートは意識してませんでしたが、ちょっとゴリラ?!