「熊野九十九王子を往く」のその3は、JR阪和線の鳳から、ほぼ阪和線に沿って東佐野までの20キロ超を歩きました。晴天というほどではありませんでしたが、紫外線は強かったようです。おかげでシャツをまくり上げていた腕には、くっきりと日焼け跡が残りました。
街道の名残です。このあたりの熊野古道は、「小栗街道」とも呼ばれます。小栗判官が地車に載せられて熊野を目指したという伝承の道です。
鳳から歩き始めてすぐ、高石市の富木駅近くの等乃伎(とのき)神社の境内に白い花が咲いていました。あまり見かけない花ですが、なんじゃろうかと。
帰宅後、ネットで調べました。検索語は「5月、木、五弁、花、白」でヒットしたのは、なんとなんと「なんじゃもんじゃ」のようです。うそのようなネーミングですが、そんな木が存在するようです。ヒトツバタゴの別名です。でも、これで正解でしょうか?
【08:39】
出発はJR鳳です。シャッター商店街を通り抜けます。
【08:46】
しばらく歩くと、路面にこんな意匠が。「堺鳳駅南地域まちづくり計画」なるものらしいです。「北王子」は、だんじりの地区名のようです。
【08:58】
新しい大型商業施設ができると、古い道はかき消されてしまいます。このあたりで、1回目の迷子です。
【09:04】
なんとか等乃伎神社までやってきました。カメラを構えましたが、駐車している軽トラックが邪魔です。どうしてこんなところに止めるのかといぶかって近づくと、わけがわかりました。神社の車で、いろんな厄除けのスティッカーがベタベタと張られています。PRだったわけです。
【09:11】
神社の鳥居から正面の道を進みました。ちょっと細いですが、それなりに風情もありました。でも、やはり間違ってました。遠回りをしました。
【09:24】
iPhoneで軌道修正すると、今度は新しくて広い道が出現です。また行く手がわからなくなりました。
【09:45】
やっと旧街道らしい道になりました。
【09:48】
住宅街の路地を入ったところに「篠田王子」の跡がありました。「泉州は信太の生まれ」と名乗るかの「あんかけの時次郎」(てなもんや三度笠ってご存知ありませんか)の出生地です。
【09:50】
だんじりは秋祭りですが、地車が引き出されてました。
【09:52】
高札場が残っています。
【09:54】
「小栗の湯」の標識につられて角を曲がると、和泉市営の公衆浴場でした。小栗判官は熊野の湯で病から全快しますが、その故事からきているのでしょう。
【09:57】
「熊野街道」の案内板があります。
【10:01】
交差点の角に「平松王子跡」の碑が建ってます。
【10:09】
歩を進めると自衛隊の信太山駐屯地です。
【10:10】
「右小栗街道 左槇尾(山)」と読めます。
【10:22】
和泉府中のあたりです。雰囲気のよい町並みが残っています。
【10:23】
「小栗街道」の石標が建ってます。
【10:34】
「井ノ口王子跡」です。このあたりは、王子跡に新しい碑が建ってます。でもここまででした。
【10:51】
岸和田市に入りました。
【11:11】
JR久米田で線路を横切ってちょっと西へ。池田王子跡ですが、それらしい形跡はありません。町名に名残をとどめています。
【11:45】
新興住宅地の脇にある、和泉式部が顔を洗って恋心を募らせたという「恋の淵」です。残念ながらあまり風情はありません。
【12:02】
次は貝塚市です。
【12:07】
このあたりが麻生川王子跡ですが、ここには何もありません。
【12:18】
「熊野街道一里塚」という石標が建ってます。
【12:32】
水間観音に向かう水間鉄道を横切ります。どれくらい待てば電車がやってくるのかわからず、すぐに立ち去りました。
【12:35】
牛神社がありました。京都の北野天満宮には牛がいますが、熊野にも関係があるのでしょうか。
【12:44】
長谷川ノ坂を進みます。ちょと風情がある古道です。
【12:59】
南近義(みなみこぎ)神社までやってきました。ここには鞍持、近木の両王子が合祀されています。
【14:07】
またもや道に迷って、昼飯休憩をとりました。
再び歩き始めて、この日最後の目的地だった貝田町会館までやってきました。このあたりが鶴原王子跡です。
【14:25】
JR東佐野をゴールとしました。駅前にはコンビニ一軒もない静かな駅でした。
東岸和田で関空快速に乗り換えて帰宅しました。