ブルゴスでは1日、ゆっくりと休養するつもりでした。久しぶりに寝坊をして、のんびりと朝食を食べ、ゆっくりと大聖堂の辺りを散歩しました。すると、もうすることがありません。結局は、昼前に町を出て、歩き始めました。アルランソン川を渡ったのは11時を回っていました。歩くことが習慣になってきていました。
2歳半と2歳になる2人の孫娘は、もうなんの不自由もなく、ひとりでちょこまかと歩き回っています。わたしもそのくらいの年齢から数えて70年近くも歩いてきました。右足の次には左足、そして右・・・。そんなことは考えることもなく、当たり前のようにして。
カミーノは、ただただ歩くばかりでした。美しい教会で清らかな気分となり、代わり映えのしない大地を横目にし、おいしい食事に舌鼓を打ち、ワインやビールで大満足。1日は長いですが、それでも生活の中心は歩くことでした。きょうも元気に20数キロの巡礼を歩けたということが、最大の喜びとなりました。
学生時代には、サークルの仲間と山歩きを楽しみました。後立山連峰を朝日岳から白馬を越え、唐松、五竜、鹿島槍と1週間もテント泊で縦走したことがあります。剣、槍、穂高、北岳・・・。
社会人となってからも、何年かは夏休みに槍などに登ってましたが、いつしか仕事にかまけてさっぱりと。次に白馬の大雪渓を小学生だった息子と登り、妻とも登り、学生時代の仲間と富士山に登ったのは、50歳あたりを過ぎたころでした。その後も山歩きはぼちぼちと続けてきました。ちょっと時間がでた60歳を過ぎて、昔の仲間と日本百名山の1番・利尻山にも、中抜きして100番・宮之浦岳にも登りました。
とはいえ、歳とともに山歩きはたいへんになってきました。ならば平地を歩けばいいのです。京都には、豊臣秀吉が築いた御土居(おどい)から洛外に抜ける「口」が7つありました。「京七口」といいます。粟田口、鞍馬口、荒神口、長坂口、丹波口、鳥羽口・・・。みんな現在も地名となって残ってます。その口に向けて都への街道が延びていました。その街道を順に歩きました。
熊野詣は、浄土信仰から熊野三山を参詣する旅でした。後白河法皇は熊野御幸を34回も繰り返していました。わたしも紀伊路を歩いてきました。石清水八幡宮(八幡市)から東高野街道-高野街道を南下して、高野山まで。さらに小辺路(こへち)の山道を熊野本宮まで歩いて熊野詣をしたこともあります。
歩くこと。それは山登りほどにはハードではありません。街道歩きなら、歩きたいところまで歩き、気が変われば途中でやめることもできます。もっと手軽に町歩きや、近所の散歩というのもあります。その歩くことの延長線上にたどり着いたのが、サンティアゴ巡礼だったのです。