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2005/02/25
西国街道は、京の都から西国(山陽地方)を結ぶ古来の日本の幹線道路です。
私の住む水無瀬も通っています。この西国街道を半日かけて京の都までのぼってみました。

自宅から5分も北に歩くと、「桜井の駅跡」に着く。
「西国街道」の碑が建っている。「街角の再発見」としてフジサンケイグループが大阪府下のあちこちに建てた記念碑のひとつである。
見わたせば 山もとかすむ 水無瀬川
ゆうべは秋と なに思ひけむ
(新古今集 後鳥羽上皇)
碑にはこう彫られている。

10:03
楠公父子決別之所」の大きな碑が建っている。
楠正成、正行親子がここで別れた。父は西に向かい、湊川の戦いで敗れる。

10:28
ケータイを忘れたことに気づき、取りに戻る。20分近くタイムロスをする。
右手に水無瀬神宮への道。境内には、「日本の名水百選」の「離宮の水」がわき出ている。

10:40
左手にJR京都線の踏切が。向こうにはサントリー山崎工場がある。

10:44
「従是東山城國」の碑が関大明神の横にある。
現在も大阪-京都の府境となっている。
ここで大阪府三島郡島本町から京都府乙訓郡大山崎町にはいる。

10:49
JR山崎駅前の離宮八幡宮。
嵯峨天皇が建立した「河陽宮」の一角にある。

10:50
荏胡麻油の生産と結びつき発展した。
「油祖神」の石像がある。黄色い輪は、油屋のシンボルマークだったそうである。

10:52
JR山崎駅前。
左の京阪バスは淀川対岸の淀競馬場行きの臨時便。右側は千利休の茶室がある妙喜庵。

10:58
こちらは阪急大山崎駅。
アサヒビール大山崎山荘美術館の無料送迎バスがとまっている。

11:06
天王山の中腹にある山崎聖天への道。まずJR京都線の下をくぐり、阪急京都線をまたぎ、急な階段を上る。
三川(さんせん、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる)が見下ろせる展望スポットがある。

11:31
小泉橋を渡ると、長岡京市にはいる。

11:36
調子八角の交差点。「新西国街道」の標識がある。
「67 府道西京高槻線」の別名のようである。
本来の西国街道は、府道と併行して続いている。

11:40
「右 よど(淀) 左 やなぎ(柳)谷」の古い石柱が立っている。
柳谷観音は長岡京市の西の山の中にある。目の疾病の神さんとして、今も参る人が多い。

11:53
神足(こうたり)商店街には、石畳が敷かれている。
京都の元気企業のひとつ、セラミックの村田製作所の本社がある。

11:55
国登録有形文化財の石田家住宅。
街道に面した商家と住居を兼ねた立派な切り妻住宅である。

11:57
どうしてこんなところに駅名表示が? と思いながら通り過ぎてはたと気がついた。
JRの駅は「長岡京」とかわり、今は「神足」という駅はない。なにかの記念のようである。

12:02
JR長岡京の駅前。再開発が進み、すっかりきれいになっている。正面にそびえるのが、村田製作所の新本社ビル。
最近建てられた新しい石柱の説明には長岡京は「延暦三年至ル十三年 桓武天皇王城ノ地ナリ」とある。

12:19
「一文橋」は、室町時代に架かられた日本最初の有料橋だったという。
たびたび橋が流されるので、架け替え費用のため、通行人から一文を徴収したという。

12:23
向日市の下川原地区。静かな街道の佇まいが残っている。
ここも石畳になり、凝ったデザインの街路灯が並んでいる。

12:28
阪急京都線のガード下をくぐる。

12:34
鈴吉大明神。昔は田の中にあったが、周辺の宅地が進み、祠の中に収容されたそうだ。

12:36
「愛称 西国街道」の標識がある。なぜ愛称なのか、ちょっとわからない。

12:40
立派な向日神社参道。この前は車でなら何度でも通ったが、あまり気づかなかった。

12:43
神﨑屋の店頭には、早くも筍が並んでいる。

12:44
京都府指定文化財の須田家住宅。

12:54
石畳の道を下ってくると「愛宕権現」の常夜灯が。

12:55
阪急東向日駅に近い梅ノ木あたり。 右端に碑や道標が並んでいる。

13:03
JR向日町駅。向日市になって久しいのに、駅名は町のままだ。

13:09
JR京都線を横切るために「西国地下歩道」を抜ける。

13:20
国道171号、通称「イナイチ」を横切る。向こうにそびえるのは、京都の元気企業のひとつ、日本電産。

13:25
久世の街並み。

13:40
街道は、桂川に突き当たる。対岸へは「渡し」があったのだろうか。
彼方に比叡山の山並みが望める。

13:35
久世橋を渡る。車でいつも走っているが、歩いて渡るのは初めてである。

13:39
堤防上にサイクリングロードが整備されている。ここから上流9キロで嵐山、下流10キロで三川合流。
向こうは愛宕山。

13:58
吉祥院の商店街を抜ける。
「久世の大根飯、吉祥の菜飯、またも竹田のもんば飯」
赤い鳥-紙風船が歌っている「竹田の子守歌」を思わず口ずさむ。

14:03
西大路通を越える。

14:20
九条通と合流し、東へ。ちょっと回り道をして、「西寺(さいじ)」の跡へ。
平安京の中心にある朱雀大路の南端に羅城門があり、入ったところに東寺と西寺があったそうだ。この二つは対をなしていたが、西寺は失われたままになっていた。最近は発掘が進み、伽藍跡が見つかっている。

14:26
京の都に到着した。
羅城門までやってきた。児童公園の片隅の石碑だけが、平安京の証である。

14:55
東寺の五重塔。
ウォーキングにはもってこい、暑いほどだが、気持ちのよいの一日だった。
自宅からは2万7000歩を超えている。
賤ヶ岳・余呉湖
JR米原駅。
「ひかり」でやって来た鎌田と合流する。
長浜を通過すると、東側の窓に伊吹山fが。
頂上は雲に覆われているが、この青空。田んぼも白くなる。
木ノ本駅に近づく。平和堂の看板の上が目指す賤ヶ岳のピーク。左の白い帯は観光リフト(現在は休止中)。
北陸線のJR余呉駅に着く。
ホームにも雪が積もっているが、この天気、この気温。いつものことながら、抜群の日和となった。
余呉駅前。コンビニはもちろんのこと、開いている店は一軒もない。
昼食の弁当を、米原駅で仕入れた人は大正解。
登山口までの県道は融雪装置ため、雪は溶けている。
登山口に足を踏み入れると、一気にこの状態に。
踏み跡をトレースして、雪道を登る。
「なに、この大股のうえ、120度も開いてるの。歩きにくい」と、先頭の足跡にブーイングも。
ちょっとひと息。眼下に余呉湖が。
大岩山の雪の林の中に中川清秀の墓。
「大岩山は1583年に最初の賤ヶ岳合戦があった陣地で、柴田勝家の部下で尾山(金沢)城主佐久間盛政が大岩山の砦を奇襲する。この陣地を守る茨木(大阪)城主中川清秀が奮戦するも全員壮絶な最期を遂げた。この軍勢は柴田勝家の帰参の命に随わず戦勝に酔った。この報を知った豊臣秀吉は急遽大垣より駆け付け賤が岳の合戦となり、秀吉軍の大勝利となり柴田勝家滅亡の因となった」と、案内板に書かれている。
「隊長」も参加してくれて、みんな安心。
足跡ひとつない膝までの雪を歩く。
自害した中川清秀の首を洗ったという「首洗い池」を通る。
賤ヶ岳頂上に立った。見下ろす余呉湖がきれい。
はるかに北国の山々。ここで羽柴秀吉と柴田勝家が対峙した。
「七本槍」の武将、加藤清正にでもなった気分で。
ちなみに七本槍とは、福島市松正則、加藤虎之助清正、加藤孫六郎嘉明、平野権平長泰、脇坂甚内安治、糟屋助左衛門武則、片桐助作且元。何人ご存じ?
雪の頂上。積雪がもっとすごいのかと想像していたが…。
木之本町方面を見下ろす。左手かなたに伊吹山。
展望小屋で昼食にする。
コーンスープとロイヤルミルクティーで体を温める。わずかながら、早くもアルコールを体内で燃焼させる人も。
飯浦から奥琵琶湖ドライブウエーにかけての湖岸を見下ろす。琵琶湖一周の旅で歩いた道である。
賤ヶ岳の頂上。
われわれの他にはだれもいない。
道中ですれ違ったのも、ほんの数組だった。
「七本槍古戦場」の案内柱の前で記念撮影。今回も7人もが集合した。
撮影はヒロタ画伯。
はるかに竹生島が浮かぶ。右後方に比良の山並みが霞む。
アイゼンを付けて一気に下山する。
余呉湖と飯浦との分岐の峠。二人は一昨年秋、、この道を飯浦(左)に降りた。
湖岸の国民宿舎前に降り立つ。雪道は終わり、ほっとひと息つく。
早々とスパッツをはずしたサトウは、いつも先頭を切る早足で民宿へ急ぎ、、余呉駅のコインロッカーから荷物を回収してきてくれる。
賤ヶ岳頂上を振り返りながら、湖岸を歩く。
今夜の宿となる民宿「文右エ門」。築後数百年の古い民家を移築している。
別棟のレストランで、さあ、宴会の始まり。
民宿自慢のかも鍋。だしをいれて炊き、すき焼きのように醤油と砂糖で味付け、たまごに付けて食べる。
これでかも一羽分。骨もすりつぶしたミンチや肝もついている。
持ち込みのにごり酒、焼酎も加わって最高潮に。
ビールは着いたが、バーボンはまだかいな?
一階には立派ないろりがしつらえてある。夏の伊豆の民宿のように、ここで食事がしたかった。
蓑傘でもない民具がつり下げられている。
「阿多古」(愛宕神社?)のお守りも。
最後は、昔の写真を眺めて、「やっぱり下野さんって、だれ?」っと、遅くまで。

三階は資料館になっている。
原と二人で4時半に起きだして、ヘッドライトをつけてわかさぎ釣りに。暗いうえに老眼ため(?)、仕掛けをセットするのに一苦労する。
二人合わせた釣果はこの通り。50匹はいる。これでも、隣で釣っていたベテランの半分以下。
お世話になった民宿をチェックアウト。

二人の釣果に挑発され、みんなでわかさぎ釣りに挑戦することに。
入場だけなら300円でよかった。


思わずにやり!!

ビギナースラック!
暖かくなったせいか、食いは悪い。
女性陣の健闘を横目に、5分ほど釣り糸を垂れただけでギブアップした人も。
釣り竿持参のこの人も、手応えを感じる前にコーヒーを飲みに行ってしまう。

正面が賤ヶ岳頂上。

釣り上げたわかさぎを尾頭付きで天ぷらにする。

「うん、うまい」
ママカリの干物を火にあぶる。これもいける。「まんま」はないが、酒のさかなにぴったり。
立ったままでも、おいしく楽しい食事である。
釣り上げたわかさぎは、7人の胃袋に収容された。ちょうどよい量だった。
ちらほらと雪が降ってくる。

余呉駅。3両編成の電車しか止まらないのに、ホームは延々と続いている。
長浜で途中下車する。
黒壁スクエアーは、冬だというのに観光客でにぎわっている。
観光客に交じって歩く。おみやげは草餅というひとも。
観光客ばかりの黒壁ガラス館前で、似つかわしくない一団が人通りを遮って記念撮影。
おみやげのガラスを手にする。どれにしようか?
この日はご主人の誕生日。鍋の用意は済ませてきたそうだが。

C571、愛称「貴婦人」の前は記念撮影する人でいっぱい。
ひとり旅の格好をつけて。
わたしの帰途、長浜-山崎間のJR運賃は1450円。余呉まででも1600円ちょっとで、楽しい2日間をすごした。東京からきた人は、これほど手軽ではなかったが…。
次回プランの提案もあった。






















































