「木製仁丹看板」を追って、再び京都を歩きました。小雨も混じった前回とは違って秋らしい気持ち良い天気でした。
東本願寺の北西の裏手あたりの立派な民家に掲げられた「下京区新町通花屋町下東若松町」です。
ネット上の古い画像とは設置場所が違っているようです。民家の壁などを改修したときに、よく見える正面にもってきたようです。誇らしげにみえます。
四条烏丸に近い「下京区佛光寺通烏丸東入下ル匂天神町」です。カメラの設定がズレて、モノクロに鳴ってしまいました。
3枚目は川端御池の東側。「上京区新麩屋町通仁王門下る大菊町」です。
長屋の路地の前、お地蔵さん隠れるように残っています。仁丹の文字とカイゼル髭のトレードマークも鮮やかです。
阪急・烏丸から歩き始めました。佛光寺を通り過ぎて、高辻を左折しました。匂天神の横に「高辻通烏丸東入匂天神町」の表示がありました。目指す匂天神町まで来ています。
路地を入って行くと仁丹ホーロー看板もありました。
キョロキョロしながら歩くと「高辻通烏丸東入下ル匂天神町」とピタリ一致の看板が2枚もありました。
そして見つけました。木製看板を。左上のエアコン室外機の上の柱です。
その気になって探さなければわからないようでは、本来の地名表示の役目を果たしていないような気もします。きっと百年ほど前の設置当時はよく目立つ場所だったのでしょう。
烏丸の一本東の通りの高辻と松原の区間は、真ん中で蛇行しています。因幡薬師堂(平等寺)があるからです。
因幡薬師堂から南は不明門通です。これで「あけずのもんとおり」または「あけずとおり」と読みます。京都検定の必修問題です。
薬師堂の南門が常に閉ざされていたことに由来します。
小さな交差点にある2つの町名表示は同じです。
烏丸五条の交差点を渡り、東本願寺手前の花屋町を西進します。きれいなトイレをお借りしました。目指す東若松町のすぐ近くまで来ていました。
ありました。「東若松町」です。でもホーロー看板です。
カーブミラーに撮影しているわたしが写っていました。
同じ民家の中央に木製看板は掲げられていまし。
京都市の景観重要建造物に指定されていました。
次のポイントを目指して地下鉄で五条から京都市役所(河原町御池)まで移動しました。
京都ホテルオークラの北西角に桂小五郎(木戸孝允)の像がありました。この辺りに長州藩邸がありました。
「上京区寺町二条上ル」はこのあたりとネット上のデータにあります。でも見つかりませんでした。
木屋町二条の角には島津製作所創業記念資料館があります。
その柱にも仁丹看板はありました。ピッカピカです。
鴨川を渡り、仁王門通を東に歩きました。このあたりの町名は、「新」とつくのが多いです。
宝永の大火(宝永5、1708年)で焼け出された中心部の町々が、町名ごと引っ越してきたそうです。
新麩屋町と立派な通り名がついてますが、元の麩屋町とは趣が違うようです。
ここで今回の仁丹看板の追跡は終了としました。
歩いた軌跡です。地下鉄五条ー京都市役所間もつながっています。




















