京都・三条京阪 「篠田屋」の皿盛

 京都の三条を東に向けて歩きました。そうだ、昼飯はあそこにしよう! 思いついたのは三条京阪にある「篠田屋」です。名物の「皿盛(さらもり)」(750円)を初めていただきました。
 カレーうどんの汁を、皿のご飯にかけたようなものです。カリッと揚がった薄いトンカツがトッピングされています。この店のメニューには、別に「カレーうどん」も「かつカレー」も存在します。店の前にあった京阪電鉄(現在は地下化)の社員が、熱々をすぐに食べられるように皿でと頼んだのが最初だそうです。
 和風のうどんの出汁がよく効いてます。片栗粉のアンがトロリとします。それでいてカレー味もスパイシーです。豚肉が入ってますが、青ネギがアクセントになっているところが、ルーツはカレーうどんです。かなりのボリュームかと思いましたが、きれいにペロリでした。 

 皿から今にもあふれ出しそうです。表面張力だけでもっているようです。

 ビールを頼みました。「大(だい)ビンですか?」、「はい」。キリンのラガーにアサヒのグラスです。気にしません。

 メニューはたくさんあります。衣笠丼も気になります。でも客の3分の2が皿盛、残りは中華そばという感じで、わたしが店にいる間には他のオーダーはありませんでした。
 かわいいテーブルに椅子が4脚。そんなのが8セットほどと小上り2席があります。でもほとんどの客が1人。この大きさのテーブルには、それでピタリです。

 「ボリュームたっぷり!! ガッツリ食べたい方におすすめ。そのまま食べても、ソースをかけても七味をかけてもOK!」と書かれています。
 そうだったのか。今度は七味をかけてみます。

 昭和レトロな雰囲気が色濃い食堂です。BSフジでかつて放送していた「ニッポン百年食堂」に登場したのを覚えています。
 創業は1904(明治37)年と、立派な百年食堂です。

 篠田屋
 075-752-0296
 京都市東山区三条通大橋東入大橋町111

 通りの向こうでは幕末の尊応思想家、高山彦九郎が御所に向かって土下座しています。

 左に視線と移すと、昔ながらの肉屋さんがまだ存在していました。

 2006年にも撮影しています。比較すると、看板の「牛」と「ヨタ」が消えています。それにしても、電柱がなくなっているくらいで他はほとんど同じです。

 「ニッポン百年食堂」では、同じ回にこちらも登場していたはずです。
 寺町三条を上がったところにある「常盤」です。きょうも横を歩いてきました。こちらは1878(明治11)年創業の老舗です。

京都人の密かな愉しみ その11 「柳の水」を飲む

 きょうも気持ちの良い天気でした。ふらりと京都に出かけました。
 吉川英治の「新・平家物語」に登場する名水「柳の水」を探しました。「京都人~」では、夏の味覚編でNHK京都放送局勤務当時の井上あさひアナウンサーが訪ねています。
 阪急・烏丸から北に歩き六角通で左折、3本目が西洞院です。ここを右折したところに「馬場染工業」と看板のかかったビルがあります。通りに面して「柳の水」の表示があり、蛇口から名水が流れ出ています。ビルの内部に入れてもらうと、その井戸があります。
 「柳の水は、地下約90メートルまで掘られており、一度も枯れることなく今もなお染色や飲料水用として利用されています」と、いただいたパンフレットに書かれています。

 観光客にも優しい心配りです。

 蛇口をひねると、冷たい水が出てきます。ひと口、いただきました。爽やかな水です。

 この絵を見て、ピーンときました。「崇徳院と水守だ!」と。

 帰宅後に「新・平家物語」を調べました。
 崇徳上皇の水番から町医者となった阿倍麻鳥(架空の人物)は、源平の盛衰を描く物語を通じて登場します。崇徳院を慕って讃岐にも行きます。長い物語は、年老いた麻鳥が「もともと、わしは、柳の水の水守でもして、一生をおわろうとしたものを…」と、永年連れ添った蓬子に語りかけるシーンで終わります。

 この辺りには平安時代には崇徳上皇の仙洞御所があり、室町時代には茶道の祖・村田珠光が住み、茶人・千利休が「柳の水」を茶の湯に使いました。江戸時代には、織田信長の二男・信雄の屋敷となり、後に肥後加藤家(加藤清正)、紀州徳川家の京屋敷となったそうです。

 「京の黒染屋 馬場染工業」は、1870(明治3)年の創業です。
 
 京都市中京区西洞院通三条下ル柳水町75
 075-221-4759 

 「柳水町」と書かれた古い住居表示がありました。

 この後、西洞院から三条を東に東に歩きました。

 途中、昼飯を食べて祇園まで歩きました。八坂神社の境内にある祇園神水です。
 「京都人~」では、オムニバスドラマ「真名井の女」で、井戸掘り会社(八神鑿泉工業)の跡取りが、会社の女性事務員に入れて貰ったお茶の水を、「祇園神水では」といいます。 

 八坂神社は観光客の姿は少なく、これまでになくガラーンとしていました。