京都を歩く 御土居を巡る 北大路~九条

 豊臣秀吉が京の都をぐるっと取り巻いて築いた御土居を巡るウォーキングの続編です。東側から南へと、現在の地名では北大路から賀茂川-鴨川とほぼ並行する河原町通を京都駅まで、さらに南辺の九条通まで歩きました。
 早くから市街化が進んだ地域ですので御土居が残るのは紫式部ゆかりの盧山寺だけでした。
 今出川を横切る出町には京七口の一つ、大原口を示す立派なの道標が立っていました。ここは若狭から続く「鯖街道」の終点でもありました。

 地下鉄の北大路から歩き始めました。イオンモールなどが入居する旧市電北大路車庫の跡地ビルに対して左に30度ほどずれて東上総通が走っています。これが御土居の地割に沿っています。

 斜めの道は紫明通を越えます。すぐ先の賀茂川の向こうに比叡山がそびえます。

 京都市交響楽団の練習場は、京都市長選挙の投票所になっていました。

 出雲路橋は、京七口の鞍馬口です。鞍馬口通は、金閣寺から銀閣寺まで歩きました。

 道は河原町通に出て、出町までやってきました。豆餅のふたばは、きょうも大行列でした。

 大原口の道標を過ぎて寺町を南下。盧山寺までやってきました。
 節分の昨日は大にぎわいだったはずですが、きょうはひっそりとしていました。

 境内の裏(東側)に御土居が残っています。昭和十二年と彫られた見慣れた石碑も立っています。

 御土居の上を北に向いて枯れ枝の間を歩きました。

 50㍍ほど、左手の階段まで続いていました。

 紫式部の歌碑の横に小さな咲いていました。樹皮から桜でしょう。

 京都府立医大の図書館横駐車場から河原町通に出たところに、御土居を模した土塁ができています。3ヵ月に1回は検診でやってきて、車を駐車しますが、これまで気づきませんでした。
 昔は立命館大学の広小路キャンパスがあったところです。向こうの御土居に沿っていたビルは、大学クラブの部室などが並んでいたはずです。 

 植え込みの中に御土居の説明パネルがありました。
 ここから少し下がったところが京七口の荒神口でした。

 御池まできました。京都市役所は御土居の上に建っているのです。

 いつものようににぎわう河原町三条の辺りに、京七口の粟田口がありました。

 河原町は店の様子がすっかり変わっています。
 レコード屋の清水屋は変わらずに健在でした。中、高校時代の友人の店です。

 通り過ぎるのは坂本龍馬なんてご存知なさそうなハングルやチャイニーズが多いです。

 ♪京の五条の橋の上・・・というわけで、五条大橋には義経と弁慶の像があります。
 京七口の伏見口があったところで、伏見街道がつながっていました。

 河原町通からちょっと東にずれています。この辺りはかつて五条楽園と呼ばれた京都最大の遊郭でした。住宅の軒先のランプが、それらしいです。

 木造三階建の立派なこの建物は、五条楽園のランドマークというべき五条会館歌舞練場でした。

 壁に歌舞練場小路とありました。

 再び河原町通に出て市比賣神社を過ぎてると、枳殻邸にぶつかります。御土居はここを貫いていました。
 市比賣神社は、今夜のNHKテレビ「光る君へ」の最後に雅楽の練習場として登場していました。

 枳殻邸(渉成園)は東本願寺の飛地境内地の庭園です。池の中島が御土居の名残だそうです。
 「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルといわれる源融(みなもとのとおる)の邸があったとされる地です。「京の冬の旅」で特別公開されている園林堂には、板画家・棟方志功の肉筆の襖絵があります。

 京都駅まで歩いてきました。
 JR京都駅の長い0番ホームは、御土居の上にあるともいわれてきました。実際には、ちょっとずれているようです。

 堀川通で南下します。

 JR京都線の線路下を潜ります。

 九条油小路までやって来ました。ここが御土居の南東角です。

 2日前のウォーキングの後に立ち寄った居酒屋のチェーン店がありました。腹も減ってましたが、ゴールはもう少しと後ろ髪を引かれつつ通過しました。

 東寺の五重塔がそびえます。

 「九条御土居」のプレートがかかっています。御土居の南西角です。でもこのプレートの他には何も見つけられませんでした。この辺りが京七口の鳥羽口でした。鳥羽街道や西国街道の出入口です。
 ここをゴールとするつもりでした。

 少し行くと羅城門跡でした。

 昼飯はすぐ近くにある好物ギョーザの「ミスター・ギョーザ」で食べようと行ってみました。ところがこの行列です。とてもここに並ぶ根性はありません。

 羅城門のバス停まで戻って京都駅行きのバスを待ちました。案内板を見ていると、上から2段目の16系統のバスはなんと御土居を経由してくるではありませんか。スマホを取り出してどこかと検索しました。

 路地を北に入ったところに御土居の調査ポイントがありました。この路地の傾斜が御土居の跡だったのです。

 すぐ近くの東寺西門通に御土居という名のバス停はありました。

 そこから北に延びる道は、一段高くなってました。一方は暗渠になっているようです。御土居の外側の堀の名残でしょうか。

 御土居は朱雀大路(千本通)とほぼ並行して北上します。このルートはすでに歩いていますので、御土居に沿って都を一周することになりました。
 JR京都八条口まで歩いて、ゴールとしました。

 「京都を歩く」と今年初めから歩いて8回になりました。その踏破ルートを地図の赤線で重ねました。次はどこを歩こうかと検討中です。