京都を歩く 油小路を北から南へ 鍾馗さんに会う

 京都の町を南北に貫く一番長い通り、油小路(あぶらのこうじ)を北の端から京都駅まで歩きました。
 平安京にの昔からある道ですが、ネーミングの由来はわかりません。たまたまですが油屋がありました。鍾馗(しょうき)さんも並んでいます。

 この通りの町家では、あちこちで鍾馗さんと出会えます。

 鍾馗は中国の民間伝承に伝わる道教系の神です。日本では魔よけの効験があるとされ、この辺りでは屋根の上に載せています。

 【2024/03/02 09:50】
 上賀茂神社に近い賀茂川沿いの加茂川中学からスタートしました。御土居巡りでやってきたところです。

 道案内に油小路の表示がありました。

 竹殿南通から油小路は南下します。
 現在は中学の校庭となってますが、通りの延長上が御土居の東北角にあたります。

 紫野柳公園という児童公園に「ラジオ塔」が残っていました。ラジオの普及を目的に公園などに設置された、ラジオ受信機を内部に収めた塔です。
 わたしが育った下鴨の実家近くの萩児童公園にもありました。

 北大路を横切りました。風情があるすし店です。

 電柱の表示を見て、ここが油小路と確認しました。

 紫明通を渡ると油小路はなくなります。ちょっとずれた小川通を進みます。

 右手に本法寺があります。

 桜の名所ですが、まだ蕾は堅いです。
 「京都人の密かな愉しみ」(NHK-BS)で、和菓子屋の若女将(常盤貴子)が満開の花の下で男と別れ、再会するシーンの舞台になっていました。

 すぐ前が「今日庵(茶道裏千家)」です。

 隣は「不審菴(表千家)」です。

 寺の内通に突き合ったところに和菓子の俵屋吉富の小川店があります。
 「京都人の密かな~」のロケ地にもなっていました。

 上立売から再び油小路が続きます。

 本阿弥光悦の京都屋敷跡の石碑がありました。晩年を鷹峯の光悦寺で過ごすまでは、ここに暮らしていたそうです。

 今出川の角に白峰神宮があります。参っていきます。

 蹴鞠(けまり)の神さまが、今ではサッカーからゴルフまで、あらゆる球技の神さまです。

 慶長天主堂跡です。キリスト教を認めた織田信長の時代に南蛮時があったそうです。

 楽美術館には、歴代の楽焼きなどの美術工芸品が展示されています。

 美容室となった町家に鍾馗さんがいます。

 あちらに、こちらにおられます。

 

 モダンな建築のアクセントなっています。

  御池を渡りました。

 織田信長が討たれた「敵は本能寺」の舞台でした。

 町家の多くが民泊に衣替えしています。客足が戻ってきているのでしょうか。

 鍾馗さんは、まだまだ続きます。

  秦家住宅は、明治2年に立てられた古い薬屋です。

 味のある看板がかかっています。

 西本願寺の前までやってきました。

 赤レンガが特徴的な本願寺伝道院は、真宗信徒生命保険会社の社屋として明治45年(1912)に建てられました。

 道路脇のポールには、様々な動物がデザインされています。

 新選組参謀だった伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が、その分裂により近藤勇の企みによって暗殺された油小路事件の現場です。

 新選組の3番目の屯所となった不動堂村屯所は場所が確定されていないところから、不動堂明王院が「まぼろしの屯所」となっています。

 JR京都線のガードに突き当たりました。ここから南は堀川通と一緒になってさらに南に延びています。でも高速道路の高架下を通る歩いて楽しくない道です。ここをゴールとしました。

 青色がきょうの軌跡。赤がこれまでに歩いたルートです。