京都を歩く 三条通を西から東へ 嵐電に沿って

 京都の町を東西に貫く三条通は、東は山科区四宮から西は右京区の嵐山(渡月橋)に至ります。平安京の三条大路だった中心部の区間は、碁盤の目に沿って真っすぐですが、その両端は曲がっています。
 ここ数日の寒さが和らいだ一日、渡月橋から東を向いて歩きました。
 西大路三条までは、嵐電(京福電鉄嵐山本線)と併行します。広隆寺の前の併用軌道を京紫カラーの電車が走り抜けました。

 嵐電の駅名は、難読地名のオンパレードです。
 西から鹿王院、車折神社、有栖川、帷子ノ辻、太秦、蚕ノ社、西院。
 答は、ろくおういん、くるまざきじんじゃ、ありすがわ、かたびらのつじ、うずまさ、かいこのやしろ、さい(阪急は「さいいん」)。

 烏丸-河原町間は、明治時代のメーンストリートでした。名建築が残っています。
 日本銀行京都支店は、京都文化博物館になっています。

 三条大橋の西畔には「弥二さん喜多さん」の像が立っています。お江戸から上ってきた東海道五十三次のゴールでした。
 わたしもここまでとしました。


 【2024/03/07 10:39】
 阪急嵐山から歩き始めました。平日だというのに、観光客の多さにびっくりです。非日本語が飛び交います。

 碁盤の目の京都で生まれ育ちました。東西南北の方位感には自信がありました。
 ところが長い間、渡月橋は東西に架かっていると思い込んでいました。実際には南北でした。桂川(大堰川)が渡月橋と下流の松尾橋との間で直角に曲がっているのに気づきませんでした。

 渡月橋の北詰です。三条通の表示がありました。それにしてもすごい観光客です。

 桂川が曲がっている辺りで、三条通はまっすぐに左へ進みます。

 京都では「いけず石」と言います。狭い路地の角に置かれて、通行する車やリヤカーなどが建物の角に当たらないよう注意喚起していたのです。
 それにしても、こちらはたくさん並んでいます。

 車折神社は芸能の神さまです。

 嵐電の帷子ノ辻です。左から嵐山行、四条大宮行、北野線の北野白梅町行の3両が並んでいます。

 南東に抜ける大映通り商店街です。キネマ全盛期に近くに大映京都撮影所がありました。
 東映撮影所は、東映太秦映画村となって生き続けています。嵐電北野線の次の駅が撮影所前です。

 広隆寺といえば国宝の弥勒菩薩半跏思惟像を思い出します。

 太秦広隆寺をすぎると、しばらくは専用軌道を走ります。

 次の蚕ノ社からは再び併用軌道です。

 三条御池です。わたしの感覚ではありえない地名です。中心部では三条と御池は東西に平行する通りです。それが交わっているのです。
 この辺りでは、三条が北西から南東方向に碁盤から30度ほどずれて走っています。 

 天神川には踏切があります。

 猿田彦神社のかわいい社です。

 葛野(かどの)大路三条からまたまた併用軌道です。

 クラシックな電車に追い抜かされました。

 山ノ内の電停です。市電はそういう呼び名でした。バリアフリーなんて概念がなかった時代です。

 西大路三条です。嵐電も交差点の信号に従ってストップです。やがて「電車用」と書かれた表示に「↗」(画像合成部分)が灯りました。東西、南北、右左折すべてが赤信号の中を嵐電は次の駅、西院に向けて発車しました。

 千本を越えるとアーケードの三条会商店街です。

 ひところほどの賑わいはなくなったように思いました。行列のできていた中華の店の前も静かでした。

 京の町ではおなじみの仁丹の看板です。

 烏丸を越えた交差点の南東角に道路元標が立っています。道路の起終点を示す標識です。

 中京郵便局は1902年に竣工した赤煉瓦造り2階建てです。

 寺町と交わるとアーケードの三条名店街です。

 河原町を越えた辺りに、幕末の尊王攘夷派を新選組が襲撃した池田屋事件の現場跡です。今は同じ名の居酒屋です。

 三条大橋でゴールとしました。2本の河津桜が満開でした。

 青色が、きょうの軌跡です。