京都・堺町通を御所まで歩く


                                                          2006/04/16

 京都の現在の中心部を南北に通る堺町通りを、四条通りから北に御所まで歩きました。鍾馗さんにも出会えました。
 四条堺町通の北西角の野村證券京都支店ビルに、「祇園祭 長刀鉾からくり時計」があります。毎日、9、11、1、3、5時に動き出します。ちょうど1時前だったので、待つことにしました。

 1時になると、祇園囃子がなり、火焔太鼓がデザインされた時計が上に移動します。現れたのは、長刀鉾です。

 長刀鉾の正面にはお稚児さんがいて、刀を振るってしめ縄を切る動作をします。祇園祭の巡行の様子を再現しています。
 

 180度、向きを変えました。車輪も回っていて、方向転換する様
がなかなかリアルです。
 

 Samurai Artistの異名をもつ彫刻家、流政之の「Okibariyasu」が、からくり時計をみています。舞妓さんをデザインしており、後ろから見ると帯に祇園甲部の紋章が付いています。

 創業安政2年(1855)という包丁屋です。わが家の包丁は、すべて、錦の「有次」ですが、コチラも老舗です。

 創業文化元年(1804)という、200年以上続く湯葉屋です。あちらもこちらも歴史が違います。

 創業は不明ですが、ちょっと歴史を感じさせる風呂屋です。
 「湯快寄席」というのをやっていて、6月26日には桂きん枝も高座にあがります。ちなみに木戸銭は弐仟圓也だそうです。

 錦市場のアーケードです。
 左手は富美屋の本店です。子どものころ、大丸まで買い物にやってきた続きにここでかき氷や蜜豆を食べるのが楽しみでした。

 北野の藤野豆腐店です。ここの豆乳ソフト(200円)は、いつも行列です。

 京の台所と呼ばれる錦市場です。狭い通りの両側に店が並び、人でいっぱいです。

 アンティーク・ショップの店先です。なつかしいブリキ細工が並びます。

 イノダコーヒーの本店です。何年か前に火事で焼失しましたが、町家風の店舗がきれいに再建されています。

 三条の角です。ここも由緒がありそうです。

 三条通はすっかり若者の町になりました。

 フォークシンガーの高田渡が「三条に行かなくっちゃ、三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね..」と歌った『コーヒーブルース』は、三条をすこし東に入ったこちらの三条店をモデルにしているのだとわたしは思ってます。

 「キンシ正宗」の金文字が酒樽とともに壁に埋め込まれています。その向こうにはトリコロールの旗。というわけで、今では流行のイタ飯屋に変身しています。

 京料理の紫野和久傳の堺町店です。ここは茶菓席ということで、いうなれば和風喫茶になっています。隣は高台寺和久傳の流れをくむ和久傳室町店というからちょっとややこしい。どちらでもいいから、一度味わってみたいものです。

 「1590年頃から大規模に薦められた、豊臣秀吉の京都大改造により開かれた通り。当時は人家が少なく、町と野原の境であったことから堺町通と呼ばれるようになりました」
 御池の角の案内板にそんな説明がありました。

 京の東西の通りを歌った「丸竹夷」は有名ですが、南北の「寺御幸」もあります。

 堺町御池上がるの鍾馗さんです。

 「舞踊衣装」の看板を掲げる店の格子です。ズラリと張られたポスターは、「都をどり」(祇園甲部)、「京おどり」(宮川町)、「北野おどり」(上七軒)、「鴨川おどり」(先斗町)と続きます。京都の五花街のうち、春に催される四つが勢ぞろいです。同じ衣装が回っているかと想像すると、ちょっと興ざめではありますが。

 堺町押小路下がる。

 堺町押小路東入る。

 堺町押小路東入る。

 堺町押小路上がる。

 堺町二条下がる。

 「キンシ正宗」発祥の地です。
 
 「天明元年(1781)、若狭出身の堀野家の初代、松屋久兵衛はこの地で造り酒屋を始めた」と説明にあります。

 堺町竹屋町下がる。
 居場所がヘンです。ちょっと横から引っ越してきたのでしょう。

 堺町御門が近づいてきます。

 堺町竹屋町上がる。

 「味噌松風」の松屋常盤です。ずいぶんきれいな店になってます。昔は、普通の町家だったような気もするが…。

 鍾馗さんは、こんな風に置かれています。

 堺町丸太町下がる。

 丸太町で堺町通は終わります。その角には「烏帽子」なんかを扱う店があります。目の前が京都御所です。

 京都御苑に入り、堺町御門越しに堺町通を振り返りました。

 寒い日が続くためか、まだ満開の枝垂れ桜もありました。