(14) 比叡山坂本-瀬田唐橋 (04/05/22)
(水無瀬-JR大山崎-京都-JR比叡山坂本)-穴太-志賀-近江神宮-三井寺-長等-三橋節子美術館-浜大津-琵琶湖文化館-なぎさプロムナード-膳所公園-粟津の晴嵐の碑-瀬田唐橋(ゴール! ゴール!! ゴー~ル!!!)-JR石山-JR京都-水無瀬
天気=うす曇り
距離=約16キロ 総歩数=32,676歩
9:17
にぎやかな会話の輪に加わる。いつもはひとり旅だったが…。
9:44
国道を避けて日吉神社の参道へ。
9:53
表通りを避けて裏道に迷い込むと、懐かしい「仁丹」のマークがかかっていた。
9:55
日吉東照宮の参道。坂本の町は、いたるところに神社仏閣があった。
10:08
「右 大津道」「左 日吉神社」
道端の碑は、新しいもののようだった。
10:10
瑞慶山盛安寺。
由緒はわからなかったが、随分と立派な寺だった。
10:14
高穴穂(あのう)神社に参る。
地名は穴太(あのう)。戦国時代に活躍した近江近郊の石積み(穴太積み)職人の集団、穴太衆の地元だ。
10:43
京阪石坂(石山-坂本)線にそって歩く。
この鉄道路線も京阪電鉄の合理化でいずれは消える運命にある。
10:44
「この花の名前知ってる?」
「シラン」
10:59
大津京を造営した天智天皇を祀る近江神宮。
6月10日の「時の記念日」には、天智天皇が日本で初めて漏刻(ろうこく、水時計)を作った故事にちなんで「漏刻祭」が行われると案内にあった。
11:08
史跡近江大津宮錦織(にしこうり)遺跡。
天智天皇が築いた大津宮の遺跡との見方が強くなっている。
11:16
大津市役所前の道には、大津絵の代表的な絵が。
11:33
ノンストップで三井寺まで歩いた。
近江八景「三井晩鐘」で知られる高い鐘楼がある。
11:46
「この花の名前知ってる?」
「アヤメ?」「ショウブ??」「それともカキツバタ???」
11:53
第一疎水。琵琶湖の水が向こうから、足元のトンネルに流れ込んでいる。
この水が山科-蹴上と流れ、京都の飲料水となる。
12:01
長等公園の一角にある「三橋節子美術館」
12:06
三橋節子の生涯と作品を描いた「湖の伝説」(梅原猛著)は20年以上前に読んだ。その作品が展示されている。
まずはビデオでその生涯を振り返る。
京都の美術館で回顧展が開催中で、展示は少ないのではと心配したが、展示室には代表作の「花折峠」と「三井の晩鐘」が展示されていた。
〒520-0035 大津氏小関町1-1
長等創作展示室 三橋節子美術館
電話 077-523-5101
入場料 210円
12:42
「この花の名前知ってる?」
「知らん」
12:45
鮒寿司で有名な阪本屋。
琵琶湖のフナはブラックバスなどの外来魚の攻勢に敗れ、すっかり獲れなくなった。おかげで鮒寿司も、あまりに高価。素通りする。
12:54
浜大津の大津港。ここから竹生島への観光船が出発する。
13:03
大津生まれの花登匡の顕彰碑があった。
「泣くは人生 笑いは修業 勝つは根性」
「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」が出世作と刻まれている。
13:05
「お腹、減ったな」と話しながらなぎさプロムナードの整備された湖岸を歩く。
13:09
明智光秀の弟、明智左馬之助が天正10年、兄光秀の死を知り、大津から坂本へ湖上を馬でとってかえしたという「明智左馬之助の湖水渡り」の碑があった。
13:12
琵琶湖ホール前の案内板。
女房が代表をしている女声合唱団「コール マーテル」の指導者、K氏が出演するオペラ「ジプシー男爵」のポスターが。もちろん女房はチケットを買っている。
14:21
膳所公園まで来た。
公園には四高桜が移植されていた。
14:35
{ゴール!!」
わたしたちの本当のゴールも目の前に迫ってきた。
14:42
近江八景「粟津の晴嵐」の碑。
14:48
目の前の流れが琵琶湖から瀬田川に変わる。
14:52
1年前の5月24日に出発した瀬田唐橋が目の前に。
230キロ、よくぞ歩いた。
14:58
唐橋の中ノ島には「「日本の道百選」の碑が立っていた。
15:02
左はゴールししたふたり。
右は1年前に出発したときのふたり。
さて、両方の写真で違っているところは何カ所あるでしょうか?
15:03
わたしも、満足感を腹(?)に記念撮影。
15:08
一周の途中で何度も見かけた「瀬田から右回り○○lキロ」「左周り○○キロ」の標識の「どちらに回っても230キロ」があるはずだと探すが、残念ながら見つからなかった。
これは、たぶん大阪港からの距離を示す標識。
15:10
出発-ゴールの日本三名橋「瀬田の唐橋」