反田恭平のチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番

 反田恭平のピアノで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴きました。兵庫県立芸術劇場大ホールで、オケは香港フィルハーモニー管弦楽団でした。
 圧倒的迫力でグイグイと迫ってきました。出だしこそ指揮のリオ・クオクマンやオケと息があいませんでしたが、進むにつれて反田くんのペースに。第1楽章が終わったところで、思わず拍手したくなるほど。第3楽章後半の盛り上がりはすごく、弦から管、打とさまざまなオケの音を引き連れて堂々とゴールを切りました。
 チョンマゲ・スタイルに太った貫禄ぶりは4年前のショパン・コンクールを思い出させます。でもそこに留まっているのではなく、将来は自ら率いるジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)をフルオーケストラに仕上げて、自らが指揮するまでの道のりを突き進んでいるかのようでした。ますます目が離せなくなりました。
 アンコールは献呈(シューマン=リスト)でした。何回も聴いてます。チャイコフスキーとの対比もあって、限りなく優しさにあふれていました。

 後半はチャイコフスキーの交響曲第5番でした。
 香港のオケとはいえ、金管を主体に欧米人がメンバーの大半をしめています。ぽつぽつと日本人も。
 管の響きが分厚く、前列に座っていたのでトロンボーンの鋭い直接音が耳に突き刺さるようでした。ホルンもクラリネットもフルートも⋯。指揮者のオーバーアクションがちょっと気になりましたが、久しぶりにフル・オケのボリュームを堪能しました。

 大ホールが満席でした。
 文化庁芸術祭主催公演で、都倉俊一長官のあいさつもありました。

My memory 駅 ガッレリアが素敵なミラノ・チェントラーレ

 ガッレリア(Galleria)は、イタリア語でギャラリー(Gallery)のこと。ミラノ・チェントラーレ(中央駅)の最前部は「ガッレリア・デッレ・カロッツェ」と呼ばれるアーケード式の車寄せだったが、現在はコンコースになっています。幅200m、天井高は72mに達し、まるで美術館のようです。
 建築家のフランク・ロイド・ライトによって「世界でもっとも美しい鉄道駅」と称されました。

 国際列車が発着します。ところがわたしが乗ったローカル線普通は、汚れ果てたような車両で、あまりの埃っぽさに鼻炎が出るほどでした。

立派なミラノ中央駅と、汚れ果てたローカル線列車

 ミラノのガッレリアといえばこちら、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアです。

優雅なアーケード、ガッレリア

ミラノで乾杯! 夕食はガッレリアで

映画「ピアノ フォルテ」とショパンコンクール

 ピアノのショパンコンクールがいま、ワルシャワで開かれています。2次予選が始まったタイミングで上映中の「ピアノ フォルテ」を京都・四条烏丸のCOCON KARASUMAにある京都シネマで観ました。
 反田恭平が2位に選ばれた4年前のコンクールを追ったポーランド製作(2023年)のドキュメンタリー映画です。鳴り続けるショパンのピアノ曲をバックに、人生を賭けた緊張と栄光の舞台裏が描かれます。
 スポットライトが当たっているのは、ロシア、イタリア、中国などのコンテスタントが数人だけ。まるで親子か恋人かのような師弟や、怖~い先生に従う17歳、地元・ポーランドの期待を集めながら緊張に押しつぶされて途中棄権する若者と、ステージはくるくると回りました。そして勝者がー。

 ところが、日本人ファンとしては緊迫の瞬間を置い続けるカメラ・カットにがっかり。「セカンド・プライズ ショウヘイ・ソリタ」と発表されるシーンに、肝心の反田くんの表情はありませんでした。4位の小林愛実もさっと映っただけ。2人がいつ出てくるかと固唾を飲んでいた身には、なんとも肩透かしなエンディングでした。それでも客席からは見えない(行ったことはありませんが)リアルな人間ドラマに引き込まれました。

 わが家のテレビは、今夜もYouTubeからピアノの音を流し続けています。

My memory 駅 杭の上に立つアムステルダム中央駅

 運河の街、アムステルダムの中央駅です。赤レンガが美しいゴシックとルネッサンス様式を統合させた風情ある建物です。東京駅と似てなくもなく、姉妹駅になっています。
 建設当時は入江だったところを埋めた当てて、多数の杭を打ってその上に立っています。
 わたしはベルギーのアントワープから到着し、ベルリンへ旅立ちました。近くのスキポール空港やデン・ハーグへも利用しました。  

 ヨーロッパの駅としてはめずらしく改札口がありました。

アムステルダム ガントレットを走る

 フェルメールの「真珠の首飾りの少女」に再会するためにデン・ハーグへ向かいました。ところが⋯。

デン・ハーグへ 風車を見た旅

 ベルリンへの長い旅でした。

IC143 Amsterdam-Berlin に乗って

 運河巡りのボートは、中央駅のすぐ近くから乗船しました。

運河の街、アムステルダムを運河から眺める

アムステルダム 運河のあたりを歩く

My memory 駅 イェンバッハからアッヘンゼーバーンが汽笛一声!

 アッヘンゼーバーン(アッヘンゼー鉄道)は、インスブルックからOeBB(オーストリア国鉄)で東へ半時間ほどのイェンバッハから発車します。
 19世紀末に製造されたラックレール式の蒸気機関車は、山道をアッヘンゼー(アッヘン湖)に向けて登ります。

 シュッシュ、ポッポと最後尾から蒸気機関車が押し上げます。

蒸気機関車に押されてアッヘンゼーへ

 アッヘンゼーを船で渡り、湖岸の村、ペルティサウでのんびりとしました。

アルプス山中の湖岸の村 ペルティサウでのんびりと

 帰りのイェンバッハのホームです。出発表示は東向きはドイツのミュンヘン行き。反対向きはイタリアのボローニャ行きでした。
 乗車したアッヘンゼーバーンの他に、ツィラータールバーンも走っています。こちらにもノスタルジックな蒸気機関車が走っています。 

 かわいいイェンバッハの駅から町に出ることはありませんでした。

イェンバッハ 3つのレールの結節点

My memory 駅 聖地とお別れの、サンティアゴ・デ・コンポステーラ

 キリスト教の3大聖地のひとつ、サンティアゴ・デ・コンポステーラは、巡礼の旅の目的地です。わたしも3回、十二使徒のひとり、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の墓が見つかったという地に立つ大聖堂を目指して歩きました。
 renfe(スペイン国鉄)のサンティアゴ・デ・コンポステーラ駅は、巡礼を終えてそれぞれの故郷へ帰るペルグリーノであふれていました。

 最初の巡礼では、Alvia(特急)でマドリードに戻りました。

Paso a paso 巡礼翌日 サンティアゴ~マドリード

 2回目は、空港からバルセロナへ。
 3回目は、ここから北のア・コルーニャ、フェロールへと旅立ちました。

飽きずに見上げる大聖堂

美術の時間 大ゴッホ展 夜のカフェテラス

 神戸市立博物館で開かれている「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」を観ました。
 赤穂でのル・ポン国際音楽祭を楽しんでビジネスホテルで1泊。2時限目の美術は、淡路島を縦断して鳴門まで足をのばして陶板画の美術館を訪れるつもりでした。ちょっとハプニングが発生して予定を変更。神戸・三宮でホンモノのゴッホと対面しました。

 平日の午前中でしたが、にぎわっていました。

 目玉の「夜のカフェテラス」です。
 それまでの暗くて沈鬱なゴッホからは一転、街角のカフェだけがパッと黄金色に輝いていました。

 ゴッホは自ら耳を切り落とした後など自画像をたくさん描いています。そのうちのパリ時代のものです。

 これまでの日本の美術展では撮影禁止が常識でした。最近では一部を撮影可能としているケースもあり、ここでは数作品の絵画部分だけの撮影が許されていました。

 神戸市立博物館は昭和10(1935)年、旧神戸居留地に竣工した横浜正金銀行(現三菱UFJ銀行)神戸支店ビルを転用しています。

 茨木・千提寺で見つかった「聖フランシスコ・ザビエル像」を保存しています。改めて訪れたいです。

音楽の時間 ル・ポン国際音楽祭2025

 「ル・ポン国際音楽祭2025」を、播州赤穂の赤穂化成ハーモニーホールで聴きました(9月30日)。
 ベルリン・フィルハーモニーのコンサート・マスターを勤めるヴァイオリニストの樫本大進が音楽監督をつとめ、縁がある赤穂や姫路で6回ものコンサートが行われます。
 この夜のプログラムには、樫本はもとよりベルリン・フィルの首席フルーティスト、エマニュエル・パユらも登場。モーツァルトとショスタコーヴィチらの作品が並びました。
 チケット発売日の翌日に思い出して、ネット予約しました。ラッキーなことに席は確保しましたが、2階最後尾列の前というステージを見下ろすような席でした。それでもホールの響きは素晴らしく、たった1000円(消費税込み)の席に、その何倍もの高速料金を払ってはるばると車でやってきた値打ちがありました。

 圧巻はパユのフルートでした。モーツァルトのフルート四重奏曲第4番では、びっくりさせれるほどの柔らかさで聴くものを包み込む音色を紡ぎました。ショスタコーヴィチの4つのワルツでは軽やかに舞うように、パユもステージでダンスのステップを踏んでいるよう。ベルリンでも聴いたオケの一員としての顔とは別人でした。
 樫本は前半の知らない作曲家の2曲に登場しましたが、支える演奏に徹しているようでした。

 ル・ポン音楽祭は8年前に聴いています。地の利はそれほどありませんが、満員でした。

 早く着いたので、赤穂御崎まで行ってみました。瀬戸内海に向かって伊和都比売(いわつひめ)神社の鳥居が立っていました。向こうは小豆島です。

 ミニ・モン・サン・ミッシェルです。岩礁に波が打ち寄せていました。干潮時には渡れるようになるのでしょうか?

 きらきら坂と名付けられてショップが並んでいました。

 階段にはおしゃれなカラータイルが張られています。

 赤穂といえばなんでも四十七士です。いや四十七味です。

 ブイが化けていました。

 お目当てのガラスショップは臨時休業でした。
 この後、夕食に穴子丼を食べるつもりだった店も開いておらず、あての「ハズレ」ばかりが連なりました。

My memory 駅 サンモリッツから氷河急行に

 サンモリッツは思いで深い町です。アルプスの画家、セガンティーニと出会い、天国の入り口というソーリオまで訪れ、コルヴァッチ展望台からは4000m峰のピッツ・ベルニナや流れ落ちる氷河を目前にしました。
 氷河急行はサンモリッツから8時間もかけてマッターホルンの麓の町、ツェルマットに向かいました。

 レーティッシュ鉄道のサンモリッツ駅です。泊まっていたホテルの目の前でした。朝からホームを散歩しました。

朝のサンモリッツ駅~レーティッシュ鉄道の電気機関車

 期待を膨らませて氷河急行に乗車です。

氷河急行でツェルマットへ!

オーバーアルプ峠を越える氷河急行

 ホテルの窓から見下ろせば駅でした。真っ赤な塗装の氷河急行を飽きることなく見ていました。

サン・モリッツのホテル、「ラ・マーニャ」で食べた朝食

My memory 駅 コペンハーゲンから渡り鳥ライン

 「渡り鳥ライン」は、コペンハーゲンとハンブルクを結ぶ国際鉄道幹線でした。中央ヨーロッパから北極やスカンジナビアへ帰る渡り鳥と同じコースを走ることから名付けられました。
 北海を渡る19キロは、列車がそのままフェリーに吸い込まれました。それを楽しみにわたしもコペンハーゲン中央駅から乗り込みましたが、今はもう走っていません。 

 おとぎの国のお城のようなコペンハーゲン中央駅です。近くにはアンデルセンの像が立ち、チボリ公園があります。

早朝のコペンハーゲン中央駅

 ヤツメウナギと呼ばれるデンマーク国鉄の気動車です。そんな面(つら)をしてますが、ゴム製の連結幌で編成連結が簡単と合理性に富んでいます。

ヤツメウナギとご対面 デンマーク国鉄の車両

 北海を渡る渡り鳥ラインは風が強いばかり。乗ってた車内からはそれほどの感激はありませんでした。

バルト海を渡る「渡り鳥ライン」 ちょっと期待はずれ

バルト海をわたる連絡船で飲むCarlsberg

 アマリエンボー宮殿には「おもちゃの兵隊」さながらの衛兵が立っていました。

コペンハーゲンの「おもちゃの兵隊」