第二級アマチュア無線技士国家試験 祝「合格」判定!

 第ニ級アマチュア無線技士(2アマ)の秋の国家試験(8日)を受験しました。その解答が、ネットで公開されました。受験科目は無線工学と法規です。さっそく自己採点しました。 
 無線工学は125点満点で、合格点は87点です。わたしの自己採点は107点でした。
 法規は150点満点で、合格点は105点。それが124点でした。
 良くても超低空飛行を覚悟してましたが、余裕をもっての「合格」判定が出ました。正式な合否発表は、まだ先。合格率は50%ほどとのことです。

 現在の無線従事者免許は1級から4級まであります。
 わたしは高校1年の春と秋に当時の電話級、電信級を取得しています。免許証に有効期限はなく、生涯資格です。それぞれが4級、3級相当として扱われます。
 今回は、60年ぶりにもう1ランク上級の2級を目指しました。電信級を取得しているので、モールス信号を送受信する実技試験は免除されました。
 送信機の出力がより大きなものまで、そして14MHz帯という国際通信に有利なバンドで運用できるようになります。

 持ち帰った試験問題と受験票です。

 上の3冊の本で独学で受験勉強しました。
 ネット上には過去の問題と解答が公開されています。ダウンロードしてプリントアウトしました。模擬試験として1回分を解き、答を合わせ。間違ったり、わからなかった問題を勉強していると1時間はかかりました。それを2科目、過去15回分ほどを積み上げると、A4コピー紙の500枚包みほどの厚さになりました。
 受験勉強は、記憶力の低下との闘いでした。何度も読み、鉛筆で下線も引いた重要個所を、翌日にはスパッと忘れています。それでも繰り返していると法規のほうはなんとかなりました。
 問題は無線工学でした。大学は文科系。仕事は新聞記者と、数式なんかとは無縁の毎日を送ってきました。公式が理解できません。その前に2乗やらルート、logやdBといった計算の段階でもうお手あげでした。
 追い詰められた試験前の1周間ほどは、午前に2時間、午後2時間、夜に3時間と机に向かって苦闘を続けました。

 大阪・天満橋の会場で受験しました。無線工学2時間、法規2時間半の試験問題と向き合いました。
 受験者は20数人と、予想外に少なかったです。ハム(アマチュア無線)は「趣味の王様」ともてはやされた時代もありましたが、過去の遺物となりつつあります。ボケ防止には一定程度の効果はあったかもしれませんが、この歳にしてそんな資格に挑戦したのでした。

 受験者は、わたしと同世代とおぼしき方々が半数ほど。若いはチラホラでした。

My memory 駅 緊張のマドリード・チャマルティン

 あちこちの駅を利用して旅してきました。その中で最も緊張を強いられたのがマドリード・チャマルティンでした。スペイン北西部に向かう幹線の起点駅です。最初のサンティアゴ巡礼で、ここからスタート地のサリアへ向かいました。
 治安はあまり良くないとの情報でした。周りの人間がみんなスリに見えました。列車の発車直前までパトロール中の警察官近くのベンチに座っていました。

 ホームの端には、改札とともに空港と同じように手荷物検査がありました。他の駅ではお目にかかったことがありません。
 
Paso a paso 巡礼前日 マドリード~サリア

 乗車してしまえばもう安心。
 ALVIAのS-730シリーズの乗り心地を楽しみました。標準軌と広軌の違うレール幅を走行しながら調整します。さらに電源車も備えていて、非電化区間も走るハイブリットというスグレモノです。

Paso a paso renfe(スペイン国鉄) 「Alvia」に乗る

 帰りもALVIAのお世話になってチャマルティンに戻りました。
 60余歳にして初めての海外ひとり旅でしたが、最後は丸くまーるく大団円となりました。

Paso a paso マドリード 旅の最後は丸くまーるく大団円

My memory 駅 GPLに乗って モントルー

 Golden Pass Line(GPL=ゴールデン・パス・ライン)は、スイスのインターラーケンからレマン湖畔のモントルーを結ぶ絶景鉄道でした。
 わたしたちはその展望列車の最前部に座って走り去るアルプスを楽しみ、モントルーに到着しました(画像上)。鉄ちゃん最高の旅でした。
 軌道幅の違う2私鉄をまたいでいて、途中のツヴァイジンメンで乗り換えました(同下)。今では、走行しながら軌道幅を変えられるプレステージ列車が、ゴールデン・パス・エクスプレスとして乗り換えなしで走っています。もう一度、乗りたいです。

再びGPLの車窓から

 この人、だれだかわかりませんでした。映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見て、フレディー・マーキュリーと知りました。

 明るい太陽にあふれた町でした。この近くで、チャーリー・チャプリンやオードリー・ヘプバーンが晩年を過ごしたのも納得でした。

色が違う街 Montreux

24日のランチ Montreux 木陰のカフェ

My memory 駅 700km近くを歩いてきた サリア

 スペイン・サンティアゴ巡礼でやってきたサリアです。
 聖地のサンティアゴ・デ・コンテスポーラまで100km余に位置し、ここから歩くと巡礼証明書(コンポステーラ)がいただけます。スタート地とするペレグリーノが一番多いです。わたしも最初の巡礼(2013年)では、ここから歩きました。
 マドリードからrenfe(スペイン国鉄)でやってきました。ザックを担いだ同族がたくさん降り立ちました。

 2度目の巡礼では、フランスのサンジャン・ピエ・ド・ポーからピレネー山脈を越え、メセタの大地を横切るフランス人の道を700km近くも歩いて到達しました。
 鉄道やバスなどの交通機関とは無縁の旅でしたが、ブラリと訪ねてみました。ガラガラでした。

サリアを散歩

 1ヶ月近くも歩き続けてきました。ゴールが見えて、早くも乾杯! いや、毎夜のことでしたが。

サリアに到着~乾杯

 サイコーにおいしかった生ハムも味わいました。

イベリコ豚のハモンを堪能

My memory 駅 天井画に驚かされたグラーツ中央駅

 オーストリア第2の都市、グラーツは2度、訪れました。
 ホームに降り立って改札を出ると、その度に驚かされました。天井から壁一面が真っ赤です。幾何学模様がプリントされたプラスチックが張られているそうです。
 2003年に欧州文化都市となった際にインスタレーションされ、好評なためにそのまま残っています。

Graz Hbf の驚くべき天井

 旧市街は世界文化遺産に指定されていて、散歩していてもあちこちにレンズを向けてしまいます。

グラーツで見かけた My Shot

 エッゲンベルク城には、豊臣期に制作された大坂城を中心とした町の様子が描かれた屏風が、壁紙となって残っています。

グラーツ エッゲンベルク城の「大坂図屏風」

My memory 駅 ハンブルク中央駅とミニチュアワンダーランド

 大きな時計塔があるハンブルク中央駅の駅舎は撮影していなかったようです。
 玄関を出たところに秋葉原にでもいそうなメイド(?)の扮装や、そろいのマスクをした集団がぞろぞろとしてました。

 わたしは、コペンハーゲンからバルト海をフェリーでつなぐ「渡り鳥ライン」のICDに乗って到着しました。
 別の日の昼、コンコースのカウンターですしを食べました。そちらの撮影は「No picture」とダメだしされました。

ハンブルク中央駅 「SASHIMI」のすし

 鉄ちゃんにとって見逃せないのが、HOゲージの鉄道ジオラマが広がるミニチュアワンダーランドでした。

Hamburg 「Miniatur WunderLand」に驚愕

 ハンブルクはビートルズ誕生の地でもありました。ビートルズ博物館もありました。

レーパーバーン そこはビートルズの聖地

My memory 駅 ブリュッセル北駅とゲント、ブリュージュ

 ブリュッセル空港から各停でやってきた北駅です。歩いて15分ほどのホテルに向かいました。アントワープへの旅立ちもここからでした。旅の起点でした。

旅の起点 ブリュッセル北駅

 お世話になったベルギー国鉄です。ウイークエンド・チケットという格安券を利用しました。
 美しい古都、ゲントのセントピーターズ駅です。

 運河の町、ブリュージュにも行きました。

ウイークエンド・チケットでゲント、ブリュージュへ

 「世界でもっとも美しい広場」と称賛されるグラン・プラスを散歩しました。ムール貝にも挑戦しました。

午後の陽ざしを浴びる グラン・プラス

ブリュッセルの夜 「シェ・レオン」のムール貝

高槻・トリシマホール 旧三商大OB男声合唱団交歓演奏会

 高槻の高槻城公園芸術文化劇場・トリシマホールで「第11回旧三商大OB男声合唱団交歓演奏会」を聴きました。
 旧三商大とは、戦前の東京商大、神戸商大、大阪商大を前身とする一橋大、神戸大、大阪市立大(現大阪公立大)の3大学です。学問や文化・スポーツで今も交流があります。ひょんなことから招待券をいただきました。グリークラブとは縁のない学生生活を送りましたが、母校(市大)の応援でした。
 プログラムの最初はエール交歓でした。逍遥歌(寮歌)の「桜花爛漫」の出番を期待しましたが、学生歌でした。体育会系の山登り同好会では、今もOB会などで集まると最後に肩を組んで歌っています。でもそれは違う世界だったようです。
 あまり聴くことがない生の男声大合唱は、分厚い低音にテノールが重なり新鮮な響きでした。市大の「花に寄せて」が一番良かったかな! 3大学合同、130人のアンコール「明日に架ける橋」で大盛り上がりのフィナーレでした。

 舞台は当然のことながら、客席もわたしと同年代の男性ばかりが目につきました。「じ~じ!」と応援するお孫さんの声も。休憩中のトイレは、男性の方に行列ができる、いつもとは違う光景でした。

My memory 駅 インスブルックの「ジパング倶楽部」

 インスブルックは、ドイツ、スイス、イタリアと国境を接し雄大なアルプスの大自然を満喫できるチロル州の州都です。ÖBB(オーストリア国鉄)のホームからも、雪をかぶった白い岩峰がのぞいていました。
 ゆったりとしたコンコースから券売窓口に直行しました。長期滞在社向けの「フォアタイルスカード(VORTEILSCARD)」がほしかったのです。
 日本のJRの「ジパング倶楽部」のÖBB版ともいうべきスグレモノで、63歳以上のシニアは1枚(1人)で29EURしかしません。それで乗車券の普通運賃がなんと45%割引になります。
 駅員には「どれくらいいる(滞在する)んだ?」とか聞かれましたが、1ヵ月有効の仮カードを発行してくれました。 

 このカードのおかげで、インスブルックからザルツブルクを経てウィーンなどへの旅の足は割安となりました。

ÖBBの旅 「ジパング倶楽部」の大恩恵

 どちらを向いても雪山がそびえる美しい町でした。

アルプスの山に取り囲まれたインスブルック

 ロープウェーで山にも登りました。寒さに耐えて咲くエーデルワイスと出会うことができました。

インスブルック 雪に咲くエーデルワイス

My memory 駅 交通の要衝、インターラーケン・オスト

ベルナー・オーバーラント三山観光の拠点でもあるインターラーケンは、「湖の間」を意味する通り、トゥーン湖とブリエンツ湖の間にある交通の要衝です。シックな駅舎のオスト(東)駅には、3つの私鉄が発着します。
 グルンデルワルトに向かう登山電車のベルナー・オーバーラント・バーン(BOB)は、ブルーとイエローの長い車両で多くの観光客を運びます。

Interlaken Ost発 BOB鉄道

 インターラーケン・オストへは、ルツェルンからツェントラル・バーン(ZB)のGoldenPassLineと呼ぶ展望列車でやってきました。ところが、生憎の雨。せっかくのパノラマビューが台無しでした。

GPL ZB Brünig線は無情の雨

 町を散歩しました。かなたにユングフラウの頂きがのぞいていました。

 こんなろロケーションのワインは最高でした。

Interlaken でひと休み