京都を歩く 京都電鉄が走った出町線、鴨東線の秋

 京都電気鉄道(京電)は明治28(1895)年に日本最初の営業電気鉄道とした開業しました。こちらも日本初の営業用水力発電である琵琶湖疏水の蹴上発電所から電力供給を受けました。発電所のレンガ壁には、当時の京都市電力局の「六芒星」が残っっています。
 気持ちの良い秋晴れとなりました。かつてN電と呼ばれたチンチン電車が走った出町から寺町を南下した出町線、木屋町ニ条から蹴上まで東進した鴨東線に沿って歩きました。

 河原町今出川を少し上がった出町です。河原町と賀茂川との間に不自然に広いスペースがあります。現在は地下が駐車場になっています。
 【問題1】 どうしてこんなスペースがあるのでしょうか?
 答は、京電・出町線の終点で、折り返し運転のためでした。出町線は寺町丸太町から単線で京都御所に沿って北上。ここまでやってきていたのです。

 京電が走った寺町を下りました。梨木神社境内の紅葉が真っ赤に色づいてました。

 見上げれば仁丹のホーロー看板がかかっていました。
 このあたりに寺町夷川という停留所がありました。

京電の開業とともに走ったN電2号は、平安神宮の神苑に長く保存されていました。わたしは2006年に撮影していました。国の重要文化財に指定され、修復のうえ応天門西側に移されました。
京電は狭軌でしたが、後発の京都市電が誕生。大正7(1918)年に路面電車は市電に一元化されました。その後も北野線だけは狭軌で存続して、その車両は狭軌を意味するナローからNが冠せられました。

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My memory 駅 ザルツブルクの新旧ホーム

 モーツァルトが生まれた町、ザルツブルク。夏の祝祭音楽祭や映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台としても人気の観光地です。
 ÖBB(オーストリア国鉄)のザルツブルク駅は、3回の旅で利用しました。
 真新しい車体のrailjet(レイルジェット、特急)が旧駅のホームに停車中です。でも直前の窓口ではチケットが取れず、次のEC(急行)でウィーンに戻りました。
 奥さまの女声アンサンブルのドイツ遠征(2010年)にカメラ、音声の記録担当として同行しました。そのオプショナル・ツアーとして2人で湖畔のハルシュタットやザルツブルクを楽しみました。ヘルブルン宮殿では、水と戯れました。 

ヘルブルン宮殿 水と戯れる

 55歳のリフレッシュ休暇で念願のウィーン、ザルツブルクを旅しました(2004年)。海外で初めての鉄道旅で降り立ったホームです。

ザルツブルクのモーツァルテーム

 リタイア後にウィーンでのんびりと過ごした旅(2019年)では、railjetに乗ってインスブックからやって来ました。新しいホームは階上にあり、駅舎もきれいになってました。

ÖBBの旅 「ジパング倶楽部」の大恩恵

 この夏、ピアニストの反田恭平がザルツブルク音楽祭デビューを果たしました。モーツァルテーム大ホールでモーツァルトのピアノ協奏曲「戴冠式」を弾き振りしました。
 モーツァルテーム音楽院(大学)には、最初の旅で入って(もちろん入学ではなくて、無断侵入!)してました。ホールはこの近くにあるようです。
 もう一度、訪ねたい町です。

奈良・松伯美術館 「上村松園 下絵と本画」

 奈良・学園前近くの松伯美術館で、「生誕150年記念 上村松園 下絵と本画」を鑑賞しました。
 「花がたみ」(大正4年)だけが写真撮影OKでした。
 眼の前に並ぶ下絵と本画を、しげしげと見つめました。繊細なタッチで描かれた美人画が迫ってきました。
 流れる黒髪の一本一本が、躊躇なく描かれています。筆力に圧倒されました。
 下絵には、紙を張り足して修正を加えた様子が残っています。それが完成した作品と並んでいました。

 女性で初めて文化勲章を受章した松園(1875-1949)の生後150年記念でした。多くの作品の下絵と本画が並べてありました。

 松園、松篁、淳之の3代の作品が所蔵されています。

 ハナミズキが真っ赤に色づいていました。

 近畿日本鉄道グループの総帥だった佐伯勇の旧邸にあります。

 茶室がのぞけます。

 大きなため池に面した一等地の広大な敷地にありました。

 松伯美術館
 0742-41-6666
 奈良市登美ヶ丘2-1-4

第二級アマチュア無線技士国家試験 祝「合格」判定!

 第ニ級アマチュア無線技士(2アマ)の秋の国家試験(8日)を受験しました。その解答が、ネットで公開されました。受験科目は無線工学と法規です。さっそく自己採点しました。 
 無線工学は125点満点で、合格点は87点です。わたしの自己採点は107点でした。
 法規は150点満点で、合格点は105点。それが124点でした。
 良くても超低空飛行を覚悟してましたが、余裕をもっての「合格」判定が出ました。正式な合否発表は、まだ先。合格率は50%ほどとのことです。

 現在の無線従事者免許は1級から4級まであります。
 わたしは高校1年の春と秋に当時の電話級、電信級を取得しています。免許証に有効期限はなく、生涯資格です。それぞれが4級、3級相当として扱われます。
 今回は、60年ぶりにもう1ランク上級の2級を目指しました。電信級を取得しているので、モールス信号を送受信する実技試験は免除されました。
 送信機の出力がより大きなものまで、そして14MHz帯という国際通信に有利なバンドで運用できるようになります。

 持ち帰った試験問題と受験票です。

 上の3冊の本で独学で受験勉強しました。
 ネット上には過去の問題と解答が公開されています。ダウンロードしてプリントアウトしました。模擬試験として1回分を解き、答を合わせ。間違ったり、わからなかった問題を勉強していると1時間はかかりました。それを2科目、過去15回分ほどを積み上げると、A4コピー紙の500枚包みほどの厚さになりました。
 受験勉強は、記憶力の低下との闘いでした。何度も読み、鉛筆で下線も引いた重要個所を、翌日にはスパッと忘れています。それでも繰り返していると法規のほうはなんとかなりました。
 問題は無線工学でした。大学は文科系。仕事は新聞記者と、数式なんかとは無縁の毎日を送ってきました。公式が理解できません。その前に2乗やらルート、logやdBといった計算の段階でもうお手あげでした。
 追い詰められた試験前の1週間ほどは、午前に2時間、午後2時間、夜に3時間と机に向かって苦闘を続けました。

 大阪・天満橋の会場で受験しました。無線工学2時間、法規2時間半の試験問題と向き合いました。
 受験者は20数人と、予想外に少なかったです。ハム(アマチュア無線)は「趣味の王様」ともてはやされた時代もありましたが、過去の遺物となりつつあります。ボケ防止には一定程度の効果はあったかもしれませんが、この歳にしてそんな資格に挑戦したのでした。

 受験者は、わたしと同世代とおぼしき方々が半数ほど。若いかたはチラホラでした。

My memory 駅 緊張のマドリード・チャマルティン

 あちこちの駅を利用して旅してきました。その中で最も緊張を強いられたのがマドリード・チャマルティンでした。スペイン北西部に向かう幹線の起点駅です。最初のサンティアゴ巡礼で、ここからスタート地のサリアへ向かいました。
 治安はあまり良くないとの情報でした。周りの人間がみんなスリに見えました。列車の発車直前までパトロール中の警察官近くのベンチに座っていました。

 ホームの端には、改札とともに空港と同じように手荷物検査がありました。他の駅ではお目にかかったことがありません。
 
Paso a paso 巡礼前日 マドリード~サリア

 乗車してしまえばもう安心。
 ALVIAのS-730シリーズの乗り心地を楽しみました。標準軌と広軌の違うレール幅を走行しながら調整します。さらに電源車も備えていて、非電化区間も走るハイブリットというスグレモノです。

Paso a paso renfe(スペイン国鉄) 「Alvia」に乗る

 帰りもALVIAのお世話になってチャマルティンに戻りました。
 60余歳にして初めての海外ひとり旅でしたが、最後は丸くまーるく大団円となりました。

Paso a paso マドリード 旅の最後は丸くまーるく大団円

My memory 駅 GPLに乗って モントルー

 Golden Pass Line(GPL=ゴールデン・パス・ライン)は、スイスのインターラーケンからレマン湖畔のモントルーを結ぶ絶景鉄道でした。
 わたしたちはその展望列車の最前部に座って走り去るアルプスを楽しみ、モントルーに到着しました(画像上)。鉄ちゃん最高の旅でした。
 軌道幅の違う2私鉄をまたいでいて、途中のツヴァイジンメンで乗り換えました(同下)。今では、走行しながら軌道幅を変えられるプレステージ列車が、ゴールデン・パス・エクスプレスとして乗り換えなしで走っています。もう一度、乗りたいです。

再びGPLの車窓から

 この人、だれだかわかりませんでした。映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見て、フレディー・マーキュリーと知りました。

 明るい太陽にあふれた町でした。この近くで、チャーリー・チャプリンやオードリー・ヘプバーンが晩年を過ごしたのも納得でした。

色が違う街 Montreux

24日のランチ Montreux 木陰のカフェ

My memory 駅 700km近くを歩いてきた サリア

 スペイン・サンティアゴ巡礼でやってきたサリアです。
 聖地のサンティアゴ・デ・コンテスポーラまで100km余に位置し、ここから歩くと巡礼証明書(コンポステーラ)がいただけます。スタート地とするペレグリーノが一番多いです。わたしも最初の巡礼(2013年)では、ここから歩きました。
 マドリードからrenfe(スペイン国鉄)でやってきました。ザックを担いだ同族がたくさん降り立ちました。

 2度目の巡礼では、フランスのサンジャン・ピエ・ド・ポーからピレネー山脈を越え、メセタの大地を横切るフランス人の道を700km近くも歩いて到達しました。
 鉄道やバスなどの交通機関とは無縁の旅でしたが、ブラリと訪ねてみました。ガラガラでした。

サリアを散歩

 1ヶ月近くも歩き続けてきました。ゴールが見えて、早くも乾杯! いや、毎夜のことでしたが。

サリアに到着~乾杯

 サイコーにおいしかった生ハムも味わいました。

イベリコ豚のハモンを堪能

My memory 駅 天井画に驚かされたグラーツ中央駅

 オーストリア第2の都市、グラーツは2度、訪れました。
 ホームに降り立って改札を出ると、その度に驚かされました。天井から壁一面が真っ赤です。幾何学模様がプリントされたプラスチックが張られているそうです。
 2003年に欧州文化都市となった際にインスタレーションされ、好評なためにそのまま残っています。

Graz Hbf の驚くべき天井

 旧市街は世界文化遺産に指定されていて、散歩していてもあちこちにレンズを向けてしまいます。

グラーツで見かけた My Shot

 エッゲンベルク城には、豊臣期に制作された大坂城を中心とした町の様子が描かれた屏風が、壁紙となって残っています。

グラーツ エッゲンベルク城の「大坂図屏風」

My memory 駅 ハンブルク中央駅とミニチュアワンダーランド

 大きな時計塔があるハンブルク中央駅の駅舎は撮影していなかったようです。
 玄関を出たところに秋葉原にでもいそうなメイド(?)の扮装や、そろいのマスクをした集団がぞろぞろとしてました。

 わたしは、コペンハーゲンからバルト海をフェリーでつなぐ「渡り鳥ライン」のICDに乗って到着しました。
 別の日の昼、コンコースのカウンターですしを食べました。そちらの撮影は「No picture」とダメだしされました。

ハンブルク中央駅 「SASHIMI」のすし

 鉄ちゃんにとって見逃せないのが、HOゲージの鉄道ジオラマが広がるミニチュアワンダーランドでした。

Hamburg 「Miniatur WunderLand」に驚愕

 ハンブルクはビートルズ誕生の地でもありました。ビートルズ博物館もありました。

レーパーバーン そこはビートルズの聖地

My memory 駅 ブリュッセル北駅とゲント、ブリュージュ

 ブリュッセル空港から各停でやってきた北駅です。歩いて15分ほどのホテルに向かいました。アントワープへの旅立ちもここからでした。旅の起点でした。

旅の起点 ブリュッセル北駅

 お世話になったベルギー国鉄です。ウイークエンド・チケットという格安券を利用しました。
 美しい古都、ゲントのセントピーターズ駅です。

 運河の町、ブリュージュにも行きました。

ウイークエンド・チケットでゲント、ブリュージュへ

 「世界でもっとも美しい広場」と称賛されるグラン・プラスを散歩しました。ムール貝にも挑戦しました。

午後の陽ざしを浴びる グラン・プラス

ブリュッセルの夜 「シェ・レオン」のムール貝