My memory ウィーン その3 シュテファン大聖堂

 ウィーンの町の中心にそびえるのがシュテファン大聖堂です。教会ですが、ミサはもとよりコンサートも行われます。
 指揮者も目指しているピアニストの反田恭平さんが、モーツァルトのレクイエムを振りました。モーツァルトが亡くなっった同じ日、時間、結婚式も葬儀も行われたシュテファンで。これは聞きに行くしかありませんでした。
 あちこちでクリスマスマーケットが開かれている、雪が舞うウィーンでした。

シュテファン大聖堂 反田恭平のリアル・レクイエム 【本番】

 ウィーン放送交響楽団でヴァイオリンを弾くちかちゃんが、トラ(エキストラ)で演奏していました。おかげでリハーサルにも立ち会うことができました。

シュテファン大聖堂 反田恭平のモツレクが響く

 4回目のこの日はミサが行われていました。

日曜ミサ シュテファン大聖堂

 2回目のウィーンで、緊張しながらモーツァルトの「戴冠ミサ」を聴きました。

敬虔な気持ちで日曜ミサに

My memory ウィーン その1 ウィーン楽友協会

 「音楽の都」と称されるウィーンです。55歳のリフレッシュ休暇で初めて訪れました。リタイア後にはゆっくりと滞在しました。雪のクリスマス・マーケットでプンシュを飲み、カフェ巡りもしました。
 ウィーン楽友協会のグローサー・ムジークフェラインザールは「黄金のホール」と呼ばれます。ニュー・イヤー・コンサートのテレビ中継でなじみの憧れのホールに身を置きました。

 5回目のウィーンです。雪で凍てついた夜でした。でもここだけはアルゲリッチらの熱気にあふれていました。

楽友協会 アルゲリッチに振りまわされる

 ベートーベンの「第9」が爆発しました。広くない舞台に合唱まですし詰めでした。

 夜空に輝く聖地、ムジークフェラインです。

楽友協会 ベートーベンの「第9」に圧倒される

 奥さまの合唱団のドイツ遠征でもウィーン観光をしました。ここは外せないと訪れました。

あこがれの「楽友協会」だったのに・・・

 ガイドツアーでは舞台のかぶりつきで、カラヤンやベームの足跡かもしれない傷だらけの床まで見学しました。

ウィーン 楽友協会のガイドツアー

 最初の旅では、ムジークフェラインの存在を確認しただけでした。

ウィーン 初めての楽友協会

My memory アムステルダム コンセルトヘボウ

 オランダ・アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに世界の三大交響楽団といわれます。その本拠地がコンセルトヘボウです。ボストンのシンフォニーホール、ウィーンの楽友協会と同様に、戦前からの姿を伝えるシューボックス型の音響の優れたコンサートホールです。
 ベルリンでマリス・ヤンソンスの指揮の虜になりました。常任をしていたコンセルトヘボウでも聴きたくなって、2014年に訪れました。期待通りの素晴らしいコンサートでした。

ヤンソンス、コンセルトヘボウに驚愕

コンセルトヘボウ おいしいワインと驚愕の響き

「I amsterdam」 の街に

 小ホールで開かれる無料のランチコンサートも楽しみました。

アムステルダム コンセルトヘボウのランチコンサート

 2019年にアムステルダムに立ち寄ったときにも、トラムで思い出のコンセルトヘボウの前まで行ってみました。

 アムステルダムを散歩する

 奥さまは、合唱の遠征旅行の折にもう一度、コンセルトヘボウに行ってます。プロムシュテットの指揮するドヴォルザークのチェロ協奏曲などを聴いたそうです。

My memory ベルリン ベルリン・フィルハーモニー その3

 「ウィーンでのんびりと」というタイトルで旅しました。2019年のことです。インスブルックからスタート。ウィーンで1週間ほど過ごした後、またもベルリンを訪れました。旅の仕上げはベルリン・フィルでした。
 シベリウスの交響曲第1番が終わり、拍手に包まれてフィンランドの若い指揮者、Santtu-Matias Rouvaliがコンサートマスターの樫本大進と握手したところです。

 この日のステージにはピアノが置かれていました。日本人の母親をもつドイツ人ピアニスト、アリス=紗良・オットが裸足で登場して、天女のような響きを聞かせてくれました。

ベルリン・フィルハーモニー ベルリンの音と天女の響き

ベルリンの響き ロウヴァリとアリス=紗良・オットがラヴェルのピアノ協奏曲で共演

 フィルハーモニーのショップでみやげに買ったCDは左下です。すっかり魅せられて、大津・びわ湖ホールでの来日リサイタルで再会しました。

びわ湖ホール アリス=紗良・オットのEchoes Of Life

My memory ベルリン ベルリン・フィルハーモニー その2

 ベルリン・フィル・デビューした日本人指揮者の山田和樹はインタビューで、「ヤンソンス指揮のブラームス2番を聴いた」と話していました。
 マリス・ヤンソンスは、わたしが初めてベルリンでベルリン・フィルを聴いた指揮者だったことは「その1」で書きました。
 ブラームスの交響曲第2番は、2度目のベルリン(2014年)のサイモン・ラトル指揮でその大爆発に身を置きました。
 山田のデビュー・プログラムの2曲目、武満徹の「ウォーター・ドリーミング」では、エマニュエル・パユが独奏フルートを聞かせてくれました。パユは、コンサートマスターの樫本大進についで名前を覚えた気になる奏者でした。

ベルリン・フィル ブラームスで大爆発

ベルリン・フィルハーモニーの入り方

 ベルリン・フィルハーモニーのショップでみやげに買ったパユのCD(左)です。
 テレビ録画で見た現在のパユは、髪の毛がだいぶ後退していました。

My memory ベルリン ベルリン・フィルハーモニー その1

 ドイツ・ベルリンにあるベルリン・フィルハーモニーは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が本拠地とするコンサート・ホールです。
 日本人指揮者、山田和樹のベルリン・フィル・デビューが話題となっています。LIVE放送は未明だったので、ビデオ録画でサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の圧倒的響きの片鱗を、わが家の小さなTANNOYのスピーカーで楽しみました。
 幕間のインタビューで山田は「最初にベルリンを訪問したのは大学卒業後の2002年で、ヤンソンス指揮のブラームス2番を聴いた」と話していました。
 わたしはその10年後の2012年に初めて訪れました。
 マリス・ヤンソンスが指揮するドボルザークの交響曲第9番「新世界より」が、わたしの生涯で聴いた最高のシンフォニーとなりました。本物のオーケストラに酔った夜でした。ヤンソンスの小さな体から放たれた細やかで大胆なエネルギーが、今もわたしの脳裏を駆け巡っています。

ベルリンにやって来てよかった フィルハーモニーに酔った夜

ベルリン フィルハーモニーのプレッツェル

 「My memory」というカテゴリーをつくりました。2005年のブログ開設以来、書き連ねてきた「『どたぐつ』をはいて⋯」のカラムも膨大となってきました。そこに残されている文字や画像を整理して、あれやこれやの記憶をたどりたいと思います。まずはコンサートホール編から始めます。

たった231円 FMラジオ・組立キットから音が出た

 たったの231円でした。郵送料込みでした。あまりの安さに、思わずAMAZONをポチリとしてしまいました。
 FMラジオの組み立てキットです。本当に音が出るのだろうかと半信半疑でした。
 小さな音でしたが、スピーカーから女性アナの声が聞こえました。はるか昔となった中学生のころ、紙箱の上に組み立てた2球真空管ラジオが鳴り始めたときの感動が蘇ってきました。

 4月1日にAMAZONで発注。到着予定は今月末から来月初めの間ということでした。それが昨日、到着しました。
 小さな封筒にビニール詰めのパーツが入っているだけでした。

 いずれ中国か台湾辺りから送られてくるのだろうと思っていました。袋にはMade in Chinaとありました。
 なんと送付元はカリブ海のドミニカ共和国の首都、サント・ドミンゴ(ドミニカ共和国国家地区)にある業者でした。それが船便で迷子にもならずにわが家にやってきました。改めて書きますが、送料込みで231円です。

 マッチ箱くらいの大きさのプリント基板と抵抗、コンデンサー、スイッチなどのパーツが入っています。

 心臓部のICチップ、Hex3653です。16本足のゲジゲジか何かのようです。

 取扱説明書や組み立て解説書の類は何もついてきませんでした。
 ネットで探すと英文マニュアルが見つかりました。プリントアウトして組み立て手順を確認しました。

 プリント基板を固定して、ICチップの16本の足をはんだ付けしました。

 細かな作業です。眼鏡(遠近両用)を老眼鏡に取り換えて作業しました。
 1.2mmほどの間隔を、隣と接触しないように気を付けてはんだ付けする必要がありました。

 他のパーツはそれほど難しくはりません。表からパーツを差し込み、裏側をはんだ付けです。

 ボリュームや選局に使用するプッシュ・スイッチなども付けました。

 1時間もかからずに組み上がりました。でもすぐには音は出ませんでした。

 ネットの情報から緑色のインダクターというパーツを疑いました。これを取り去り、銅線をクルクルと巻いたコイルを付けました。
 ラジオ(受信機)といえばコイルとバリコンの組み合わせで同調させることに慣れ親しんだ世代です。このコイルが、広い空間から電波を拾い集めててくれるというイメージを膨らませてくれます。 

 銅線をドライバーの軸に巻き付けてつくりました。

 さて、受信に成功した証拠の画像です。聞こえているのはFM845(京都リビングエフエム)です。他の局は聞こえませんでした。
 仮アンテナは、緑色のクリップから窓際に延びたコードです。わたしの部屋は北西を向いています。そのため京都の放送局しか受信しなかったのでしょう。
 実用には程遠いですが、充分に遊ばせてもらいました。

 【追記】
 南向きのベランダで試しました。MBSラジオ(FM補完放送)の甲子園中継など数局が鮮明に聞こえました。
 

兵庫芸文 大阪バッハの「マタイ受難曲」を聴く 2025

 J.Sバッハのマタイ受難曲を、兵庫県立芸術文化センターの大ホールで聴きました。演奏時間は3時間を超える、文字通りの大曲です。3時に始まった演奏は、休憩をはさんで終わったときには辺りは暗くなっていました。
 奥さまも所属する大阪バッハ合唱団の演奏です。畑儀文さんの指揮兼エヴァンゲリストやイエス役のバリトン、与那城敬さんらの迫力あるノリノリの様子を、前から5列目ほどのかぶりつきで存分に楽しみました。奥さまは喉の調子が悪くて声が出ず、横の席で聴いていました。
 カーテンコールの畑さんは、洗礼を受けられてから初めてのマタイに感激のご様子でした。信者でもないわたしですが、バッハがカントールをつとめたライプチッヒの聖トーマス教会での感動の夜などこのブログに記録が残っているだけで13回目となりました。スペイン・カミーノ巡礼も3回、歩きました。「イエスの死」のコラール、「いつの日か私が死ぬ時 主よ離れないでください」をお終いの枕辺で聴けたらいいだろうなと聴き入りました。

 これまでのバッハ・マタイ受難曲

目ん玉・キューブをつくる その2 仮音出し

 MDF合板をボンドで固定した「目ん玉・キューブ」は、すぐに音出しまで可能となりました。
 わたしの2つ並べたデスクの左側の壁面です。古いテレビの両端から目ん玉2つがこっちを見ています。
 下の二回りほど大きな箱は、米国製のAuratone 5C ‘Super Sound Cube’です。レコーディング・スタジオでミックス確認用に使われました。これとの音を比較してみました。

 容量1リットルほどのキューブの内部に吸音材を入れます。百均のダイソーをうろついて、エアコンの汚れ防止用のフィルターを買ってきました、

 キューブの内部に張り付けました。どれほどの効果があるんのかは不明ですが、一種のおまじないです。

 スピーカーケーブルをはんだ付けしました。

 背面にはターミナルをセット。アンプとつなぎます。

 さて、音出しです。結線を何度も変更して2つのスピーカーから出てくる音を比較しました。

 「空気録音」を試してみました。同じ音源を2つのスピーカーから出して録音、比較するのです。双方の音を即座に切り替えることができます。
 TASCAMのレコーダー、DR-07MK2を小さな三脚にセットしました。パソコンの音源を出力しました。

 目ん玉・キューブの音

 AURTONEの音

 いかがですか、差異は確認できますか。
 出だしのピアノや、後半のドラムスは、明らかに音の膨らみが違います。それにしても、発売当初はウン万円もした名器に対して、わずか500円ほどで作った(スピーカーは別)目ん玉・キューブは、予想以上に健闘といったところでしょうか。

 音源は、ジョン・レノンが歌う「IMAGIN」です。
 次はキューブを塗装するか、AURTONEのように薄い突板でも張って、もう少しミエをよくしてやります。

目ん玉・キューブをつくる その1

 「目ん玉・キューブ」の製作に取り掛かりました。
 10cmほどの立方体に小型スピーカーを取り付けて、ミニ・スピーカーにします。
 わたしが働いた新聞社や某テレビ局などのグループ企業は、「目ん玉マーク」をシンボルにしています。このところ、テレビ局はなんとも旗幟が悪いですが、スピーカーは元気に鳴ってくれるでしょうか。

 きっかけはYouTubeでした。そこで知ったスピーカーボックスの製作キットです。
 MDF(中密度繊維板)を立方体になるように裁断されています。
 ヤフオクの即決で落札して、たったの600円でした。送られてきたのは、お隣の大山崎町からでした。

 スピーカーを固定するバッフル板は、希望した寸法に開口されています。

 百均のダイソーで売られているMDFと同じ素材を使用しているようです。
 10cm四方で6枚入りのMDFをダイソーで買ったのが残っていました。6枚ありますが、すべてがこのサイズでは立方体は作れません。
 サイズは若干、違っていました。

 10数年前のステレオ雑誌に付録でついていたスピーカーです。永らくホコリをかぶって寝ていました。これを活用しようと思いつきました。 

 板材を直角に接着するためのクランプを使用しました。2つしかないので、ボンドが乾くのを待っていると、時間がかかりました。

 同じ作業を4回、繰り返しました。

 2枚が直角に固まったのを合体させました。

 裏板を接着しました。

 表板のバッフル板を接着する前に、スピーカーを固定する木ネジの補強のために桟を固定しました。

 バッフル板を接着しました。本日の作業はここまでです。