京都を歩く 京都電鉄が走った木屋町線 新寺町の謎

 新寺町通の謎ーが解けました。 
 日本で初めての営業電車、京都電気鉄道(京電)の木屋町線が走った跡をたどりました。現在のJR京都駅から木屋町ニ条の間です。
 河原町五条の手前に、右に折れてすぐに五条に突き当たる不自然とも思える短い道があります。新寺町通という立派な名称がありました。
 明治28(1895)年の開業当時は、ここを京電が走っていたのです。拡幅された河原町を京都市電が走ったのは、ずっと後の時代でした。 

 五条を渡ったところに「牛若ひろば」があります。高瀬川が広い五条の下を流れる入り口の壁面にレンガが張り巡らされています。
 これが数少ない京電の遺構でした。このレンガ積は、京電の路面の橋脚だったのです。

 木屋町線の起点となる京都駅の東、塩小路東洞院の南西角に「電気鉄道事業発祥地」の碑が立っています。ここから歩き始めました。

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ゲームボードをつくる でも、遊べない!!

 孫娘が横浜からやってきます。一緒に遊ぼうと、凧に続いてボードゲームを作りました。ネットをブラブラしていて見つけました。作るのも簡単で、おもしろそうと。
 記憶を頼りに、こんなものだったはずとパソコンのエクセルで図を描きました。

 写真用紙にプリントアウトして、ボードに張り付けました。あっという間にできあがりました。
 ところが問題発生。遊び方がよくわからないのです。
 空いているスペースにコマを進めて、相手陣地に先に到達すれば勝ち!のハズです。
 実際にやってみると、すぐに動かすスペースがなくなってしまいます。動かすのにルールがあるのでしょう。何がおもしろいのかわからないままに投げ出してしまいました。

 百均で買ったマグネットボードと白黒のマグネットです。出資は330円でしたから、簡単に諦めもつきます。
 ネットをいくら検索しても、数日前に見たボードゲームにたどり着けません。
 どなたか遊び方か、ゲームの名前をご存知ないでしょうか。

祝!! 14Mhz帯 2アマ JA3UWS ~ 開局

 クリスマスの朝。パソコン開くと、待ちわびていたメールが届いていました。第2級アマチュア無線局の免許状が交付された通知でした。
 近畿総合通信局のお役人のイキなタイミングへのはからいでもないでしょうが、わたしには最高のプレゼントでした。
 2アマの従事者免許証と無線局免許状がそろい、念願の14Mhz帯デビューを果たすことができました。ボケ防止のため、この夏に独学で受験勉強を初めて以来のお遊びプロジェクトが完結しました。

 ベランダに取り付けているアンテナを、購入済の14MHz帯用と交換しました。
 雨が降る中、アンテナと送信機との間を何度も往復して調整しました。

 マンション4階のベランダがある南側の部屋に置いているトランシーバー(送受信機)、八重洲無線のFT891Mと、古いノートパソコンです。
 これでFT8やFT4という形式のパソコンを使った交信をします。

 実際の操作は、北側のわたしの部屋のパソコンとリモート接続して行っています。
 ディスプレー2台の大きな画面です。

 早速、ハワイのAH6AH局と交信すること成功しました。JA3UWSはわたしのコールサインです。
 赤字の部分が、その時の交信ログです。
 相手局のCQ呼び出しに対してわたしが受信した信号の強さで応答。相手局も信号強度を知らせてきて、「さようなら」を意味する73を送り合って交信成立です。それを実際に話すわけではなく、パソコン内のプログラムで行います。

 お互いの名刺交換みたいにQSLカードを交換します。それもネットで行います。相手局のカードはまだ送られてきていませんが、サンプルはネット公開されています。一足先にダウンロードしました。

 わたしが相手局に送ったQSLカードの控えです。
 こんなQSLカード交換作業も、パソコンが自動で行ってくれます。

 その後、地球の裏側の南米・チリの局とも交信しました。その交信を画像でも確認することが出来ます。
 冬の今どきは、あまり電波状況がよくありません。それでも午後の数時間で台湾、フィリピン、中国、オーストラリア、ロシアなど10局ほどと交信しました。

凧をつくる 2026 シルバー・イーグルとラムスレッド・カイト

 お正月は孫と凧揚げをするのが恒例となりました。じーじが手作りします。
 2026モデルは、シルバー・イーグルとラムスレッド・カイトです。といってもネーミングほどにたいしたシロモノではありません。アルミ蒸着シートを切り貼りしました。
 さっそく淀川の河川敷公園に行って、テストフライトをしました。風は弱かったですが、軽々と舞い上がってくれました。

 カラス凧としてネットなどに作り方が掲載されているポピュラーな凧です。真っ黒なゴミ袋で作っているケースがほとんどです。だからカラスです。
 わたしは銀色に輝くシートで作ったので、格好良くシルバー・イーグルと命名しました。
 鳶(とび)でも良いのですが、英語だとカイト。凧のこともカイトというので、カイト・カイトではさまになりません。

 糸をグイグイと引くと、羽ばたきながら舞い上がります。
 失敗は、骨組みがかたすぎたようで、思ったようには羽ばたいてくれません。

 きょうは日差しがないうえに逆光だったので、シルエットだけです。やっぱりカラスですね。

 3歳の孫娘用にと作ったラムスレッド・カイトは、予定通りに微風の中でもふわりと浮き上がりました。

 近所のホームセンターで材料を買ってきました。竹ひご以外は併設の百均です。
 レスキューシートという名のアルミ蒸着シートが100円というのは、値打ちがあります。ザックに入れておけば、山でいざということがあっても助かりそうです。

 ネットで調べた設計図を頼りに、方眼紙で型紙を作ります。

 シートを切り出します。

 両面テープで張り合わせます。
 ラムスレッド・カイトは、気柱凧とも呼び、空気の圧力で形を維持する凧のことです。骨組みはありません。

 糸を繋いで、1時間ほどで出来上がりました。

 シルバー・イーグルは、もう少し面倒でした。作り方は同じで、こちらには骨があります。

 重ねて切り立ったシートを広げると、翼長が140センチほどもあります。

 骨を貼り付けて完成しました。
 
 孫と遊ぶ凧作りは、2022年モデルがヒコーキ凧。その後、ヘキサゴンー回転凧ー四面体凧と欠かすことなく続いています。この2年は凧が複雑すぎて重くなり、うまく揚がってくれませんでした。その反省から、初心に帰って揚がりそうという条件を満たしそうな凧にしました。
 孫は3人いますので、もう1つ、残った材料で作ろうかと思います。

 これまでの凧をつくる

京都を歩く 嵐電・北野線100周年と幻の北野駅

 嵐電(京福電気鉄道)の北野線は大正14(1925)年、京都電燈によって北野ー高雄口(現・宇多野)間が開業しました。ことしで100周年を迎えました。
 新型車両の「KYOTRAM(きょうとらむ/モボ1型)」も今春、デビューしました。100周年のヘッドマークをつけて宇多野のホーム脇の残り紅葉を横目に走りすぎました。
 暖かな一日でした。嵐山本線から北野線が分岐する帷子ノ辻(かたびらのつじ)から10駅、北野白梅町まで3.8キロをカメラ片手に歩きました。

 冬枯れの鳴滝ー宇多野間です。桜のシーズンにはピンクのトンネルとなります。

 帷子ノ辻では、100周年写真展が開かれていました。どれも見入るような嵐電の歴史が詰まっていました。
 今はない北野駅を撮影したパネルもありました。

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2アマ免許交付と、7MhzDC受信機の製作

 第二級アマチュア無線技士(2アマ)の無線従事者免許証が郵送されてきました。
 総務大臣って誰だったか?と一瞬、考えました。無記名ですが、まあ前任のあのだらしない格好をした方でなくてよかったです。
 次は、わたしが高校生だったころ以来の憧れだった14Nhz帯で運用できるよう、無線局免許の申請を行います。

 運転免許証と同じカードサイズです。
 光線の具合で、富士山と流れる星座、樹林と雲(川?)がホログラムで描かれているのがわかります。

 高校生の春と秋に取得した電話級(現4級相当)と電信級(同3級)の免許証と並べてみました。60年もたつと、もう別人です。

 受験にはモールス信号の解読が必要(送受信の実技は電信級を取得しているので免除)でした。忘れ去ったトン・ツーの符号を頭に叩き込んでいると、もう一度、モールス符号を使用して交信する電信にも挑戦したくなりました。
 その第一歩として、7Mhz帯のモールス通信を受信するための簡単なダイレクト・コンバーション(DC)受信機の製作を思い立ちました。ネットで探すと、個人で安価なパーツセットを販売している方がおられました。「最後の1セット」というのを入手しました。

 パーツのうちの小さなコンデンサの印字が老眼の目では読めません。虫眼鏡で拡大して、容量ごとに分類しました。

 ハンダづけは好きな仕事です。ぼちぼちと製作を始めました。

 ここまで組み上げましたが、さて期待通りに仕上がるでしょうか。

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 CQ de JA3UWS
 CQは呼び出し符号、JA3UWSはわたしのコールサインです。
 次の夢は、こんな交信です。

My memory 旅ランチ アルプ・グリュムのペペロンチーノ

 スイス・レーティッシュ鉄道のベルニナ線に、イタリア北東部のティラーノから乗り込みました。オープン・ループ橋や山上湖、雄大な氷河などのアルプスの絶景を楽しみ、中間のアルプ・グリュムで途中下車しました。走りすぎるにはもったいない時間でした。
 駅舎につながるレストラン「WeissbierGarten」に直行しました。「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」です。

 氷河を眺めながらのビールです。サイコーにうまいシチュエーションでした。

 パリュー氷河がのぞいていました。

アルプ・グリュム駅のアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ

 標高2091mにあります。ラックレールを使わない粘着方式のベルニナ・エクスプレスは、グルリっと回って登ってきました。

ベルニナ急行でアルプスを越える

神戸国際会館 「反田恭平 with ベルリン・ソロイスツ」を聴く

 「反田恭平 with ベルリン・ソロイスツ」を、神戸・三宮の神戸国際会館こくさいホールで聴きました。先週の「ピアノ・リサイタル2025」と同じプログラムです。
 前から2列目の正面と、またもかぶりつきでした。ピアノと弦が弾ける音が目の前を交錯するのを期待しました。
 ところが、あれれ⋯。モーツァルトの「きらきら星変奏曲」の出だしから、ピアノの高音がキラリと輝いてはくれませんでした。反田くんの腕をしても、ホールやピアノの質をカバーするのは難しかったということでしょう。よく響くクラシック音楽ホールと、デッドな多目的ホールの違いは明らかでした。

 ベルリン・ソロイスツは、さすがベルリン・フィルのアンサンブル所属の弦楽奏者らしい演奏でした。なかでも演奏をリードするビオラがすごく、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番のクライマックスに向けての盛り上げと、ペースを合わせる反田くんのピアノはまさに圧巻でした。ベルリン・フィルハーモニーで聴いた感動の夜を思い出させてくれました。
 アンコールの「ふるさと」は、耳慣れた曲です。チェロが朗々と歌い、さすが反田くんのピアノも限りなく美しいニッポンの情景を描いてくれました。

 反田くんのFaceBookにリハーサルの模様がアップされていました。

 ロビーにはスタバが入っていました。でも満員でした。

 三宮の夜景が綺麗でしたが、時間も遅く、そそくさと帰宅しました。

わが家の Merry Christmas 2025

 わが家のクリスマス・デコレーションが勢ぞろいです。暗くなるのを待って、キラキラ・バージョンで撮影しました。

 ウィーン市庁舎前のクリスマス・マーケットで買った花束のスタンドを作り直しました。3ミリ角のヒノキ角材を接着。黒いカラースプレーを吹き付けました。
 スワロフスキーの星も、ピアノ線のスタンドを作りました。
 サンタクロースの2体やツリーも手作りです。

 おくさま製作のスワッグも完成です。「赤い実がないのでちょっと派手さに欠けるけど、シックでしょ」と。
 杉の葉などは昨日、柳谷観音近くまで車を走らせて、道端の枝をいただいてきました。

 玄関ドアも飾っています。

 新たに製作した二十面体のヒンメリも、鏡に反射していい具合です。

 玄関の飾りは毎年、同じです。独・ドレスデンみやげのロウソクの熱で風車が回る「ピラミッド」と呼ばれる木工工芸品です

My memory 駅 初めてのウイーン西駅

 ウィーン・ヴェストバーンホフ(西駅)は、ふたりで初めての海外旅行となった2004年の旅で利用しました。
 長距離列車に乗るのも初めて。念のためにと、前日に駅の様子を見に行ったほどでした。

ウィーン カフェ・リッターのザッハ・トルテ

 ウィーンの町を楽しんだ後、憧れのザルツブルク音楽祭を聞くためにモーツアルトが生まれた町、ザルツブルクに向かいました。

 乗った列車は、ザルツブルク経由でミュンヘン行きのECでした。「モーツアルト」という愛称がついていました。

ウィーン 初めてのÖEEでザルツブルクへ

 「ウィーンでのんびりと」というタイトルをつけた旅(2019年)では、列車で到着したウィーンにはHauptBahnhof(中央駅)という新駅ができていました。

ウィーン アパートメントホテルでご飯にほっこり

 飽きもせずにあれこれと書き連ねてきた My memory の駅シリーズは、これでお終いとします。わたしの思いで旅にお付き合いくださり、ありがとうございます。