【 paso a paso 3 2023/05/26 】
巡礼第9日 ニッポン人おふたりさんの宴
レドンデラのアルベルゲで、偶然にも隣のベッドにおられたのがYさんでした。久しぶりの日本語がはずみ、「スパゲティをつくりますから」と誘われました。ワインや果物を仕入れてきてアルベルゲのキッチンでいただきました。
ムール貝入りの濃厚ナポリタンでした。おいしい食事に気楽な会話と、巡礼に来て以来、最もくつろいだ夜でした。
まずはビールで乾杯。
ワインも1本、空けました。
オイルサーディン、生ハム、サラダとアテもたっぷり。デザートのサクランボは甘かったです。
Yさんが腕を振るわれました。「ニンニクがないけど大丈夫でしょう」
ピーマンとトマトも炒めます。
向こうのガス台では、オーストラリア女性がマッシュルームたっぷりのオムレツをつくっていました。
トマトピューレかトマトジュースかでこってりとしたソースを仕上げ、茹で上がったパスタを混ぜ込みます。
上手にフライパンを振られました。
最後のムール貝の缶詰を汁ごと投入しました。
「アルデンテっていいますけで、わたしはくったりしたのが好きなんです」とYさん。言葉通りに、もっちりとした濃厚味の最高のナポリタンでした。
このオーストラリア女性とは、2日後のアルメンテーラのアルベルゲでも同宿となりました。一緒に夕食に出かけました。
にわか雨が止んだ庭で記念撮影しました。
Yさんはフランス人の道をサンジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩き、さらにポルトに向けて南下しておられました。わたしとは逆方向でした。一期一会の言葉通りの、一夜だけの思い出に残る宴でした。
作ってもらった ムール貝入りナポリタンにも書いてますが、再録しました。
この日は、午前7時ごろにオ・ポリーニョのアルベルゲを出発しました。
ポルトガルとはほぼ同じ経度なのに、時差で1時間早くなりました。おかげでまだ薄暗いです。
古いブドウ畑が売りに出ていました。
幹線道路わきを進みます。あまり気持ちのよいものではありません。
いつの間にかサンティアゴ・デ・コンポステーラまで100kmを切っていました。
バルで朝食です。スペインに入ると、あたり前のようにフォークがグサリと刺さっています。
日本語の張り紙がありました。この日の「ジャンパニーズ・デー」を暗示していたのですかね。
カーサ・ブランカのきれいな村です。
休んでいきたくなります。
黄色が鮮やかです。マツヨイグサ(待宵草)でしょうか。
こんな道が16km。この日はラクショーでした。
なにかのモニュメントです。
水場がありました。
ビーゴから入ってくる入り江が見えました。カメラを構えていると、後ろから日本語で話しかけられました。
両親は日本人ですが、生まれたときからカナダに住んでいるというお嬢さんでした。5ヵ月ほどネパールに滞在したあと、「まだお金が残っているから」と、友だちに誘われて引き続き巡礼だそうです。
同じ方向に歩いていましたが、それっきりでした。翌日、脚の長いフランス人の若者が「あのジャパニーズ・ガールと会わないか?」と聞いてきましたが、縁とはそんなもののようです。
もうすぐレドンデラです。
古い町を抜けました。
向こうに鉄橋がかかっています。
アルベルゲはまだ閉まっていたので、先に昼食にしました。
バルに入り、とりあえずのマオーです。
ボガティージョです。硬いパンを裂いて、ハムやら何かがはさまっています。スペインの昼飯の定番です。
この時はサラミを頼みました。
お代は合わせて5.4€(約800円)です。
夕飯の買い出しに出かけました。
ピメントス・デ・パドロンが並んでいました。これをオリーブオイルで炒めたのが、うまいのです。ワインのアテにぴったりです。
果物は1個でも買えます。
サクランボをビニール袋に入れました。
続いて入ったスーパーメルカドでも日本人男性と会いました。「モンベルのフリースに、アシックスのパンツでしょ。すぐにわかりましたよ」と。
この男性とも同じ方向に歩いてました。「では、また」と別れましたが、再び出会うことはありませんでした。
アルベルゲのキッチンが空くのを待ちました。
食後に町を散歩しました。
選挙が近いようで、立会演説会が開かれていました。
政党のシンブルマークのようです。
選挙ポスターです。大きさも枚数もまちまちです。
renfeの高架橋ですが、列車が走っているところは見ることがありませんでした。