鉄道遺跡を訪ねました。関西にも鉄道形成時代の面影を伝える遺産が数多く存在します。でも、ここはナンバー1スポットでしょう。近くは何度も通ってますが、初めてです。
明治初期の過去から、平成の現代に向けて開けた空間です。
「これやこの行くも帰るも別れつつしるもしらぬもあふさかの関」(蝉丸法師)で知られる逢坂関。ここを貫いて日本人技術者の手のみで「逢坂山隧道(ずいどう=トンネル)」は掘られました。1878(明治11)年11月に着工し、1880(明治13)年 6月に竣工しました。
日本初の山岳トンネルで、現存する最古の鉄道トンネルの東出口は、大津市の西端、国道1号沿いに残っています。右は、後に複線化のために掘られたトンネル跡です。
汽笛一声新橋を~で走り始めた汽車は、ここを抜けて京都-大阪に向かいました。
東出口には石ポータルがあり、トンネルはレンガ造りです。
トンネルは長さ 664.8m、幅は3.05mあります。現在は入口から10メートルほどのところで閉じられています。
内部は、京大地震研究所の施設として使われています。
ポータルの上部には「楽成頼功」の篇額があります。竣工を記念した時の太政大臣三條実美の筆になるものです。「落成」ですが、落ちるは落盤など縁起が悪いと「楽」と書いたそうです。
びわ湖疏水にも、トンネルごとに篇額が残っています。
壁面のレンガは黒ずんでいます。大正10年8月1日線路変更により廃線となるまで、東海道本線の下り線として使用されていました。蒸気機関車が走り抜けた「すす」の名残でしょう。
JR西日本が接地した新しい説明板があります。
隧道から東、大津市内方面です。ここを線路が走っていたのです。
国道1号からすぐにあります。
隧道出口から見えていたビルです。ビル右手は手前で分岐した国道1号に面してます。左下は国道161号が横切ります。
京阪大津線の擁壁になっているレンガ造りの壁です。よく見ると上部に2カ所、へこみがあります。
隧道から進んできた旧東海道線が渡っていた橋脚の跡です。
国道161号から国道1号へつながる坂を上ると、石組みが続いています。当時のものかどうかはわかりませんが、旧東海道線のえん堤であることは間違いありません。
国道1号を小さな川が横切っています。内部はレンガで作られた「ねじりまんぼ」です。
京都・南禅寺近くのインクラインを横切る「ねじりばんぼ」と同じ作りです。
「音羽台1号橋」というのが正式名称です。
国道161号にそって下ると「関蝉丸神社」があります。参道の鳥居の前を京阪電車が横切ります。
現在のJRびわこ線(東海道線)の出口です。手前2本が下り、向こう2本が上り用です。
上部は京阪が走り抜けます。
右側の線路の奥が明るくなっていることからわかるように、これはトンネルの出口ではなく京阪電車の橋梁です。トンネルの出口は奥にあって見ることができません。
京阪電車のレールですが、橋梁の様子はほとんどわかりません。
上栄町駅です。カーブするレールに水が噴き上げいます。急カーブ、急勾配でブレーキの効きを保持するためなのでしょう。
箱根登山鉄道には、車両に散水装置が付いてました、同じ目的なのでしょう。
京阪電車は路面と合流して浜大津に向かいます。
左の郵便局の向こうの角が大津宿本陣跡です。
逢坂越の西側。名神高速のトンネル入口の上に「旧東海道線 逢坂山とんねる跡」の石碑が建っています。
名神高速の工事で。旧逢坂山隧道の西側出口は、高速の下18mに埋められたのです。
現代の車社会の大動脈、名神高速が旧東海道線の上を走っています。
①旧逢坂山隧道東側出口
②旧東海道線の擁壁
③ねじりまんぼの橋脚跡
④現東海道線出口
⑤上栄町駅
⑥旧逢坂山隧道西側出口
当、京阪電気鉄道で指導運転士をしております。
>カーブするレールに水が噴き上げいます。急カーブ、急勾配でブレーキの効きを保持するためなのでしょう。
散水はブレーキではなく、車輪とレールとのキシリ音の軽減の為にしております。
箱根も同じ理由かと…
油を使えば?と思われますが、雨の日は逆に滑り過ぎて運転に邪魔になります。
通りすがりさん
そうなんですか。勝手な推測だったようです。
ご指摘、ありがとうございます。
京津といえば「びわこ号」の復活が計画されているとか。楽しみにしています。