でんしゃ すきなのどーれ

 「でんしゃ すきなのどーれ」
 この歳にして絵本をプレゼントしていただきました。すばらしい。はまってます。

 最初のページです。
 懐かしい京阪特急のヘッドマークです。これに乗って(先代ですが)大学に通いました。
 スーパーはくとは、会社出張なんかで何度もお世話になりました。
 東武・リバティ。尾瀬に旅したときに乗りました。

 尾瀬を歩く2017 東武特急「リバティ」

 すきなの どーれ

 いちばんちっぽけな、これです。
 銚子電鉄・デキ3号。

 横から見ると、あまりの短さにズッコケそうです。

銚子電鉄 すばらしき「鉄」の香り 「デキ3」

 マルーン。おなじみです。

 叡山電鉄・電動貨車
 わざわざ留め置きされている修学院で途中下車して撮影しました。

 

京城勝覧を巡る 第十三日 「らーめん切符」で鞍馬へ

 裏表紙のこれと同じと気づく人は多くはないのでは。へへ!

 同じ電動貨車は嵐電(当時は同じ京福電鉄)の帷子ノ辻に留め置かれていたのを覚えています。残念ながら画像が見つかりません。

 存分に楽しんでます。ありがとう。
 
 

 

「京童」と歩く 4日目 西大路から二条城

 江戸初期に中川喜雲によって書かれた京都初の観光ガイドブック、「京童」とともに歩く4日目です。
 西大路から島原ー壬生寺ー神泉苑と巡って二条城まで歩きました。

 二条城の東にある御金(みかね)神社の昨日の大行列を思い出しました。病院への途中に車から見た行列は、西洞院から御池にはみ出し、御池にそって50㍍ほども延びてました。
 きのう5日は、天赦日、一粒万倍日、寅の日、大安と4つの吉日が重なる、日本の暦の中でも特に縁起が良いとされる日だったのです。
 きょうは、混雑はありませんでしたが、残り福でも転がってないかとお参りしました。

 壬生寺は新選組の屯所があった地でもあります。お嬢さんたちは、毛糸の帽子をかぶせた人形にスマホをかざしていました。近藤勇ってことはないでしょう。沖田総司? それともわたしの知らないキャラクターでしょうか。

 室町を下がると、テレビでお目にかかったばかりの光景でした。欠かさず見ている「京都人の密かな愉しみ~継承」(NHK-BS)のロケ地となっていた帯匠の誉田屋源兵衛でした。

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京都を歩く 京都電鉄が走った木屋町線 新寺町の謎

 新寺町通の謎ーが解けました。 
 日本で初めての営業電車、京都電気鉄道(京電)の木屋町線が走った跡をたどりました。現在のJR京都駅から木屋町ニ条の間です。
 河原町五条の手前に、右に折れてすぐに五条に突き当たる不自然とも思える短い道があります。新寺町通という立派な名称がありました。
 明治28(1895)年の開業当時は、ここを京電が走っていたのです。拡幅された河原町を京都市電が走ったのは、ずっと後の時代でした。 

 五条を渡ったところに「牛若ひろば」があります。高瀬川が広い五条の下を流れる入り口の壁面にレンガが張り巡らされています。
 これが数少ない京電の遺構でした。このレンガ積は、京電の路面の橋脚だったのです。

 木屋町線の起点となる京都駅の東、塩小路東洞院の南西角に「電気鉄道事業発祥地」の碑が立っています。ここから歩き始めました。

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京都を歩く 嵐電・北野線100周年と幻の北野駅

 嵐電(京福電気鉄道)の北野線は大正14(1925)年、京都電燈によって北野ー高雄口(現・宇多野)間が開業しました。ことしで100周年を迎えました。
 新型車両の「KYOTRAM(きょうとらむ/モボ1型)」も今春、デビューしました。100周年のヘッドマークをつけて宇多野のホーム脇の残り紅葉を横目に走りすぎました。
 暖かな一日でした。嵐山本線から北野線が分岐する帷子ノ辻(かたびらのつじ)から10駅、北野白梅町まで3.8キロをカメラ片手に歩きました。

 冬枯れの鳴滝ー宇多野間です。桜のシーズンにはピンクのトンネルとなります。

 帷子ノ辻では、100周年写真展が開かれていました。どれも見入るような嵐電の歴史が詰まっていました。
 今はない北野駅を撮影したパネルもありました。

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My memory 駅 初めてのウイーン西駅

 ウィーン・ヴェストバーンホフ(西駅)は、ふたりで初めての海外旅行となった2004年の旅で利用しました。
 長距離列車に乗るのも初めて。念のためにと、前日に駅の様子を見に行ったほどでした。

ウィーン カフェ・リッターのザッハ・トルテ

 ウィーンの町を楽しんだ後、憧れのザルツブルク音楽祭を聞くためにモーツアルトが生まれた町、ザルツブルクに向かいました。

 乗った列車は、ザルツブルク経由でミュンヘン行きのECでした。「モーツアルト」という愛称がついていました。

ウィーン 初めてのÖEEでザルツブルクへ

 「ウィーンでのんびりと」というタイトルをつけた旅(2019年)では、列車で到着したウィーンにはHauptBahnhof(中央駅)という新駅ができていました。

ウィーン アパートメントホテルでご飯にほっこり

 飽きもせずにあれこれと書き連ねてきた My memory の駅シリーズは、これでお終いとします。わたしの思いで旅にお付き合いくださり、ありがとうございます。

My memory 駅 ベルリン中央と分断の記憶

 お上りさんにはまるで迷路みたいだったベルリン中央駅です。16もあるホームは東西と南北方面に分かれ、地上と地下で立体的に交差しています。最上階を地下鉄が、長距離路線が地下を走っていることも、わたしの頭を混乱させました。
 東西分断の壁が取り壊された跡地に2006年に生まれました。再統合の象徴ともいえる駅です。

ベルリン 迷路のような中央駅

 中央駅から東へ3つ目がアレキサンダー・プラッツ(広場)駅です。駅前に旧東ドイツ時代に立てられたテレビ塔がそびえています。塔の上からはブランデンブルク門などベルリンを一望することができます。

ベルリンの高い所から テレビ塔と大聖堂

 アレキサンダー・プラッツでは、公共交通機関乗り放題のベルリン・カードを買おうとして、ちょっとおっかない目にあったのも、今は思い出です。

ベルギーの笑顔 ドイツのしかめっ面

 さらに2駅先のベルリン・オスト(東)の近くには壁をそのまま残したイースト・サイド・ギャラリーがありました。

ベルリン 東西分断の記憶 Eastside Gallery

ベルリン東西分断の記憶 Checkpoint Charlie

 ポツダム・プラッツ、ハッケシャー・マルクト、ベルリン中央、アレキサンダー・プラッツ、ベルリン東と書き連ねてきました。他にもフリードリッヒ・シュトラーセなど思い出の駅はありますが、ベルリンの駅はここまでとします。

京都を歩く 京都電燈の水力、火力と叡電100年

 京都電燈は、路面電車の京都電気鉄道(京電)に電力を供給する一方、自らも電鉄を経営しました。
 大正14(1925)年に開通させた叡山電気鉄道平坦線で、出町柳と八瀬(現八瀬比叡山口)を結びました。今年で開業100年です。
 八瀬比叡山口のターミナル特有のドーム状の屋根は、開業当時そのままです。 

 駅の山手に、京都電燈が明治33(1900)年に完成させた高野水力発電所の水門が残っています。

 叡山ケーブルも京都電燈が叡山電気鉄道部の鋼索線として平坦線と同じ大正14(1925)年、西塔橋(現ケーブル八瀬) – 四明ヶ嶽(現ケーブル比叡)間で開業させています。

 八瀬から叡電-京阪と乗り継いで京都・伏見の中書島までやってきました。ここには京都電燈の伏見発電所として建設されたレンガ造りの火力発電所の建屋が今も残っています。

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My memory 駅 ハッケシャー・マルクトのカリーヴルスト

 ベルリンの駅をもうひとつ。中心部の旧東ドイツ地区にあるハッケシャー・マルクトです。
 DB(ドイツ国鉄)のSバーンは、1882年の開業当時の面影を残すレンガ造りの高架を走っています。駅周辺の高架下には飲食店などが並んでいます。
 

 ここで食べたカリーヴルストは、ドイツの若ものに人気のジャンクフードです。焼いた太いソーセージにカレー粉とケチャップがかかってスパイシーです。ビールのアテに最高です。

ベルリン 最後の昼飯はカリーヴルスト

 駅前にはこんなストアも並んでいました。 
 前回と同じレストランでカリーヴィルストをいただきました。

わたしのみやげ アンペルマンの毛糸帽子

 交差点を渡った先にあるハッケシャー・ヘーフェには、中庭があるいくつかの古いビル群におしゃれなショップが並んでいます。

ベルリン ハッケシャー・ヘーフェの甘いビール

My memory 駅 ポツダム広場の白ソーセージ

 しばらくご無沙汰となったMy memoryです。心地よい秋の日に外出などが続いてました。

 ベルリン・フィルハーモニーの最寄り駅がポツダム・プラッツ(広場)です。3回の旅の度に利用しました。DB(ドイツ国鉄)Sバーン(近郊路線)の地下駅(写真)と、Uバーン(地下鉄)駅があります。
 第二次大戦で破壊されました。戦後は東西に分断されていましたが、統一後は再開発されて商業、文化の中心地になっています。

 ひときわ目を引くのが鉄骨、ガラスに覆われたSONYセンター(現・ポツダム広場センター)です。日本のSONYなどの出資で完成し、当時はソニー・ヨーロッパ本社も入居していました。

 広場にあるレストラン、Linden Braeuです。名物の熱湯に浸かった白ソーセージをいただきました。

ベルリン 白ソーセージには白ビール

ベルリン SONYセンターで白ソーセージ

 SONYセンターの横を進むとやがて大指揮者の名を冠したヘルベルト・フォン・カラヤン通りです。向こうに茶色いフィルハーモニーが見えてきます。期待が膨らむ瞬間でした。

ベルリン・フィルハーモニーの入り方

京都を歩く 疏水ダムと京都電燈の「菱形雷紋」

 京都電気鉄道(京電)の路線跡を歩きました。4日前のことです。
 京電当時の路線図(注)を見ていると、木屋町二条で右折して蹴上を目指した鴨東線に、「疏水ダム」(赤線)と読める停留所があります。町中のそんなところにダムが?
 それが京電に電力を供給し、現在も発電している疏水の夷川発電所だったのでしょう。もう一度、京都を歩きました。 

 京都電燈という電力会社が送配電していました。社章は稲妻からデザインされた「菱形雷紋」でした。
 その社章がくっきりと残る点検蓋が、寺町三条近くの路面に残っていました。

 ここにも隠れていました。千枚漬がカラーペインティングされた嵐山行きの嵐電(京福電鉄)の車体です。
 京福電鉄は、京都電燈を親会社として誕生し、菱形雷紋を継承しています。

 京都電燈のすごさは、このビルをみればわかります。
 京都駅前にある京都関電ビルディングは、現在は関西電力の京都支社です。これが京都電燈の本社ビルとして1937年に建設されました。

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