歩いて昼飯:歩 静かな京都~嵐電を歩く

 「歩いて昼飯」というカテゴリーをつくりました。文字通り、歩いて昼飯を食べに行った記録です。
 アスレチック・ジムのベルトの上を汗をかきかき歩いているのもいいですが、同じ歩くなら外に出ようというわけです。10キロほどは歩いて、おいしい昼飯もいただく計画です。
 その1は、京都・衣笠にある音楽喫茶「ムジーク」でクラシックを聴きながらランチをと、歩行距離を考えて阪急・嵐山からスタートしました。
 いざ、歩き始めると、ずっと横を走る嵐電(京福電鉄)のことばかりが気になって、いつの間にか「鉄ちゃんになる」になってました。
 嵐山本線と北野線が分岐する「帷子ノ辻」です。難読駅名です。嵐電で最もポピュラーなモボ611、621型ですが、3両が並びました。左端は本線を四条大宮に向けて発車したところです。右の2両は、北野線の白梅町行きです。 

 「嵐電嵐山」です。いつも観光客で大混雑しています。それが、ホームの向こうの足湯まで、人影がありません。
 ヒマそうにしていた人力車のニイちゃんは「2月はこんなもんです」と話してましたが、それにしてもチャイニーズはもとより、日本人もいません。「人影が消えたというニュースで、かえって見に来る人もいますよ」。はい、わたしがそれです。

 「車折神社」です。鳥居の前を通りぬける嵐電を、園児が見送ります。わたしの孫を見ているようです。

 「鳴滝」を過ぎると、桜並木の下を走ります。まだ開花には早いです。

 駅名は「〇〇」と括りましたが、読めますか?


 【2020/02/12 09:42】
 阪急嵐山で下車します。この時点で、降車客の少なさに驚きました。

 渡月橋にほとんど人影がありません。こんなの、初めてです。

 嵐電の乗車券は買わずに、線路に沿って歩きます。

 すぐに「嵐電嵯峨」です。JR嵯峨との連絡駅です。

 ちょっと大回りとなりましたが、足利義満が創建した鹿王院を初めて参拝しました。
 「京都人の密かな愉しみ」(NHK-BS)の秋編「代替わり」で京都の洗い屋「辻光」の息子(林遣都)が洗いの仕事を手伝っていた鹿王院に恋人(谷村美月)が訪ねてくるシーンがこの門前です。

 人気のない境内を歩きました。苔が美しいです。

 白梅がほころび始めてます。

 向こうを嵐電が横切ります。

 「鹿王院」は「ろくおういん」が正解です。

 次は「車折神社」。「くるまざきじんじゃ」です。読めるかな?

 こちらを参るのも初めてです。

 「有栖川」です。有栖川有栖という推理作家もいます。

 やって来ました。「帷子ノ辻」は「かたびらのつじ」です。
 「嵯峨天皇の皇后である壇林(だんりん)皇后が亡くなったとき、棺を戸板にのせて送葬の途中、この辻に差し掛かったところ、おりから吹いた一陣の風により、棺に覆ってあった帷子(絹又は麻糸で織ったひとえ仕立ての布で、夏の汗取りとして着用した着物)が飛び散った。」(嵐電のHPより)というのが、この地の由来です。


 
 北野線側から駅を振り返ります。直進すると嵐山本線とつながります。ひょっとしたら昔はつながっていたのではないでしょうか。

 北野線に沿ってちょっと歩くと「撮影所前」です。これは難読ではないです。その命名は、近くに東映映画村(昔の東映撮影所)があるからです。2016年に開業した新しい駅です。

 JR嵯峨野線と交差します。
 タイミングよく両方の電車がやって来ました。ウソです。3秒ほどのタイムラグがあり、同時には写せませませんでした。
 この画像は、中央で分かれている2カットを合成しています。

 広い三条通を嵐電が平面交差します。」

 交差するところに「常盤」があります。「ときわ」です。

 「鳴滝」は「なるたき」です。

 「御室仁和寺(おむろにんなじ)」です。
 嵐電で最も新しいモボ2001形がやってきます。漬物の「もり」号と名づけられています。

 無人の改札の向こうに仁和寺の山門が見えますが、ここも人影はまばらです。

 ちょっと嵐電からは離れ、妙心寺の北門を横目にします。

 きょうは京都の私立高の入試期間だったのですね。

 「ジャンボ」。なんだか見覚えのある店に出くわします。10数年前に文字通りジャンボな焼きそばを食べたことがあります。

 馬代一条までやって来ました。目指す音楽喫茶はもうすぐです。

 北に歩いて嵐電踏切を越えます。左は洛星高校です。「北」ではない「スター」は進学校です。

 【12:11】
 ガーン!!
 ここを目指して2時間半も歩いてきたのに「ムジーク」はCLOSEDです。よく見ると営業は午後1時からです。
 ここで昼飯というアテは外れましたが、別の店で腹を満たしてくることにしました。
 「歩いて昼飯:食」として書いてます。

 ゆっくりと昼飯を食べ、ムジークで1時間ほど音楽を聴いて、再び歩きました。
 北野線の終点、「北野白梅町」は、島式の2面ホームだったと記憶しています。それが、1面が取り払われています。バスターミナルになるようです。

 西大路を南下すると、嵐山本線と交差します。
 「西大路三条」を発車した嵐電は、左上の4つ目の「電車用」と書かれた信号の矢印に合わせて出発します。

 【14:57】
 四条通と交差する「西院」までやって来ました。ここをゴールとしました。
 阪急の「西院(さいいん)」から帰宅しました。ところが嵐電は「西院」と同じ漢字表記なのに、読み方は「さい」です。
 通らなかった難読は「太秦(うずまさ)広隆寺」、「蚕ノ社(かいこのやしろ)」くらいです。

 山行で使っているYAMAPで歩行の軌跡を取るつもりでした。ところが地図のアップロードを忘れていていました。
 腕につけているスマートウオッチで記録した総歩行距離は13.4kmでした。あと1秒で6時間というのは、自宅最寄りの阪急水無瀬駅前で何気なくボタンを押したのがスタートでした。