裏大文字。そんなネーミングがあるのですね。ネットアプリのYAMAPで検索しているとヒットしました。裏なんばなら知ってますが。
京都五山の送り火の大文字がある大文字山(465.3m)の北斜面の山々のことです。そのピークの名が、熊一族と鹿親子なんです。
玄孫(やしゃご)は、親からすると4代後です。玄孫熊山まで大文字山から尾根を伝ってたどってきました。
ピークハントというよりは、プレートハントの低山ハイキングでした。
最初は親の熊山です。
子、孫、曾孫と続きます。
ひとつ西の尾根には鹿の親子がいました。
ざっとこんな位置関係でした。
【2021/02/22 10:21】
久しぶりに阪急に乗り、京都市バスに乗って銀閣寺までやってきました。どちらもガラガラで、安心して乗っておられました。
大文字の上部がのぞいています。
【11:03】
送り火の大の中心の火床までノンストップで登ってきました。
平日ですが、結構な人とすれ違いました。
きょうはさらに登ります。一番上の火床から京都市街を振り返ります。正面は愛宕山です。
【11:29】
大文字山の頂上まで登ってきました。ここで昼食を食べているハイカーが、あちこちにいました。
新しい三角点があります。
ここから熊一族を目指します。ここを降りるのかなと迷っていると、ご同輩も下ってこられました。
「ここ、熊山への道ですか?」、「そうですよ、わたしも行くから」。というわけで、ありがたくリードしていただきました。
通称「熊山乗越」というそうです。ちょっとした鞍部です。
すこし登ったピークに、「月」のプレートがくくり付けられていました。教えられなくてはわかりません。
この辺りのピークに、祇園祭の鉾の名前がつけられていたことがあるそうです。その名残の月鉾です。あとは残っていないそうです。
【11:48】
最初のピーク、熊山です。残念ながら見晴らしはありません。
子や孫たちは、同じ尾根の先にいます。
孫熊山三叉路で右カーブします。
「そこを左」と教えられたルートから分かれた細い道を上ると孫熊山でした。
山伏というプレートもあります。こちらは百人一首であちこちがネーミングされていた時代の名残だそうです。
子熊山(328m)です。ここも見晴らしはありません。熊には身を隠す習性があるのでしょうか。
【12:08】
曾孫を越えて玄孫までは、それほど離れていません。
樹林の間から比叡山の展望台が見えます。
案内してくださったご同輩とは別れて、昼飯にしました。
四条河原町のコンビニ買ってきた「ツナサラダ巻とカニカマ巻」です。カップ麺も買ってきてましたが、湯を沸かすのが面倒でした。
ポットの温かいお茶でいただきました。腹も減っていたので、満足です。
道はさらに北に向けて続いてますが、こんなテープがありました。
尾根を引き返します。
教えられたとおりに安全な熊山乗越まで戻って、鹿山がある中央尾根に入りました。
途中に孫熊山から谷を越えてくるルートとの分かれ道がありました。
【12:58】
ルートがしっかりとした尾根道を北上して、鹿山にやって来ました。
【13:05】
さらに進んで子鹿山です。
これで本日のプレートハンティングは完了です。
さて戻り道です。
YAMAPで調べていたルートとの分岐です。右の道を谷に向けて下ります。
上の地図で「*1」とした地点です。
さて、この三叉路をどちらに行ったものか。どちらにもよく整備された道が続いています。
沢の左の上流を目指しました。
「*2」で、さらに迷いました。このあたりに送り火の火床と銀閣寺の中間点に下っていくルートがあるはずです。
それが見つかられないまま、大文字山へもう一度、登っていくルートを進みました。
【13:52】
汗をかきかきたどり着いた尾根は、大文字山と火床との中間でした。こんな遠回りをさせてと、毒づきたい気持ちでした。
わたしが歩いたルートは、どこもよく整備されていて、危険だったりルートを見失う個所はありませんでした。ところが、道標の類がほとんどありません。ルート地図も見つからないので、YAMAPのGPSで地図上の現在位置はわかっても、歩いている道がどこに通じているかがわかりませんでした。YAMAPの有料会員になって、そこを歩いた人の軌跡をダウンロードするしかないですかね。
【14:06】
この日、2度目の火床です。
あとはさっさと下りました。
【14:31】
銀閣寺は、観光客がちらほらでした。
白川通りの銀閣寺道まで歩き、京都市バスで四条河原町まで。阪急は、ほとんど眠っているうちに水無瀬でした。