江戸初期に中川喜雲によって書かれた観光ガイドブック、「京童」とともに歩く3日目です。
泉涌寺から五条まで戻ってくる道は省いて、五条大橋を出発、因幡薬師から五条天神、東西本願寺と巡り東寺、西寺でゴールとしました。
寒さが和らいだ都路を13キロほど歩きました。
カテゴリー: walking & climbing
雲ヶ畑山歩き俱楽部 雪の惣谷林道から惣谷山
「雲ヶ畑山歩き俱楽部」の2月例会に参加。京都北山の惣谷(そうだん)林道から惣谷山へ。さらに林道を詰めてオ梅谷林道を下りました。
ルートの大部分が林道、これといったビューポイントもない初めてのルートでした。そこが積雪に覆われて一転していました。気温が上がり青空が広がる好天気もあって、素晴らしい山歩きとなりました。
「京童」と歩く 2日目 清水から新熊野へ
京都初の観光ガイドブックともいうべき「京童」に導かれて歩く2日目です。
清水、六波羅、三十三間と回って新熊野まで歩きました。
節分会の八坂神社では福豆と福引の清酒をいただき、法住寺ではぜんざいをよばれました。
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「京童」と歩く 1日目 内裏から東山へ
「京童」は明暦4(1658)年に刊行された京都で最も古い案内記です。洛中洛外の名跡仏閣の由来、伝説などを挿絵や筆者の中川喜雲自作の狂歌を交えながら記しています。
国会図書館の国書データベースなどで閲覧できます。でも古文書が読めません。日本語なのに。
残念ですが、そこに記されたポイントを自分の足で歩いてみました。
寒い一日でした。内裏(御所)からスタートしました。
極寒の生駒から石切神社でご祈祷
山仲間の兵庫・三田の山の会の新年登山でした。枚岡神社から干支の山、生駒山に登り、石切神社に下山しました。
わたしも参加させてもらいました。一緒に山の安全や健康をを祈願するお祓いを受けました。
遊園地は休園中の頂上あたりは、寒風吹きすさぶ極寒の世界でした。麓に降りてくると、神社はお百度を踏む善男善女でにぎわってました。
京都を歩く 京都電鉄が走った木屋町線 新寺町の謎
新寺町通の謎ーが解けました。
日本で初めての営業電車、京都電気鉄道(京電)の木屋町線が走った跡をたどりました。現在のJR京都駅から木屋町ニ条の間です。
河原町五条の手前に、右に折れてすぐに五条に突き当たる不自然とも思える短い道があります。新寺町通という立派な名称がありました。
明治28(1895)年の開業当時は、ここを京電が走っていたのです。拡幅された河原町を京都市電が走ったのは、ずっと後の時代でした。
五条を渡ったところに「牛若ひろば」があります。高瀬川が広い五条の下を流れる入り口の壁面にレンガが張り巡らされています。
これが数少ない京電の遺構でした。このレンガ積は、京電の路面の橋脚だったのです。
木屋町線の起点となる京都駅の東、塩小路東洞院の南西角に「電気鉄道事業発祥地」の碑が立っています。ここから歩き始めました。
京都・木屋町 日本映画発祥の地は京都電燈創業の地
京都・木屋町の高瀬川に面した立誠(りっせい)小学校の跡地に「日本映画発祥の地」の案内板が立っています。その説明文に気になる会社名があるのことに気づきました。ここに京都電燈株式会社があったのです。
菱形雷紋を社章とした京都電燈は明治22(1889)年、この地に社屋を建て、敷地内に石炭火力発電所を設けて電力事業を始めたのです。
明治30(1897)年になった、京都電燈の中庭でフランス帰りの技師、稲畑勝太郎(稲畑産業創業者)によって映画が上映されました。
高瀬川沿いにあった京都電燈の火力発電所とされる写真です(ネットよりDL、出所不明)。
京都を歩く 嵐電・北野線100周年と幻の北野駅
嵐電(京福電気鉄道)の北野線は大正14(1925)年、京都電燈によって北野ー高雄口(現・宇多野)間が開業しました。ことしで100周年を迎えました。
新型車両の「KYOTRAM(きょうとらむ/モボ1型)」も今春、デビューしました。100周年のヘッドマークをつけて宇多野のホーム脇の残り紅葉を横目に走りすぎました。
暖かな一日でした。嵐山本線から北野線が分岐する帷子ノ辻(かたびらのつじ)から10駅、北野白梅町まで3.8キロをカメラ片手に歩きました。
冬枯れの鳴滝ー宇多野間です。桜のシーズンにはピンクのトンネルとなります。
帷子ノ辻では、100周年写真展が開かれていました。どれも見入るような嵐電の歴史が詰まっていました。
今はない北野駅を撮影したパネルもありました。
雲ヶ畑山歩き俱楽部 満樹峠から十三石山、氷室
山城三十山の一座、十三石山に初めて登りました。京都北山を歩く雲ヶ畑山歩き俱楽部の例会でした。
季節は冬ですが、風はなく穏やかな日和でした。それでも今シーズン初の雪とも出会いました。
その昔。雲ヶ畑から京の都に花や柴を運ぶために往来しました。今は廃れた古道です。博識リーダーの講座で教えられるいことが多い、楽しい山歩きでした。
【2025/12/13 09:22】
雲ヶ畑の市ノ瀬に集合。リーダーからルートの説明を受けました。
早刈谷の林道を進みます。
谷に陽の光がこぼれてきました。
シダの上に雪が氷となって降り積もっていました。
だれもいない小屋から焚き火の煙が上がっていました。山仕事をされているのでしょう。
林道を外れて杉林の山道となります。幅は1メートルほどと広く、荷車が行き来したそうです。
満樹峠に到着です。万寿峠とも書きます。
「満樹峠というのは、平安京が造営された時、このあたりの大樹巨材が多く、老木が山に満ちていたから満樹と名付けられた⋯」(金久昌業「北山の峠」)
こんな資料をリーダーがコピーして配布。説明を加えてくれます。
十三石山の頂上直下を歩いていると、なんと山頂標識が転がっていました。風に吹き飛ばされて来たのでしょうか。拾って元のピークに戻しました。
山頂にはいくつもの標識がぶら下がっていました。
そろって記念撮影(メンバー撮影)
少し離れた十三石山西峰も踏みました。ルートはかなり荒れていました。
満樹峠に戻り、氷室に向かて進みます。途中に寺山への分岐がありました。
京都一周トレイルと合流です。おなじみの標識が立っています。
足元には、これもおなじみの像です。
氷室神社の前で昼食としました。穏やかな陽だまりでした。
わたしの昼飯は、途中のコンビニで買ってきた弁当とミニ・カップラーメンです。
久しぶりの「天下一品」です。それらしいお味は?
氷室神社を参拝します。
本殿の前にある拝殿は、東福門院(徳川家康の孫で後水尾天皇の皇后)が寄進した唐破風屋根をもつ珍しい構造だそうです。
桃山風という変わった彫り物が載っています。
氷室の穴も残っています。
ここに冬の雪を貯蔵して、夏に都へ献上しました。菓子の水無月の元祖です。
窪地は3つありました。
小峠を境に、明るい氷室の里から薄暗い盗人谷となります。
3年前には渡ることができた丸太橋は、通行不能となってました。橋脚が腐って、崩れ落ちそうです。
山幸橋まで下ってきました。
雲ヶ畑街道を下り、車をデポしていた柊野運動公園がゴールでした。
京都を歩く 京都電燈の水力、火力と叡電100年
京都電燈は、路面電車の京都電気鉄道(京電)に電力を供給する一方、自らも電鉄を経営しました。
大正14(1925)年に開通させた叡山電気鉄道平坦線で、出町柳と八瀬(現八瀬比叡山口)を結びました。今年で開業100年です。
八瀬比叡山口のターミナル特有のドーム状の屋根は、開業当時そのままです。
駅の山手に、京都電燈が明治33(1900)年に完成させた高野水力発電所の水門が残っています。
叡山ケーブルも京都電燈が叡山電気鉄道部の鋼索線として平坦線と同じ大正14(1925)年、西塔橋(現ケーブル八瀬) – 四明ヶ嶽(現ケーブル比叡)間で開業させています。
八瀬から叡電-京阪と乗り継いで京都・伏見の中書島までやってきました。ここには京都電燈の伏見発電所として建設されたレンガ造りの火力発電所の建屋が今も残っています。








































