裏大文字に続いての京都低山ハイクは、五山送り火の「大」の次に点火される「妙法」の火床がある松ヶ崎東山(法)と松ヶ崎西山(妙)です。
火床の松ヶ崎東山は麓からの入山が禁止になっています。稜線側から下ると、金属製の火床を確認することができました。向こうには大文字が見えています。
少年時代を過ごした家にも近く、そのころには登ったこともあるはずです。昔の思い出が、あれこれと浮かんできました。
松ヶ崎西山には「妙」の火床が並んでいました。送り火の中では画数が多いので、火床もあちこちの方向に延びてます。
昼飯は、宝ヶ池公園の東屋でいただきました。
烏丸四条で阪急から地下鉄に乗り換えるとき、途中の成城石井で買ってきました。「直火焼ハンバーグ明太ひじき飯弁当」です。即席のとん汁とともにおいしかったです。
深泥池(みどろがいけ、みぞろがいけとも)にも回りました。京都最古の天然池で、氷河期からの動植物群が生き続けているそうです。
【2021/02/25 10:32】
地下鉄北山までやってきました。地上に出ると、街路樹の向こうが妙の松ヶ崎西山でした。
山肌に見えるのが、斜めからみた法の上部です。右は比叡山です。
麓の日蓮宗涌泉寺の横の階段から登ります。
妙法は日蓮宗の題目「南無妙法蓮華経」にちなみます。1306年に、松ヶ崎の村民が日蓮宗に改宗したことに由来するそうです。
5分ほど急な山道を登ると、もう稜線です。
北側斜面は宝ヶ池公園として整備され、立派な散策路ができています。
獣除けのゲートが現れました。鍵はかかっておらず、通行は自由です。
ドアノブもついて立派なゲート建設のために寄付をした企業、団体、個人の名前が列挙されていました。その中に、今は松ヶ崎に戻っている中学校時代の友だちの名前がありました。
【11:02】
ピークらしきところに白いアンテナのような鉄塔が立っていました。ここが松ヶ崎東山(186m)です。でもプレートの1枚もない、静かな山頂です。
大黒天山とも呼ばれます。麓に松ヶ崎大黒天( 妙円寺)があります。都七福神巡りでやってきました。
山頂から100メートルほど戻ったところに、左に降りる踏み跡があります。
その先が、法の一番上のポイントでした。行けるのはそこまでです。
金属製のポールの先に火床が載っています。ここにアカマツの割木を高さ約1メートル積み上げて点火するそうです。
火床は法に63基、妙に103基あります。
大文字の大の左上が大文字山、さらに左の尾根が熊一族や鹿親子の裏大文字です。
京都市街も見渡せます。
眼の下を高野川が流れ、下鴨神社、その向こうに御所が見えます。さらに先には京都タワーも確認できます。
稜線を西に歩いて171mピークまできました。
このあたりは、わたしと生年月日がまるで同じだった友だちがよく愛犬と散歩していたところです。亡くなって何年もたちます。
マツが発芽しています。まるで盆栽です。立派に生長してほしいです。
【11:42】
宝ヶ池公園まで下ってきました。池の畔まで行ってみると、あまりに懐かしい光景です。
古いアルバムを開けました。ありました。昭和35(1960)年3月に撮影された記念写真です。
わたしは京都市立葵小学校4年生でした。ベビーブーマーの当時は50人学級でした。実際にはそれ以上います。
なんと60年前と同じ光景です。
あのころのわたしが、そこにいてもおかしくはありません。
池の向こうは当時見たのと同じ姿の比叡山です。
狐子坂(きつねざか)を下ります。現在は右に進む緩やかなカーブとなっています。昔は、左の細い道でした。
見事なヘアピンカーブです。
わたしはこの下にある自動車教習所で運転免許証を取りました。大学1年の時でした。その路上教習で、このヘアピンを曲がり、エンジンブレーキのかけ方を教わりました。
松ヶ崎西山に向かいます。まずは墓地への急階段を登りました。
雑木林の中をかすかな踏み跡を頼りに進むと、急に視界が開けました。妙の斜面でした。
こちらにも火床が並びます。松ヶ崎西山は万灯籠山とも呼ばれます。
その下はラグビーやサッカーの宝ヶ池公園球技場。その向こうがドライビングスクールです。
【12:14】
もう一度、宝ヶ池公園に戻ってきて友愛の広場の東屋で昼飯にしました。
野外で食べる弁当は、それだけでおいしいです。
深泥池を目指しましたが、山越えのルートは通行禁止でした。ガードマンに宝池隧道(宝ヶ池トンネル)を越えた先を左に行けばよいと教わりました。
トンネルに救急車のサイレンが響き渡りました。
山の手通りとおしゃれそうな名前がついています。住宅街が山の手まで迫ってきただけのことです。
京都博愛会病院の敷地を抜けて、深泥池までやって来ました。
そういえばこの病院の副院長は同級生です。
深泥池は、心霊スポットとしてテレビで話題になったこともあります。
西山に登る道がわからずに歩いてきました。
この辺りだ! 当時はもっとうっそうとした雑木が茂っていました。友だちと釣り来て、ここで釣り糸を絡めてしまいました。それが大きなハチの逆鱗に触れたのでしょう。2人とも顔を刺されて腫れあがりました。次の日は小学校を休んだはずです。
この流水溝も当時のままです。
【13:13】
懐かしさがこみ上げる深泥池を通り、地下鉄の北山まで歩いて「思い出ハイク」を終了しました。
懐かしい思い出のある所ですね♪先週、君と同じ生年月日の友の奥さんからLINEがありお家にお邪魔しました。もう早3年八ヶ月余り経ったと話しをして来ました♪