京街道を上る 其の壱 大坂を発つ

 「京街道」を歩きました。
 京街道は、大坂・高麗橋から淀川左岸を進み、淀を経て京に向かう街道です。文禄5年(1956)に、豊臣秀吉が築かせた「文禄堤」が起源とされます。江戸時代に伏見から大坂に向かう道には、東海道の延長として伏見、淀、枚方、守口の4宿が設けられ「東海道五十七次」とも呼ばれました。
 このうちの大坂-枚方間をウォーキングしました。

 2010/02/14 08:41=高麗橋を出発します。
 久しぶりにやってきた北浜は、三越が姿を消し、跡地には高層マンションが建っている。東横堀川にかかる高麗橋の上は阪神高速が走っている。橋の東詰に「里程元標跡」の碑が建っている。明治時代に里程元標が設けられ、西日本の主要道の起点となっていたそうです。 


 08:47=「熊野街道」はここから始まります。かつて、わたしもここから熊野に向けて出発しましたが、わずか1日で降参して、天王寺から先には進んでいません。今も熊野詣でをする気持ちはありますが・・・。

 08:48=「八軒家船着場の跡」の碑が昆布店の軒先にあります。伏見から淀川を下ってきた三十石船は、ここに到着したのです。

 08:57=エル・オオサカの北側の道に「豊臣時代大阪城三の丸北端」の石垣の一部が発掘されたままの格好で移築されています。

 豊臣秀吉の時代には京街道の出発点だった京橋を、横断陸橋から見下ろす。向こうに大阪城天守閣が。

 大阪の魚市場といえば「雑魚場(ざこば)」が有名だが、京橋の魚市場は川魚を商っていたと、説明板に記されています。

 京阪の高架橋に沿って歩く。左に曲がる道を、地上の線路は走っていました。

 JRの線路をくぐる京阪の線路跡。わたしが大学に通い始めたときは、ここをくぐってました。向こうには京橋名物の「グランシャトー」が。

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