京城勝覧を巡る 第四日 醍醐山に登る

 貝原益軒の京都ガイド、「京城勝覧」の4日目は、『上の醍醐にゆく道』です。
 コースでは、洛中(京都の中心地)からの南方面、約7里(28km)とあります。清閑寺-勸修寺-小野随心院-醍醐-日野と巡るのですから、『道遠し。朝はやく出るがよし』となります。
 わたしは、三宝院などがある下醍醐から、お山の上の醍醐寺までを往復しました。
 標高450mの信仰の山に初めて登りました。開山堂など立派な伽藍が並んでいました。

 登りは1時間ほど。きれいに整備されていますが、急な階段道では汗が噴き出しました。

 五大堂の前に整列する像。中央は修験道の祖・役小角かと思いましたが、実際は右。中央は醍醐寺を開いた理源大師だそうです。よく似た像とは弥山近くの大峰奥駆路でお会いしたことがあります。

 【2021/09/21 10:13】
 JR京都線の山科で京都地下鉄に乗り換えて醍醐で下車。10分ほど歩いて醍醐寺までやって来ました。

 左手の三宝院を横目に通り過ぎます。国宝の唐門です。菊と桐の紋が輝いています。
 醍醐寺は、世界文化遺産に指定されています。

 仁王門にも拝観受付があります。「お山にの登りたいのですが」と尋ねると、回り道を教えてくれました。

 広大な伽藍を囲むフェンスに沿って進みます。

 女人堂で「入山料」(600円)を納めました。
 西国十一番札所の「上醍醐 准胝堂((じゅんていどう)」は、平成20年夏に落雷が原因で焼失しました。その年の秋にやってきたときは、この女人堂で朱印をいただいた記憶があります。

 

 西国十一番 火災で焼失した 「上醍醐 准胝堂」

 西国で訪れたときは、ここから先には入れませんでした。

 木々に覆われてひんやりとしていました。

 丁石が立っています。

 「槍山」という変哲もない平坦地がありました。慶長3(1598)年、太閤秀吉が「醍醐の花見」を催したその御殿があった地です。

 不動の滝までやってきました。中間点です。ちょっとひと息つきました。

 立派な休憩所もあります。
 さて、これからが急坂のジグザグ道です。

 16丁が尾根筋です。18丁までありました。

 たまに参拝者とすれ違いましたが、静かな山道でした。

 上り始めて1時間近く。寺務所見えてきました。

 「京城勝覧」の描く伽藍の配置は、当然ながら現在と変わっていません。

 清瀧宮拝殿です。これも国宝です。
 室町時代の建物で、山腹を切り開いて前面が崖にさしかかる懸造り(かけづくり)の構造になっています。

 准胝堂への石段を上ります。
 山の上にこれだけの石材を運び上げたのです。

 准胝堂の跡地には、「建設予定地」の札が立っていました。

 薬師堂は延喜1年(913)年に醍醐天皇の御願堂として創建されました。千年以上の風雪を耐え抜いてきました。

 五大堂は、山上密教寺院の雰囲気を伝えています。

 如意輪堂も創建は貞観18(876)年とか。現在の建物は慶長11(1613)年に再建されものですが、それでも500年前です。

 開山堂の前からは視界が開けます。
 天王山もよく見えました。

 西国十二番札所、岩間寺へとルートは続いています。

 山頂(450m)と記された標柱もありました。

 開山堂でゆっくりと休憩して、来た道を戻りました。

 こんな急坂を登って来たのかと思いながら、快調に下山しました。

 醍醐寺の五重塔は、天暦5年(951)年に完成して、京都府で最古の木造建造物だそうです。

 向こうの尾根から下ってきました。

 【12:57】
 醍醐寺門前のバス停から京阪バスでJR六地蔵に行き、そのままJRで帰宅しました。

 「京城勝覧」の4日目は、ほとんどのスポットをすっ飛ばして、「上醍醐に上がる」で終始してしまいました。