箱根登山鉄道の「モハ2型」です。急カーブ、急勾配を登っているように見えませんか?
先日、箱根・強羅駅の売店で買ったみやげです。「マグネット連結登山電車」は300円ほどでした。上の写真では連結のためのマグネットを取り外しています。
他にもプラレールやNゲージ、Bトレショーティーなど、多くの種類の登山電車が並んでました。
スイスの山岳鉄道を模したシナリー「教会のあるパイク」です。久しぶりの登場です。でも箱根登山鉄殿沿線には、こんな風景はありませんでした。
箱根登山鉄道の「モハ2型」です。急カーブ、急勾配を登っているように見えませんか?
先日、箱根・強羅駅の売店で買ったみやげです。「マグネット連結登山電車」は300円ほどでした。上の写真では連結のためのマグネットを取り外しています。
他にもプラレールやNゲージ、Bトレショーティーなど、多くの種類の登山電車が並んでました。
スイスの山岳鉄道を模したシナリー「教会のあるパイク」です。久しぶりの登場です。でも箱根登山鉄殿沿線には、こんな風景はありませんでした。
強羅駅に到着した「2000系」。スイス・レーティッシュ鉄道の姉妹鉄道締結30周年を記念するヘッドマークをつけている。
「2005」はレーティッシュ鉄道の人気列車、スイス国旗をデザインした「氷河急行」と同じ塗色が施されている。
「2000系」は「サンモリッツ号」と名付けられている。
大平台駅ですれ違う最古参の「モハ1型」(右)と最新鋭の「2000系」。
「モハ2型」は正面のツートーンの塗り分けが「モハ1型」とはちょっと違う「金太郎塗装」になっている。前面のV字型のデザインが、「金太郎の前掛け」に似ている。
「クモハ1000系」には「ベルニナ号」の愛称が付いている。
トンネルの中が峠になっている。トンネルを出ると、すぐに鉄橋を渡る。
車輪の横に散水装置がついてる。レールの摩耗を減らすための装置である。
「モハ1型」のクラシックな運転席。
箱根湯本から小田原の間は、小田急が運行している。レールの幅が箱根登山鉄道より狭いため、3本レールになっている。
鉾根登山鉄道の終点、強羅に着きました。
強羅駅は、姉妹鉄道のスイス・レーティッシュ鉄道のサンモリッツ駅に贈られたのと同じ駅名表示が掲げられています。喫茶店の名前も「サンモリッツ」です。
まるでサンモリッツ駅です。外国人女性がベルニナ急行の発車を待っています!!
そんな風景にも見える強羅のホームです。壁に描かれた列車です。
ことし6月1日、レーティッシュ鉄道との姉妹鉄道締結から30周年を迎えました。
このカウベルもレーティッシュ鉄道から贈られたものです。
「関東の駅百選」のも選ばれています。
早雲山に登るケーブルカーは、観光客でいっぱいです。
強羅のホームは、降車と乗車が違うレール上にあります。左の降車ホームに到着した電車は一旦バックして、改めて右の乗車ホームに入線します。スイッチバックが好きな電車です。
箱根登山鉄道に乗りました。アプト式などのラックレールに頼らない粘着式鉄道としては80パーミル(1000メートルで80メートル登る)という世界2番目の急傾斜を登ります。
大平台駅のあたりには、スイッチバックという切り返しが3カ所あります。このジグザ区運転で高度をかせぐのです。
まず 線路右の強羅方面から箱根湯本行きが下ってきました。ちょっとの差で左側の湯本方面から強羅行きが登ってきました。
大平台駅は行き止まりです。運転手と車掌が入れ替わり、反対向きにスタートします。
先に湯本行きが下って行きます。
それから強羅行きが上がっていきます。
単線運転です。上り下りの行き違いも兼ねています。
山の中にある大平台駅です。近くに温泉があるので、外国人観光客は大きなスーツケースを抱えています。
ダッシュ!! 客のいないプラットホームの端から端まで、運転手と車掌が走ります。
「関東の鉄道お宝発見フォトラリー」という催しが行われています。選ばれた鉄道施設25カ所の写真を応募します。アルバムも配られています。横浜在住の友人の撮影行に同行しました。
「太陽の塔」です。ここで万博が開かれたのは、昭和45年のことです。大阪モノレール(正確には大阪高速鉄道大阪モノレール線)の万博記念公園駅付近には、当時は地下鉄・御堂筋線のターミナルがありました。
もうすぐ万博記念公園駅です。「八」の字のよに手前に広がっているのは、彩都に向かう新線です。
コンコースの窓の向こうにも「太陽の塔」がのぞきます。
左は「近畿の駅百選」、右は営業モノレールで最長ということが認めたれた「ギネス」の認定証です。
閉鎖された「エキスポランド」です。ダイザラザウルスの軌道も、途中でなくなっています。観覧車の移転計画が持ち上がってます。
広島では京都市電がいまも現役で走っています。その姿を見たくて、やってきました。
JR広島駅前の広島電鉄広島駅です。要するに駅前の市電の乗り場です。
新型車などが次々とやってくる中を、カメラを構えて20分ほど待ちました。
見えました。懐かしい車体が。
京都市内の公園などに残されて市電はいくつもこのブログで紹介してきました。わたしが学生時代まで乗った市電と同じ姿で走っているのを見るのは初めてです。
「1903」には「舞妓」という愛称が付いています。ほかにも「嵯峨野」「祇園」などがいます。。
京都市電のロゴマークも残されています。
京都市電が廃止になった後、1900型15両が移籍してきました。
行き先方向幕が大型化され、「ワンマン」表示が撤去されるなどしてますが、ほぼ原型通りです。
広電の路面電車は、今も市民の市として愛されているようです。
ヨーロッパの都市を走るLRTと同じ車両も次々とやってきます。そのうち世代交代となるのも定めでしょうか。
JR西日本が期間限定で発売した「西日本パス」を利用しました。大阪から往復「のぞみ」に乗って、たったの1人12000円です。プラス2000円でレンタカーも借りました。
明石から山陽電鉄でひと駅。「人丸前」駅のホームです。東経135度の真上にあtる。向こうは明石の天文台(明石市天文科学館)です。
南を向くと、淡路島が目の前です。明石大橋の橋脚も見えます。
高架の下にある無人駅です。
ちょっと駅前を散歩しました。
並行するJRのガード下に「両馬川旧跡」の碑があります。両馬川は埋め立てられて、今はありません。
「寿永3年(1184)2月、一の谷の戦いに敗れた平家軍の通過地である。平忠度が岡部六弥太に追いつかれ、二人の馬が川をはさんで戦ったので「両馬川」という生江がついたと伝えられる」-とあります。
腕塚神社は、人丸駅の南西30メートルほどにあります。
岡部六弥太と組み討ちとなった忠度は、六弥太を組み伏せ首をかこうとします。六弥太の郎党が主人の一大事と駆けつけ、忠度の右腕を切り落とします。「もはやこれまで」
「行きくれて木の下陰を宿せば花や今宵の主とならまし 忠度」
えびらに結びつけられた文で、歌人でもあった忠度とわかったという。
腕の病に霊験あらたかとお参りする人が多いということです。
国道2号を超えた南には、「忠度塚」がある。
「子午線交番」がある。横に「子午線通過地点」の碑がある。
明治17年(1884)にワシントン万国子午線会議で、世界標準時が決められた。日本は明治21年1月1日から、この子午線上の時刻を日本標準時としている。この碑は明治43年に、地元の小学校教員が資金を集めて建立したそうです。
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六甲ケーブル(六甲摩耶鉄道)の六甲山上駅です。山の上に建てられた立派な洋風建物です。
待合室は天井も高く、広々としています。
駅舎の上は、昭和天皇がお越しになったことから「天覧台」と名付けられた展望台です。上がってみましたが、天気が悪く、神戸市街は見えませんでした。夜景がすばらしいところです。
今回はケーブルカーには乗りませんでした。
写真は2年前の6月に撮影したものです。