本日も日課の徒歩25キロほどをこなしました。アルベルゲには一番乗りです。
シャワーを浴び、到着ビールを飲み、次の日課は洗濯です。ちゃちゃと手洗いして、干し場に吊します。スペインの午後の日射しを浴びて、ひと眠りしたころには乾いてしまいます。
ソパ・デ・アホのソパは蕎麦ではなくてスープ、アホはニンニクです。カステーリャ地方でポピュラーなスープです。
12日目に泊まったサン・ファン・デ・オルテガの修道院アルベルゲはペルグリーノにこれをふるまってくれることで有名でした。わたしもいただきましたが、古いパンがはいっているだけで、ニンニクのうま味があまり感じられない、ちょっと肩透かしの味でした。
ロス・テンプラリオスの私営アルベルゲには、きれいなレストランが併設されていました。メヌー・デル・ディア(日替わり定食)のメニューを見ると-と日本語ではなりますが、スペイン語ではMENU(メヌー)は定食のことです。そこにありましたソパ・デ・カステージャ(カステージャのスープ)が。
定食には普通はハーフボトルのワインが付いてきます。水やビールをセレクトすることもできます。赤ワインを飲んで待っていると、出てきました。オレンジ色がかったとろみがついたスープでした。古くなったボガティージョに使うような皮が厚くて硬いパンをニンニクが煮込んであるそうです。生ハムやチョリソーも沈んでいて、その塩味がアクセントになっています。念願のソパ・デ・アホに舌鼓を打ちました。
メニュー(巡礼定食)はたった10€でした。
定食はプリメロ・プラート(前菜)から1品、セグンド(主菜)から1品、これに飲み物、デザート、パンがついてきます。これでたったの10ユーロです。この日はセグンドにもプリメロからスパゲティ・ボロネーゼを選びました。こんな選択も可能で、自分の腹具合と相談することができます。
セグンドの1品は、ボリュームたっぷりのものが多いです。肉でも鳥でも2切れはついていて、ちょっと食傷気味でした。
とはいえ、スペインの料理は、ほとんどが口に合いました。毎日、20キロ、いやそれ以上も歩き、腹を空かせてテーブルに着きます。到着ビールのおいしかったこと。夕食は、キリリ冷やした赤ワインです。スペイン語でヴィーノと頼むと、きまってヴィーノ・ティント(赤ワイン)が出てきます。定食でヴィーノ・ブランコ(白ワイン)は別料金です。出発前は、白ばかり飲んでましたが、今はすっかり赤組に宗旨替えです。
パンも食べてます。
セグントも、プリメロからスパゲッティ・ボロネーゼです。安心していただけました。これくらいのボリュームがちょうど良かったです。
デザートはヨーグルトでした。
ボトルはきっちりと空になっていました。
この日のステージは、テラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスまでの27kmほど。最初の17kmの間は、村もなく、延々と麦畑が続いていた。
少しづつ樹木は増えてきたが、カンカン照りに変わりはなかった。
夕飯は私営アルベルゲの食堂で。ここで食べたソパ・デ・アホ(ニンニク・スープ)はうまかった。
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ブルゴスから歩き始めたまやさんは、フロミスタからバスでスキップしてレオンに向かうつもりでした。ところが、「ここからはバスは出ていないよ」と告げられ、次のカリオン・デ・ロス・コンデスまで歩くことになりました。バスは正午前に出ると聞いて、20キロの道のりを自分のペースで歩く時間から逆算しました。わたしより1時間も早く、真っ暗な道を一人で歩き始めたそうです。「星がきれいだったですよ」と、早起きへのプレゼントもあったそうです。
カリオン・デ・ロス・コンデスの教会の前までやってくると、またまたばったりと出くわしました。膝の傷に最後のゲンタシン軟膏を塗ってもらい、記念撮影してまやさんが乗るレオン行きの高速バスを見送りました。
バス停留所は、町の入り口のバルの前にありました。バスがやってくると、それまでバルの中で休憩していたおじちゃん、おばちゃんたちがぞろぞろ出てきて、そのバスに乗り込みました。みんなわたしと同じペルグリーノでした。レオンまではバスで2時間ほどだそうです。わたしが歩いてそこに到着したのは4日後でした。こんなカミーノもあるのです。
ツアーとおぼしき一団とも出会いました。小型バスが追い抜いていきました。しばらく歩くと、見覚えのあるバスが路肩に止まっていて、バスから降りた一団が体をほぐす体操をしていました。軽いナップザックを肩に、この日のカミーノに出発でした。10キロほど歩くと、またそのバスが止まっていました。一団のきょうのゴールのようでした。景色のよい区間だけをつまみ食いでもするかのように進んでいるのです。これもまたカミーノでした。それぞれの行き方があります。
自転車で突っ走るペルグリーノも多かったです。どういうわけか、そろいのユニフォームを着たグループがほとんどでした。犬を連れて歩いているペルグリーノとも、何人も出会いました。わたしは出会いませんでしたが、騎馬や車いすのペルグリーノもいるそうです。
サンティアゴ・デ・コンポステーラまで徒歩では100キロ以上、自転車なら200キロ以上。これがコンポステーラ(巡礼証明書)をいただく条件です。
四国88ヵ所の区切り遍路のように、何回にも分けて巡礼を続けてサンティアゴ・デ・コンポステーラに到達する人もいます。
そんなことはどちらでもいいのです。それぞれのやり方で、それぞれの道を進めば、それがその人の巡礼、カミーノなのです。
気持ちの晴れる朝日が昇った。空がきれいすぎた。
カリオン・デ・ロス・コンデスまで20kmほどのステージ。昼前には到着した。
県道に沿った巡礼路にモホン(道標)が林立する。望遠レンズのカメラがあれば、もう少し強調したカットが撮れたはずだ。
夕食には、パエージャ(パエリア)をいただいた。やはりおいしい。
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巡礼でかつぐ荷物は、可能な限り少なくしました。それぞれの重量を量って、少しでも軽いものを選びました。
念のための携行品は、大抵出番がありません。それがわかっていて持っていったのは、最低限のクスリでした。
ブルゴスの大聖堂の前で出会ったまやさんは、そこからカミーノをスタートさせました。2日後にカストロヘリスのアルベルゲで再会すると、メセタの道で転倒して、左膝に深い切り傷を創っていました。わたしがもっていたゲンタシン軟膏を塗ってもらいました。化膿止めになるだろうと判断しました。
「抗生物質ももってますから、化膿しそうだったらいつでも言ってくださいよ。あげますから」
翌日のフロミスタのアルベルゲでも。さらに次の日のカリオン・デ・ロス・コンデスでも、バスでレオンに向かうまやさんと別れる前にと、ゲンタシン軟膏は大活躍でした。譲ってもよかったのですが、わたしもこの先、いつ必要になるかわかりませんでした。
カミーノに出発する前、わたしは近所のかかりつけの医院に行って、ひと通りの薬をもらっていました。
セガスロン(胃腸薬)、ビオフェルミン配合散(整腸剤)、葛根湯(風邪薬)の他に、フロモックスというセフェム系抗生物質も。
「先生、ベッド・バグ(南京虫)に刺されたときの薬も頼みます」とお願いすると、「どこに行くんですか」と怪訝な表情をされました。
タリオンという抗ヒスタミン剤(アレルギー疾患の治療薬)はその対策薬だったはずです。幸い、ベッド・バグに遭遇することはありませんでした。それでもサンティアゴ・デ・コンポステーラで出会った日本人2人組は「刺されて、逃げ出してきた」と話してました。
ビワの葉エキスというのは、奥さまの愛用消毒液です。ビワの葉を焼酎に漬け込ん作ります。プラスティックの小瓶に入れ、綿棒とともにもってました。
針と糸も必需品でした。ボタンがとれたときの裁縫用ではありません。足にマメができたときは、針を消毒して膨らんだマメに突き刺し、糸を垂らしたままにしておきます。すると、糸を伝って貯まった体液が放出され、傷口が乾燥して直りが早くなるのです。
カミーノと関係なく、毎日飲んでいる薬も忘れたらたいへんです。降圧剤と、5年ほど前に山道で膝が痛くなって以来、愛飲しているグルコサミン・コンドロイチン錠、さらに腰痛に効くというアリナミンEXです。
湿布シートも役立ちました。これは、スペインのファーマシア(薬局)では買えませんでした。
薬ではありませんが、ワセリンも大活躍でした。毎朝、靴下を履く前に、指先に塗り込んでいました。マメの予防になります。おかげでか、今回のカミーノでは、長距離歩行の大敵であるマメに泣かされることはありませんでした。
この日のステージは、メセタの残りを進んで25kmほど。パレンシア県に入ってからは、運河に沿った道を進んだ。
水と緑。乾ききった巡礼路を歩いてきただけに、ほっとする風景だった。
夕食は簡単にカップラーメンですませた。
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