雲ヶ畑山歩き俱楽部 60数年ぶりの狼峠から魚谷山

 京都北山の狼峠から魚谷山までを歩きました。雲ヶ畑山歩き俱楽部の例会に参加しました。魚谷山などのコースは、中学生だったときに歩いて以来、なんと60数年ぶりでした。
 当時は北山杉の運び出しに使われる木馬道(きんまみち)が縦横につながっている林業者にとっての「生活の山」でした。それが振り向かれる事もなくなり荒れるに任される状態になっていました。地図から消えているルートもあります。懐かしくもあり、ちょっぴり寂しいわたしの「故郷の山」でした。

 草木からからキノコ、文献を元にした峠のいわれまで、リーダーがあれこれと説明してくださりました。山を歩くだけではない、いろんな楽しみ方を教わりました。

 ハタケシメジをいっぱい収穫して土産にしたメンバーも。

 真っ赤に色づいている木もありました。


 【2025/10/19 09:55】
 ベニハナヤマシャクヤクの保護活動などをしている「雲ヶ畑・足谷 人と自然の会」のベース、足谷小屋に集合。ミーティングをして出発しました。

 祖父谷林道を狼峠の登り口まで車で移動しました。一般車は立入禁止区間です。

 向こうが狼峠ですが、教えられなければここが登り口とはわかりません。

 まずは祖父谷川を越えていきます。

 サンインヒキオコシが咲いています。

 おいしそう。

 ほどなく狼峠です。
 60数年前の記憶はまるでありません。

 真っ赤に実がついています。

 かわいいホコリタケです。

 桟敷ヶ岳(右側がピーク)が見えました。

 黒いのはトウネズミモチの実です。

 気持ちの良い尾根道を進みました。

 831mの無名ピークです。
 京都北山を歩き尽くした今西錦司は「北山しぐれ」で、「桟敷と魚谷のあいだに、堂々たるピークがあって、白根三山ににたとえるのはすこしたいそうすぎるけれど⋯」と記しています。

 ハイカーのために整備されたようなルートではありません。道標もわずかです。

 なんとも妖しげに光ってるムラサキシメジ。

 大きなブナのき木ありました。

 ブナの実でしょうか。

 魚谷峠までやってきました。時代もののプレートがぶらさがっています。

 ここで昼飯休憩となりました。

 わたしの昼飯は、途中のコンビニで買ってきた「おにぎりランチ」でした。ポットの湯を注いで、インスタントのミネストローネもつくりました。

 炊き込みご飯の小さなおにぎりがおいしかったです。これくらいのボリュームで十分です。

 魚谷峠からまっすぐに魚谷山まで登ってきました。三角点はありますが、眺望はありません。

記念撮影しました。リーダー(主宰者)だけが写ってません。

 東の斜面を下り柳谷峠までやってきました。
 ここから南の谷を下ると、すぐに北山荘です。今西錦司や西堀栄三郎らが立てた山小屋で、現在はわたしの母校の洛北高校山岳部OBらが管理しています。

 柳谷峠から北向きの谷を下ってきました。踏み跡は薄いですが、途中にクリンソウの群生地もあり、気持ちの良い谷でした。

 医王沢を詰めます。

 芹生とのY字谷です。芹生は、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の舞台となった里です。
 昔は立派な道があったと記憶していました。ところが、地図にルートはなく、踏破したリーダーも道なき道に苦労したそうです。

 医王沢と別れて狼峠を目指します。歩く人はほとんどいないだろう荒れてハードな道でした。

 祖父谷林道に下り、車で足谷小屋に戻りました。
 前夜は雨が降りました。太陽はほとんど顔見せない曇り空でしたが、最後まで降られることはありませんでした。温度もそこそこで、汗こそかきましたが、涼しい秋の風も感じる清々しい山行でした。