憧れの 300Bシングル・アンプの製作 その1 シャーシの加工

 憧れの3極管真空管、300Bを使ったステレオ出力アンプの製作を始めました。真空管やトランスなどのパーツを仮置きしてみました。
 春ごろから、ぼつぼつとパーツを集めてきました。
 昔なら京都・寺町や大阪・日本橋の電気店に出かけたところですが、今やそんなパーツ店はほとんどが姿を消しました。おまけにコロナで外出自粛とあって、みんな宅配でした。
 ヤフオクのお世話にもなりました。自宅で眠っていたパーツも引っ張り出してきました。

 シャーシといって、重たいトランスや真空管を載せる土台を作りました。これが一番の力仕事で、たいへんでした。
 アルミ製で、350×200×50mmの大きさの箱です。方眼紙にパーツを並べて、真空管ソケットが入る丸穴、トランスの角穴、ビス穴などの設計図を描きます。方眼紙をシャーシに張り付けてプロットします。
 電動ドリルでの穴あけは騒音を発します。だれもいない公園に行って、木陰で作業しました。

 直径30mmの丸穴は、シャーシ・パンチという専用工具で開けます。直径が50mmの2カ所の穴は、ハンド・ニブラーを使いました。どちらも高校生のころに入手した時代ものです。

 ひと握りで1mmほど進みます。根気よく切り続けるのですが、握力が足りません。
 アルミは柔らかいとはいえ、厚さ1.5mmは限界です。もう一方の手を添えてやっと切れます。続けて90度ほど切り進むのがせいぜいで、何回にも分けて作業しました。

 左の大穴は、まだ半周です。

 シャーシの表面をサンドペーパーで磨き、サーフェーサーという下塗り塗料をスプレー。さらにアルミカラーのスプレー塗料を吹き付けて、シャースはでき上がりました。

 使用する中国製真空管、PSVANE-300Bです。
 昔は、映画館の拡声アンプなどにも使われていた大型出力管です。ウェスタン・エレクトリック(WE)製のWE-300Bが、オーディオ・マニアの間では絶大な人気を誇っています。でも高価です。新品は存在せず、たまにヤフオクに登場しても2本で20ウン万円もします。とても手が出ません。
 真空管は、20世紀末までに西側諸国では生産がストップしました。今もロシアや中国などでは、マニア用が作られています。
 農薬たっぷりのmade in Chinaは敬遠してますが、真空管なら耳に悪影響を及ぼすこともないでしょう。

 PSVANE(プスバン、中国名ブランドは「貴族之声」)の真空管は、現在使っている出力アンプにも挿さっています。2A3Cという違った真空管ですが、予想外に良かったので、今回も採用しました。
 ヤフオクでゲットしましたが、1本1万円しませんでした。おかげで、コピー球と承知での上で長い間の憧れだった300Bアンプに挑戦する環境が整いました。

備忘録として使用したアウトプット・トランスも掲載します。

 

 Softoneという横浜にあるガレージメーカーのRW-20です。シングル用ユニバーサル20W出力トランスで、Rコアが使われています。2個で25kほどでした。

 在庫はなく発注から製作にかかったようです。納品まで1カ月ほどかかりました。

 ケースは黒とシルバーがあり、シャーシに合わせてシルバーを選択しました。

 使用しないリード線も多く、ケース内に収容しました。
 絶縁のための端末処理材から結束バンドまでが同梱されているという親切さでした。

 Softone RW-20

 メーンアンプの真空管交換 PSVANE(貴族之声)2A3C

Classic FM を聴きながら ジグソーパズルが完成する

 最後の1ピースは、ハイドンの口元でした。これで完成です。
 英国から放送されているネットラジオ、Classic FMオリジナルの1000ピース・ジグソーパズルです。
 5日前にチャレンジを始めました。リビングのテーブルを占拠していました。Classic FMを聴きながら、テレビを見ながら、ついつい穴埋め作業に没頭の毎日でした。

 ノリで固定してしまうのはもったいので、しばらくはこのままにしておきます。

 Classic FM を聴きながら ジグソーパズルに熱中する

伊勢参り その2 JR奈良線に沿って木津まで

 歩いてお伊勢参りの2回目です。JR城陽から奈良線とつかず離れずで木津まで歩きました。奈良までのつもりが、すでに18.5キロも歩いていました。
 梅雨の中休みです。街道歩きには幸いなことに、からりとは晴れ上がりませんでした。それでも暑かったです。
 半袖のTシャツ姿でした。家に帰ってシャワーを浴びてびっくりしました。首と腕に、くっきりと日焼けの段差ができていました。これからの伊勢参りの旅には、日焼け対策が必要です。

 奈良街道の長池の宿辺りを歩いていると、「カン、カン」と踏切の音がしました。路地をのぞき込むと、みやこ路快速が通過しました。現代の飛脚か早馬ですかね。

 青田の中をブルーの電車がさっそうと横切ります。

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Classic FM を聴きながら ジグソーパズルに熱中する

「Classic FM」は、英国から放送されているクラシック音楽専門のネットラジオです。毎朝、テレビニュースをひと通り見ると、ステレオに切り替えます。ひところはバッハばかりを流している放送を聴いてましたが、最近はもう少しイージーリスニングできるこちらです。
 そこが「20人の大作曲家」というオリジナルのジグソーパズルを発売したので、ポチリとしてしまいました。25ポンド(3800円)でした。郵送料もかかっています。
 それが船便で送られてきました。
 今朝も心地よい音楽を聴きながら、ジグソーパズルに熱中しました。

 1000ピースのパズルです。製作はアイルランドと印刷されていました。

 こちらは昨日です。リビングのテーブルの上で作業を始めました。
 完成すると500×665mmの大きさになります。

 夕飯となって、横の小型テーブルに移動させました。
 ネットでジグソーパズル用のパネルを探しましが、日本の規格では合致するサイズが見つかりませんでした。

 なければ作るしかありません。近くのホームセンターに飛んで行って、ベニヤ板と細い角材を買ってきました。

 角材は、45度に切るための道具に合わせて切断しました。

 なんとかコーナーが処理できました。

 アルファベットが印刷されているピースを集めて作曲家の名前の部分を組み合わせました。やっとここまで進みました。先は長いです。
 ボケ防止対策として、のんびりと取り組んでいきます。

蕎麦を蒔く ベランダのにぎわいに

 ソバを蒔きました。実を収穫して、挽いて、打って・・・。それほど大それたことではなく、蕎麦菜として、パスタや冷奴のトッピングにでもなれば上出来です。
 おしいソバを食べた京都・久我の「蕎麦工房 膳」で、「お持ち帰りください」とソバの実をいただいてきました。
 プランターでも水栽培でもよいようです。空いていた鉢に蒔きました。水をたっぷりとやって、早ければ2ー3日で発芽するそうです。

 すでに発芽しているのは、ソバではなくてルッコラです。
 毎朝、パンの上にルッコラと生ハムを載せて食べるのがマイ・ブームです。そんなことならと、ルッコラの苗を探しました。種なら100円ほどで売っていたので、そこからの栽培となりました。
 1週間ほどで、双葉の間から本葉が見えるところまで成長しました。タマゴケースでは土の量が少なく、保水にも限界があるので、そのうちに植え替えます。

 スイートバジルは、どんどんと成長しています。

 小さな紫陽花もいまが満開です。

 これまた小さなバラも、狭いベランダに咲いてます。

 何の花だかおわかりでしょうか?

 オリヅルランが久しぶりに長いランナーを伸ばして、その先に一輪の花をつけました。

京都の「ポケふた」を全点踏破する

 「ポケふた」なるものを知りました。ポケットモンスターをデザインしたマンホールふたです。全国に150以上と繁殖しています。京都には5つ設置されています。
 ポケモンにはあまり関心はありませんが、マンホールのふたは大好きです。さっそく巡ってみました。
 この画像を見て、設置場所がおわかりでしょうか?

 嵐山の中ノ島公園にある「ホウオウ」です。
 (株)ポケモンという会社が自治体に寄贈して設置しています。

 京都市右京区嵯峨中ノ島町

 阪急京都線から桂で乗り換えて嵐山にやってきました。 
 いつ行っても観光客らであふれていた嵐山ですが、さすがに人影もまばらです。

 渡月橋もガラーンとしています。

 西京極総合運動公園の「チコリータ」と「ダーテング」です。
 この春に設置されました。
 
 京都市右京区西京極新明町

 阪急で桂に戻り、ひと駅で西京極です。 
 向こうがたけびしスタジアム京都のマラソンゲートです。冬の都道府県駅伝や高校駅伝のゴールとなるところです。

 敷き詰められているのは、撤去された京都市電に敷石です。

 五条通の西京極運動公園前から市バスに乗って四条河原町までやってきました。バスは祇園を回ると勘違いしてました。河原町で左折したので、あわてて下車しました。
 四条通を東に向かいます。四条大橋の上はスカスカです。

 八坂さんに突き当たり、石段を上がります。そんなタイミングでシャッターを押したとはいえ、人影はありません。

 八坂神社の広い拝殿に手を合わせるおんなひとり。さぞやご利益があることでしょう。

 円山公園の「ピチュー」「ピィ」「ププリン」です。
 このマンホールふたは、佐賀の工場で、1枚づつ作られています。

 京都市東山区円山町

 向こうのこんもりとした木が、有名な枝垂桜です。ふたにもデザインされています。

 明治のたばこ王によって建てられた洋風建築の長楽館がすぐ横にあります。

 大谷祖廟へと続く道は緑でいっぱいです。

 知恩院の国宝の三門です。
 これほどにも人のいない写真は、またと撮れないと悦に入ってました。でも、人流抑制が求められるなか、ひとりぶらついているわたしが不謹慎ということですかね。ちょっと反省!!

 青蓮院門跡の前も、変わらぬみどりです。

 岡崎公園まで歩いてきました。

 京都府立図書館の横にとまっている京都市電は、「岡崎市電コンシェルジュ」という観光案内所として使われてきました。
 この「1860」は、昔は北区の大宮交通公園に展示されていました。老朽化が激しく、撤去も検討されているそうです。

 岡崎公園には「ヒノアラシ」と「ヒヒダルマ」がいます。

 京都市左京区岡崎最勝寺町

 平安神宮の神苑には花ショウブが咲いていることでしょう。

 ここは災害用のマンホールトイレとして整備されています。ふたを撤去して、トイレを仮設できる仕組みになっています。

 最後は梅小路公園の「マリルリ」と「ワニノコ」です。
 東山丸太町から市バスに乗り、西大路七条で降りました。昼飯を食べる店の前に、こちらが見つかりました。

 JR嵯峨野線の向こうに鉄道博物館があります。気になる存在ですが、行ったことはありません。

 旧二条駅の木造駅舎が移築されています。

 のぞき込むと懐かしい0系新幹線がとまっています。

 ここにも市電がいます。

 5つのポケふたを踏破しました。すぐ横のJR梅小路京都西から京都経由で帰宅するつもりでした。ところが、まだ昼飯を食べてません。七条通をたらたらと東にむけて歩きました。大宮の交差点で、向こうに「想夫恋の焼そば」という看板を発見。2時閉店ぎりぎりに滑り込みました。
 「玉子焼き」(並、1000円)です。焼きそばに、トッピングによってバリエーションがあり、目玉焼きが載っています。

 「想夫恋」といのは、大分・日田の日田焼きそばの有名店でした。
 そばがバリバリに焼いてあります。肉は、カツにするような分厚いのが細く切ってあります。いっぱい入っています。十分に焼いてからモヤシとネギを加えているようです。ソースはオリジナルです。
 なかなか食べ応えのある焼きそばでした。

 想夫恋 京都七条大宮店
 京都市下京区七条通大宮東入大工町96番
 075-708-6787

 そのままJR京都まで歩いてゴールとしました。

 8.8キロ、1万6000歩ほどのウォーキングでした。
 阪急や市バスに乗るたびにPAUSEにしました。軌跡が直線で飛んでいるのが、交通機関を使った区間です。

「ピアノ発表会 2021」 これでおしまい

 わたしのピアノ発表会が、やっと終わりました。わたしがピアノを弾いたわけではありません。例年のようにスタッフとして、奥さまたちが開く「ピアノ合同発表会」のカメラマン兼CD編集人兼ビデオ編集人を務めました。
 出演者29人それぞれに5カットの写真を撮影、プリント。ホール録音の音源をCDに編集、コピー。動画(撮影は別)のDVD、Blu-rayへの編集とコピー。それぞのケースにラベルを作り、プリントしてカットなどなど。コロナで外出もままならず、たっぷりとある時間を存分に使わせていただきました。

 発表会は、2週間前に茨木市のホールで開かれました。
 コロナ対策を尽くし、大勢が集まらないように3部構成に。検温や消毒も怠りませんでした。

 カメラマンの仕事は毎年のことで慣れたものです。前から、後ろに回ってと、リハーサル時間は動き回っていました。
 撮影したカットは2000を超えていました。それでも、これまでよりは少なかったですが、疲れました。歳を感じざるをえませんでした。
 動画編集は、慣れない作業のうえ、非力なパソコンのために四苦八苦。なんとか仕上げることができました。

 恒例のスタッフ弁当もいただいていました。今回は、自分でコンビニで調達してきました。

旅の写真 10日間 vol.10 グムンデン

 オーストリア・ザルツカンマーグートの町、グムンデンです。予定もしなかったOeBB(国鉄)の駅での途中下車でした。
 乗客はみんな降ります。どうしたのかと戸惑っていると、隣の席のおじさんが「ここからはバスで行くんだよ。ついておいで」と。横に旧市街に向かうトラムが停まっていました。
 鉄道は不通になっていたようです。バスはトラウン湖岸を走り、思わむ景色を楽しました。
 バスを降りたときに振り返ると、窓に「代行」と表示されていました。

 おかげで、湖に浮かぶ美しい村、世界遺産のハルシュタットの滞在時間が短くなってしまいました。

 土産物店で緑色のラインが鮮やかなグムンデン焼きにひきつけられました。カルパッチョなんかを盛るときに重宝しています。
 最初にザルツカンマーグート観光したときのツアーガイドが、グムンデン焼きをバカにしたような案内をしました。わたしにとっては思い出深い町になりました。

 その旅の最終地のジュネーブです。GPL(ゴールデン・パス・ライン)の展望車の先頭に乗って、スイスの山岳田園風を楽しみました。モントルーからレマン湖を眺めて到着しました。
 気が緩んでいたのでしょう。ビールを飲んで、コルナヴァン駅(中央駅)の小荷物窓口に向かいました。でも、とっくに閉まってました。ゲペックという便利な託送サービスでスーツケースを預けていました。ここで受け取らなくては、翌朝の帰国便に間に合いません。
 案内の腕章をした駅員に助けを求めると、「ここで待ってなさい」と保管場所から2個のスーツケースを持ってきてくれました。 

 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を鑑賞しました。
 到着したマルペンサ空港でシャトルバスに乗り込みました。でも、なにかヘン!「Milano Centarale?」。運転手に確かめました。「No,No! あっちだよ」。おかげで旅の初日から迷子にならなくてよかったです。

 どの旅でも旅行傷害保険はかけていました。でもロスト・バッゲージにもあわず、使ったことはありません。それでよかったのです。
 スペイン巡礼では、その日の日課を歩き終えた午後は、シャワーを浴びてのんびりとビールでくつろぎました。
 そんなときにLINEに呼び出し音が響きました。パリ在住40数年という中学時代の同級生のマダムからでした。「困ったことができたら、いつでも連絡してよ。サンジャック(巡礼のゴールのサンティアゴのフランス語読み)にも知り合いがいるから」。これが、最大の安心保険でした。

 オーストリアとスイス、ドイツが接するボーデン湖の湖上につくられたブレゲンツ音楽祭の舞台です。

 大きな目が背景となった湖上の舞台で、プッチーニのオペラ「トスカ」を楽しみました。
 これもいうなれば偶然でした。この旅では、ルツェルン音楽祭を見るはずで、旅行代理店にチケットを手配していました。ところが、直前になって「席が取れませんでした」。あわてて調べたら、同じ日がブレゲンツの最終日でした。
 それ以来、旅はすべて自分で手配しています。航空券も、ホテルもコンサートも。
 さて、次に旅立てるのはいつになるのでしょうか・・・。

 あ、これで完結です。バトンを引き継ぐのを忘れてました。どなたか、お願いします。

旅の写真 10日間 vol.9 ベルン

 ベルンのトラムは真っ赤っかでした。石造りの町に調和していました。
 時計塔を抜けてトラムは走っていました。

 国旗も、窓の花も赤です。

 アーレ川を渡ります。

 どちらを向いても絵になる街でした。

 公園のちびっこの何気ない表情まで、絵になりました。

 ルツェルンにも架線は張られていました。でもこれはトロリーバス用でした。
 わたしは黄、赤、水色の旗にカメラを向けました。開催中のルツェルン音楽祭のシンボルでした。

 ルツェルン駅のすぐ横にあるルツェルン美術館のホールです。
 ここでラベルのピアノ協奏曲を聴きました。ピアノの横の青いドレスがマルタ・アルゲリッヒ。横で手を挙げているのが指揮のシャルル・デュトワでした。

 

旅の写真 10日間 vol.8 プラハ

 とりあえずの「8」です。プラハの街角に停まっていた旧東ドイツの国民車・トラバントの改造車です。EU加盟後も、独自通貨のチェコ・コルナ(CZK)を使っているチェコですが、タイ式マッサージ店の広告で、お代は8EURでした。
 トラムはいっぱい走ってます。渋滞で数珠つなぎになった後ろはプラハ城です。 

 石畳の上を走ります。ビルができる前から走っていたのでしょうか。

 チェコといえばビールです。バドワイザーの発祥地です。
 名物ピヴニツェ(ビアホール)の「ウ・カリハ」は、ハシェクの「兵士シュベイクの冒険」の舞台になったそうです。といってもよくわかりませんが、壁には小説を題材にした落書きがあり、主人公・シュベイクなどのグッズも売っていました。

 同じポーズでジョッキを掲げました。
 南部ボヘミアのチェスキー・クルムロフは、世界遺産の古い街並みと城が美しかったです。
 まっ先に目指したのが、1560年創業の地ビール醸造所「エッゲンベルク」でした。ちなみにお代は、0.51リットルの大がたったの25クローネ(約100円)でした。

 プラハの市民会館でもビールを飲みました。アルフォンス・ミュシャが意匠を手掛けた素敵なレストランでした。
 ここのホールで「プラハの春音楽祭」が始まり、スメタナの「わが祖国」が演奏されます。

 音楽祭の水色の垂れ幕が下がるルドルフィヌム(芸術家の家)です。

 ここのドボルザーク・ホールで、バッハの「ヨハネ受難曲」を聴きました。
 ペーター・シュライヤー(テノール歌手=舞台中央)が指揮をし、物語を進めるエバンゲリスト(福音史家)を歌いました。バッハの宗教曲にに引き込まれるきっかけとなった夜でした。