西国街道を歩いていると、新たな発見がありました。古い家の表札の辺りに3つの神社の氏子であることを表すプレートが張られていました。
若山神社、椎尾神社、水無瀬神宮。いずれも「ツール・ド しまもと」のルート上や、それに近いところにあります。
三社参りは、正月の初詣として3つの神社を詣でる風習です。1月は早くも終わりそうですが、わが町の三社参りに出かけました。
若山神社は、文武天皇の大宝元年(701)に行基が勅命を受けて勧請したのが始まりだそうです。大宝元年って、日本史で習った「大宝律令」が制定された年です。
祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別名は牛頭天王(ごずてんのう)で、日本における神仏習合の神です。牛頭天王は京都・祇園の八坂神社の祭神です。
八坂神社と同じ神紋、「五瓜に唐花(ごかにからはな)」と「左三つ巴(ひだりみっつともえ)」が並んでいます。
ご朱印をいただいていると、神主が「わたしは以前は八坂神社におりまして・・・」と話されました。「ここは八坂さんの末社なんです」。キュウリの断面をデザインしたような紋が使われていることを納得しました。
若山神社の「夏越のお大祓い」でいだく茅の輪には「蘇民将来子孫也」と書かれています。西国街道の民家の軒先にも掲げられていました。
八坂神社の祇園祭の粽(ちまき)と同じ由来です。
西天王山(若山)の中腹にあります。石段が続いています。
若山神社
075-962-1651
大阪府三島郡島本町広瀬1497
椎尾神社まで歩いてきました。
伝承によれば天平18年(746年)に聖武天皇の勅を受けた行基によって創建されました。またも行基です。そして祭神は素戔嗚尊、聖武天皇、後鳥羽天皇(上皇)です。
後鳥羽天皇も水無瀬離宮から足を運んで本尊を拝んだということです。
いつもは無人です。この日は、氏子が竹を切ったり、薪を割ったりしていました。
やがて、さきほど若山神社でご朱印をいただいた神主がやってこられました。「兼務してるんです」。こちらのご朱印もいただきたかったのですが、ご多忙のようで頼めませんでした。
神紋は、こちらも八坂神社と同じ「五瓜に唐花」です。
サントリー山崎蒸溜所の奥にあります。荒廃していた椎尾神社の再興には、ここに蒸溜所を造ったサントリー創業者の鳥井信治郎がかかわっています。
天王山の北にあるサントリー山に登るルートでもあります。
椎尾神社
大阪府三島郡島本町山崎5-1049
最後は水無瀬神宮です。
ここは後鳥羽天皇が造営した水無瀬離宮のあったところです。祭神は後鳥羽天皇らです。
神紋は、現在の皇室と同じ「十六葉八重表菊」です。後鳥羽天皇が菊を愛し、菊紋を自らの印や刀剣などに使われたのが始まりだそうです。
日本百名水の「離宮の水」の前には、きょうもポリタンク片手の長蛇の列ができていました。
水無瀬神宮
075-961-0078
大阪府三島郡島本町広瀬3-10-24
寒い朝でしたが、8.16キロの歴史にあふれたウォーキングでした。