京城勝覧を巡る 初一日 東山から大将軍へ

 江戸時代中期の儒学者、貝原益軒に「京城勝覧(けいじょうしょうらん)」という書があることを知りました。
 弥次さん喜多さんのような観光客に、京の洛外を巡る1日観光コースを17回で紹介しています。江戸時代版の観光ガイドブックです。
 昨夜のKBS京都のテレビ番組で、その1日目を巡っていました。
『三条小橋大橋をこえ なはての町を下り建仁寺六波羅清水へ出いでそれより粟田口までの道をしるす。今日は見物所多しこまかにみるべし』(「
京城勝覧」の原文引用は『 』でくくります)
 夏の間、どこにも出かけないで巣ごもりしているうちにすっかりなまってしまった体です。なんとかしようと、できるだけ「密」を避けて歩こうと思います。


 【2021/09/06 10:14】
 阪急河原町から四条通に上がり、きょうの京見物のスタートです。
 書は、向こうの『三条大橋』辺りの旅籠に泊っているという設定です。

 南座を過ぎた最初の角を大和大路へ右折します。振り返ると、四条通より北が『なはての町』の縄手通です。
 三条河原で首を斬られる罪人が手に縄をかけて連行される時に通る道だったのです。

 楽器店といっても扱っている楽器は変わっています。祇園甲部や宮川町といった花街がすぐ近くです。

 『建仁寺』の門前です。
 本日は参拝料などが必要なスポットは、横目に通過です。

 書とは順序が違いますが、『安井眞性寺』はこちらの安井金比羅宮のことでしょうか。『奥に金比羅あり 参詣つねに多し』とあります。
 現代では、縁切りで有名です。

 『六波羅蜜寺』はパスして清水道を上りました。五条坂と交差するところに「七味家」があります。ここでわが家の食卓の必需品の七味を買おうとおもっていました。ところが開いていませんでした。

 三年坂を上ったところにある『経書堂』という清水寺の塔頭です。いつもなら気にも留めませんが、益軒さんが記しているとなれば、レンズを向けます。

 いつも人だかりの中を歩いていた門前は、ご覧の通りにガラーンとしています。シャッターを下ろしたままの土産物店も多いです。

 『清水仁王門飾磨塚』の前も静かです。

 『車宿場駐』は重要文化財に指定されています。

 境内は遠慮しました。
 『子安の塔』、『田村堂』、『清水観音堂』、『地主権現』、『奥の院』、『音羽山』、『音羽の滝』が紹介されています。

 「京城勝覧」は、国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードしました。探せば何でも見つかる時代です。

 『三年坂』を下ります。現代では産寧坂と書く方が一般的です。

 ひょうたん屋があります。昔のペットボトルです。
 スペインのサンティアゴ巡礼もシンボルはホタテ貝とひょうたんです。

 二年坂で出会ったレンタル衣装のお二人です。観光客はパラパラで、若者が多いです。

 『霊山』の道を上ります。
 坂本龍馬、木戸孝允、梅田雲浜、天誅組と維新のスターの名が並びます。

 八坂の塔が京都タワーと背比べをしています。

 霊山観音の後ろが、これから登る東山三十六峰の尾根です。

 『高台寺』の前の道は「ねねの道」と名づけられています。豊臣秀吉の北政所です。

 はるか昔、五つの赤い風船の「遠い世界に」を生で聴いた円山音楽堂の横を上っていきます。『雙林寺』という小さな寺がありました。

 向かいには村田吉弘さんの老舗料亭・菊乃井がありました。

 『東本願寺墓所』をお参りしました。「大谷祖廟」は親鸞聖人の御廟所(ごびょうしょ=墓所)です。『近年営作ありて壮麗なり』とありますが、今でも壮麗です。

 びっしりと階段状に並ぶ墓石です。上の方だと、お参りするのも大変でしょう。 
 墓石を直しておられた職人さんに「ここから将軍塚に上がれますか?」と聞いてみました。親切にも登り口まで案内してくれました。とても自力では見つけられそうにない場所でした。

 山道に入りました。最初こそ踏み跡はしっかりしていましたが、やがて雑草や藪のブッシュとなりました。おまけに何度も蜘蛛の巣が顔を襲いました。

 ヤブミョウガが花と実をつけています。

 この辺りの菊渓(きくたに)に咲くキクタニギクは、和名の元となった菊渓では絶滅してしまったそうです。それを復活させようというプロジェクトの道標が立っていました。

 ブッシュの中を進みます。くっつき草の猛攻に、あちこちがチクチクとなりました。

 京都一周トレイルの東山コースで何度も歩いた見覚えのあるポイントに出てきました。ひと安心でした。

 『大将軍』に建つ青蓮院門跡です。この先に大きな展望所があります。

 わたしは無料の東山展望台から京都市街を見下ろしました。
 昔は東山ドライブウエーのスポットで、車で夜景を見に来たものもです。

 『知恩院』に向けて下りました。

 こちらのルートは、安心して歩ける穏やかな山道でした。

 地蔵が並んでいました。

 将軍塚道を登るご老体(わたしも)とすれ違いました。

 知恩院には向かわず、円山公園の上部に出てきました。立派な枝垂れ桜です。

 ポケットモンスターをデザインしたマンホール、「ポケふた」です。これを探して5月やってきました。

 『祇園感神院』とは、八坂神社の旧名です。ご神水をいただいて手を浄めました。

 書では『知恩院』、『青蓮院』、『粟田口』、『白川橋』と続きます。何度も歩いている道なので、きょうはここまでとしました。
 人気のない石段から見下ろす四条通もスカスカです。

 四条小橋の一本北にある小さな橋をゴールとしました。
 高瀬川の左の建物は昔、音楽喫茶の「みゅーず」があったところです。