京都 石塀小路の石畳

石塀小路1

 京都・祇園の「石塀小路(いしべこじ)」を歩きました。
 清水寺から産寧坂、二年坂と下り、豊臣秀吉の妻、寧々ゆかりの高台寺近くまできます。左手に、あまり目立たない路地があります。そこが、目指す石塀小路です。

石塀小路2

 小料理屋など、夜が商売の店ばかりです。昼間は人影もまばらです。

石塀小路3

 ジグザグの道を、石塀に沿って下っていきます。

石塀小路4

石塀小路5

石塀小路6

 最後は、民家の下を通り抜けます。
 向こうから不思議そうにこっちを見ていたビデオ片手の外人さんに話しかけました。「高台寺への近道ですよ」と。わたしの英語、通じたかな?

石塀小路7

 通りに抜けると祇園下川原です。こんな風景にも出会います。といってもこれはホンモノの舞妓さんではありません。こんな衣装に変身して、町を歩く舞妓体験が流行っているのです。
 ところで、、このページのカテゴリーが「京都市電の残影」となっているのに気づかれましたか。電車は登場しませんがね。
 小路の御影石が、京都市電の軌道敷に敷かれていた石なのです。京都市電の廃止後、取り外した石が再利用されました。銀閣寺近くの哲学の道や、西京極競技場のマラソンゲート前などにも敷かれています。

平等院音舞台を楽しむ

音舞台1

 宇治・平等院で行われた「JAL 平等院音舞台」を楽しみました。幻想的な雰囲気の中で繰り広げられました。舞台は、10円玉にもなっている平等院鳳凰堂です。

音舞台2

 正面からだと、阿弥陀如来も拝めたはずです。

鳳凰堂2

 雪も舞う日に訪れた鳳凰堂です。正面から見ると、ちょうど阿弥陀如来坐像のご尊顔を拝することができます(2008/02/03撮影)。

音舞台3

 両翼の鳳凰は、夜空に光ってますが、堂内にはすでに光がありません。残念です。

音舞台4

 開演前の鳳凰堂です。でも座席が最悪でした。ホールではないので、客席はフラットです。後部だったので、座っていたのでは何も見えません。首をあげて、前列の隙間から出演者の頭の先がのぞく程度でした。

音舞台6

 それでも「Celtic Woman(ケルティック・ウーマン)」の澄み切った歌声は素敵でした。「You Raise Me Up」が、真っ暗な夜空に吸い込まれていきました。

音舞台5

 チケットを引き替えた後、時間があったので門前の茶店でソフトクリームを買いました。宇治茶の産地です。抹茶がたっぷりとかかっています。「スイーツの横綱・大乃国も食べたソフトクリーム」だそうです。

音舞台7

 音舞台は、郵送とネットで申し込みました。そのうちのどれかが当選しました。無料ですから、少々座席が悪くても、文句はいえません。夕立が降ったばかりだったので、ビニール製の雨具までくれました。
 10月5日の深夜0:30からMBSで放映されます。それを見て、舞台の画像を確認します。

北野線の遺構を発見!!

北野線1

 梅小路公園からの帰り道、傘をさして歩きました。七条西洞院まできて、「そうだ、ここを北野線が走っていたのだ」と立ち止まりました。
 北野線が廃止になった昭和38年(1963)から45年もたっています。当時を伝えるものなどあるはずがないと思ってましたが…。
 左側の3本目の電柱に、釘付けになりました。他のコンクリート製の電柱とは、この1本だけが明らかに違います。

北野線2

 近づいて見上げました。擬宝珠(ぎぼし)をかぶせたような、特徴的な格好をしています。

錦林車庫

 昔の市電の架線を支える電柱は、鉄製(?)でした。どれもてっぺんに個性がありました。この写真は、旧錦林車庫(左京区)の前に残る電柱です(2008/06/28撮影)。
 鉄のパイプをつなぎあわせた電柱なので、中は空洞です。だから頭に「帽子」が必要なのでしょう。

北野線3

 「RM Library N電 京都市電北野線」(ネコ・パブリッシング)は、「京都市電の残影」を追ううえでのバイブルのような出版物です。「北野線のちんちん電車「N1」」では、大阪市立中央図書館で借りたものでしたが、その後、購入しました。
 それを調べると、34、35ページに、こんな写真がありました(撮影・高橋弘氏)。七条西洞院からの光景です。
 左側の信号機の下に写っている電柱を見てください。よく似てると思いませんか。
 この写真は、七条から北を見ているのか、南を見ているのかは不明です。それにしても似ています。

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梅小路公園を走る「N27」

梅小路公園1

 朝からの雨も上がったようなので(実際には、また降ってきました)、買い物のついでに京都・梅小路公園に出かけました。
 「狭軌1型27号車」(N27)が動態保存されています。
 午後3時すぎですが、雨のため空は暗く、ライトを点灯しています。2重ルーフのガラスから漏れる明かりが素敵です。

梅小路公園2

 JRの「梅小路蒸気機関車館」の外周に沿うように線路が敷かれています。

梅小路公園3

 「N27」は、北野線が廃止になる昭和38年7月31日まで、現役で走ってました。運転席のガラス窓が取り払われて、オリジナルの京電カラーに塗装されています。

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わたしも会いたいスイス鉄道「クロコダイル」

クロコダイル

 精巧な1番ゲージ模型です。スイス国鉄Ce6/8Ⅱ「クロコダイル」です。
 スイスからイタリアへ超える「ゴッタルト峠」で使用された機関車です。急勾配急曲線の山岳線を、ワニのように身をくねらせて重量貨物をひいたことから、この愛称がついています。

原信太郎

 鉄ちゃんの会社の同僚から「行きますか」と招待券をもらってました。大阪・梅田の阪神百貨店で開かれていた「鉄道模型フェスティバル」をのぞきました。そこに展示されていたのが、鉄道模型製作歴76年という原信太郎氏のクロコダイルでした。13歳のときに、トタン板にタガネで窓を開けてつくったという第1号機関車も並んでました。
 「スーパー鉄道模型 わが生涯道楽」(講談社α新書)に、原氏の鉄道模型にかける熱意が書かれています。

スイス鉄道

 会社の帰りに、大阪市立中央図書館(西長堀)に寄り、ネット予約していた本を借りました。「スイス鉄道一人旅 行き当たりばったり路線ガイド」(知恵の森文庫、写真中央)です。1999年のスイス鉄道旅行記です。わたしが読んでいた、よく似た「予定なしの乗りまくりガイド」(同)は、2000年の旅行記です。
 帰りの電車でさっそく読んでいると、すぐに「クロコダイル」が登場しました。
 『この鉄道(イヴェルドン・サント・クロワ鉄道=YSteC)にはクロコダイル(鰐)の形をした名物電気機関車がいるのだが、これにまず敬意を表さないといけない』
 
 そして筆者が最初の夜に泊まるのが、モンボヴォンという町の『駅の真ん前にあるホテル』です。

モンボヴォン

 そこなら通ったことがあるはずです。1年前の写真を調べました。私が乗ったGPL(Golden Pass Line)の時刻表から11時30分すぎに通過しています。写真の撮影時間から、田舎駅のカットを割り出しました。拡大してみると、左側の道路沿いにある「50」の制限速度表示版の下に「Montbovon」の文字を確認できました。
 ああ、わたしも「クロコダイル」に会いに行きたいです。

草軽電鉄草津温泉駅跡は、草に埋もれて

草軽電鉄1

 草軽電鉄は、長野・軽井沢と群馬・草津間55.5キロを結んでいた軽便鉄道です。廃線になって久しいです。
 終点の跡地には、「草軽電気鉄道草津温泉駅跡」の石碑だけが建っています。

草軽電鉄2

 石碑は廃線約20年後の昭和58年に建立されています。

草軽電鉄3

 草が生い茂った「浅間台公園」の一角にあります。

草軽電鉄4

 偶然入った「道の駅」で、草軽の「デキ12」に遭遇しました。1/2か1/3の模型です。日本工業大学東京工業高校で製作されて寄贈されたと書かれています。

草軽電鉄5

 垂直に伸びる特徴的なパンタグラフが再現されています。「かぶとむし」と呼ばれた格好がよくわかります。

草軽電鉄6

 JR軽井沢駅前には、実物が保存展示されているそうです。それを見に行くつもりでした。ところが、軽井沢に行った最終日は雨。軽井沢駅南口のアウトレット・モール「軽井沢プリンス・ショッピング・プラザ」から、中軽井沢の「村民食堂」に直行してしまいました。旧JR信越線・碓氷峠の登りにあるアプト式軌道の「めがね橋」も、断念しました。
 そういえば、わが「草軽駅」もほったらかしになってます。涼しくなれば、工事を再開します。

草津音楽祭~2 最高のパフォーマンス「ブランデンブルク5番」

草津音楽祭1

 草津音楽祭のために建設された「草津音楽の森コンサートホール」です。6角形をしています。開演前には、正面の窓が開いてます。

草津音楽祭2

 ワイドスクリーンのような窓の向こうには、雄大な浅間山が見えます。自然を取り入れた、すばらしい環境です。

草津音楽祭3

 22日のプログラムは「バッハとその息子たち」でした。
 息子のW.F.Bach、J.C.Bach、C.P.E.Bach、弟子のJ.L.Krebs、それに大バッハと、いろなな曲が並びました。アントニー・シビリ(ケルン音大教授)のピアノや、前日に続いてインデアミューレのオーボエ(シェレンベルガーの方は客席に)が登場。バッハ「フルート協奏曲ニ長調」には、ウィーン・フィルの首席奏者、ヴォルフガング・シュルツが、渋い音色を響かせました。
 圧巻は、最後の「ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調BWV.1050」でした。ヴァイオリンは18歳でベルリン・フィルのコンサートマスターたなったサシコ・カヴリロフ、フルートはシュルツ、イ・ソリスティ・ディ・ペルージャも加わりましたが、そんなそうそうたるメンバーをみんな食ってしまったのが、チェンバロのクラウディオ・ブリツィ(ステージ中央)でした。
 それまでも派手な動きで指揮者のいない演奏をリードしていました。第3楽章のカデンツァ(独奏演奏)に入ると、面目躍如。乗りにのってヴァリエーションを変化させ、チェンバロという古楽器を前に踊りださんばかりの演奏。ジャズのようなインプロビゼーション(即興演奏)ではないとは思いますが、そのパフォーマンスに演奏途中でも拍手したくなるほどでした。こんなに楽しいパフォーマンスはじめてでした。クラシックの楽しみが、ぐっと広がりました。 

草津音楽祭4

 1階は有料の入場客、2階はアカデミーの参加者で満席でした。

草津音楽祭5

 この日もサインをもらいました。左側で、上がシュルツ、下がブリツィです。

草津音楽祭6

 音楽祭のチケットは、ネットで予約しました。1枚たったの4000円です。2人で2日、計16000円です。秋のベルリン・フィルのチケットは、1枚でこの2倍もしました。大満足の2日間でした。

草津音楽祭7

 コンサートホールは、草津温泉の高台にあります。

草津音楽祭~1 2つのオーボエとペルージャに酔う

草津音楽祭1

 「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」という正式名称通り、若い音楽家を育てるアカデミーと、その講師陣の音楽家が演奏するコンサートで構成されています。今年で29回目という歴史をもっています。「18世紀の音楽~バロックからクラシックへ」が、2週間にわたって繰り広げられるプログラムのテーマです。
 高原のリゾートで夏に開かれるスイス・ヴェルビエ音楽祭とよく似ています。
 ザルツブルク、プラハの春、サイトウキネンin松本、ブレゲンツと
このところ毎年、音楽祭に出かけています。ことしは、ヴェルビエへの夢は叶わず、草津音楽祭となりました。
 演奏会の開始を告げるアルペンホルンが、「草津音楽の森国際コンサートホール」の緑いっぱいの庭に響きます。

草津音楽祭2

 21日のプログラムは、「イタリアの18世紀~イ・ソリスティ・ディ・ペルージャを迎えて」です。
 最も期待していたのが、アルビノーニ「2つのオーボエのための協奏曲ヘ長調作品9-3」です。
 ハンスイェルク・シェレンベルガー(ステージ左)は、ベルリン・フィルの元首席オーボエ奏者です。
 トーマス・インディアミューレ(同右)は、ホリガーの弟子のソロ奏者で、カールスルーエ音楽大学(ドイツ)の教授です。
 こんなすごい奏者が並び、しかもあまり聞くことはできない「2つの~」を朗々と響かせます。息をのむばかりのすごい演奏でした。 

草津音楽祭7

 あまりのすばらしさに、思わずミーハーしてしまいました。パンフレットに2人の奏者のサインをもらいました。

草津音楽祭3

 イ・ソリスティ・ディ・ペルージャのことは、なにも知りませんでした。正直にいうと、あま期待してませんでした。でも、その清らかな音色が響いた瞬間から、虜になりました。
 イ・ムジチ合奏団で知られるピーナ・カルミレッリの愛弟子パオラ・フランチェスキーニを中心に、古楽器の演奏で有名なペルージャ音楽院の教授らによって結成されています。

草津音楽祭4

 アンコールはボッケリーニの「マドリードの夜警隊の行進」から終曲の「マドリードの帰営ラッパ」でした。はじめて聴く曲でした。弱音で遠くから聞こえてきた隊列が、目の前を通過して、去っていきます。最後は帰営して、消え入るように終わります。

草津音楽祭5

 会場でCDを購入して、旅行中はカーステレオでずっと聴いていました。

草津音楽祭6

 すばらしい音楽会に満足して席を立つと、後部の席に中曽根康弘元首相が座ってました。ここは群馬県なんだと実感しました。ステッキを突いてましたが、シャキと背を伸ばした元気そうな姿でした。
  

青春18きっぷの旅 伊勢奥津駅の給水塔

奥津駅1

 名松線の終点、伊勢奥津(いせおきつ)駅には、SL時代の名残、給水塔がツタに絡まれて残ってます。
 大量の水が必要な蒸気機関車(SL)は、この給水塔の下に止まり、水をタンクに補給したのです。

奥津駅2

 松阪から1時間12分で、伊勢奥津に到着です。最初は緑の田んぼの中を、やがては谷にそって鉄橋を渡り、トンネルをくぐってきました。

奥津駅4

 ターミナルですが、ホームは1本だけです。

奥津駅7

奥津駅3

 この先にレールはありません。計画では、名張までつながるはずでした。

奥津駅5

奥津駅6

 駅舎は、平成17年に改築されたばかりです。無人の駅には、旅行客が書き残していったノートが置いてありました。

奥津駅7

 伊勢奥津-名張間は、1日3本の三重交通バスで結ばれています。奥津での滞在時間なども計算して、そのダイヤに合わせました。名張まで1時間10分、1010円かかりました。全区間、乗っていたのは、同じ名松線からの若者とふたりだけ。途中で高校生やおばあちゃんら計10人ほどが利用しただけでした。

青春18きっぷの旅 名松線の「キハ11」

キハ11-1

 「青春18きっぷ」の3回目の旅は、JR名松線です。三重県の名張-松阪を結ぶから「名松」として計画されました。昭和10年(1929)に、松阪-伊勢奥津(いせおきつ)間43.5キロが開通しましたが、参宮急行電鉄(現在の近鉄)が先に名張-松阪間を開通させたため、盲腸線のまま延伸はストップ。現在に至ってます。
 伊勢奥津-比津間で1時間に1本しか走っていない「キハ11」を撮影しました。この場所は、JRの各地の撮影ポイントを紹介している本「お立ち台通信」の2巻で紹介されています。ちょっと芸がないですが、同じ場所からレンズを向けました。

キハ11-2

 同じ場所からのカットです。暑い中をここまで歩き、列車がやってくるまで待ちました。

キハ11-3

キハ11-4

 「キハ11-8」です。松阪から、これに乗って、伊勢奥津まで行きました。その後、徒歩で手前の比津方向に戻ってきて、途中で松阪に戻っていく列車を撮影しました。

キハ11-5

 行きの車内から撮影しました。家城(いえき)駅で、対向車とすれ違います。もちろん、単線です。名松線のすれ違い駅はここだけです。

キハ11-6

タブレット

 今では珍しくなったタブレットの交換も行われています。単線区間で、対向車と衝突しないように考えられた安全策です。

キハ11-7

 比津駅に到着した「キハ11」です。

時刻表

 JR時刻表の8月号です。これをぺらぺらと繰っていたら、連載の「終着駅から始まる旅」に名松線と伊勢奥津駅が紹介されていました。
 同じ記事を見たのか、青春18きっぷ利用者とおぼしき同輩が何人も、それに鉄子さんも乗ってました。
 この鉄子さんの存在は、柘植駅での乗り換えで気づきました。ホームで亀山行きの「キハ120」を撮っているさまが、まるでわたしと同じでした。松阪駅を降りると、駅弁を買いにまっすぐに「あら竹」の本店に向かうのまで。鉄子さんは、3150円もする「匠の技 松阪牛物語」をご購入でしたが…。