ベランダのトマト「シシリアン・ルージュ」が、1個だけ真っ赤になりました。初収穫です。
ドイツのイチゴも赤かったですが、負けてません。
トラムは素敵です。プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンと、どの町にもトラム(シュトラーセン・バーン)が走ってました。次から次へとやってくる電車に乗って町を一周すると、その町の雰囲気がわかります。
ライプツィヒの聖トーマス教会のすぐ横に「HERRMANN MODELBAHNEN」はありました。のぞいてみると、かわいらしい旧式トラムが並んでいます。ヨーロッパでは主流のHOゲージです。ちょっと大きいので聞きました。「Do yuo have N-gage?」。もちろん、Nゲージもありましたが、そちらは現代の連接型トラムで、しかも聞いたことがない町のものでした。
最初の日は、それだけでした。でも聖トーマス教会には何回も足を運びました。「やっぱり欲しい」と、次の日の買ったグラーツの旧式トラムです。
グラーツはオーストリア第2の都市で、一昨年に独りで訪ねています。もちろん、トラムにも乗りました。古い町並みに、トラムがよくマッチしました。
ちょっとプラモデルのようですが、旅の思い出が詰まっているので許せます。
Leopold HALLING Ges.m.b.H. というオーストリアのメーカー製です。
40EURでした。
赤い塗装のザルツブルクのトラムとどちらにするか悩みました。
HERRMANN MODELBAHNEN
Burgstrasse 4
04109 Leipzig
旅の総仕上げはベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会でした。
指揮はマリス・ヤンソンス、バイオリン独奏はツィンマーマン、オケはもちろんベルリン・フィルです。
プログラムは、スメタナの売られた花嫁序曲、マルティヌのバイオリン協奏曲、そしてドボルザークの交響曲第9番「新世界より」と、チェコの作曲家の3作でした。
新世界が終り、拍手の渦に包まれたフィルハーモニーです。
拍手は鳴りやまず、オケが去った後のステージに呼び戻されたヤンソンスです。
指揮者の一挙一頭足にこれほどまで釘づけになったのは、初めての体験です。ヤンソンスは格好よすぎます。
小気味よい動き。時に指揮棒を左手に持ち替え、右手の指先を全部使って表現する。小柄な体が、限りなく大きく見えました。
アムステルダ・コンセルトヘボウを指揮して人気を一身に集めているのがよくわかります。今年のウィーンのニューイヤー・コンサートの指揮ぶりも思い出しました。
コンサート・マスターが樫本大進なら、もういうことはなかったのですが。それだけが残念。
フィルハーモニーの響きは、聖トーマス教会とも、歌劇場のゼンパー・オーパーとも違って、ひとつひとつの音が明瞭に聞き分けられるオケのための空間であることがよくわかりました。
長いと思っていた旅もあっという間。あすの飛行機で帰国します。旅の思い出は、改めて記していきます。
バッハの「マタイ受難曲」を聴きました。ライプツィヒの聖トーマス教会です。バッハが400年前に作曲して演奏した作品が、その同じ教会で同じスコアーが再現されました。
鈴木雅明が指揮するバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)。ライプツィヒでも評価されているのを証明して、教会は満席でした。
素晴らしい演奏でした。ドームに響くバッハの音。バッハの祈りが聞こえてきました。
祭壇に近い良い席でした。
終演後、カウンターテナーの青木洋也さんにもあいさつできて、女房は大満足です。ここまで追っかけてきました!!
静かになった聖トーマス教会です。
8時に始まった演奏が終わったのは11時。それからホテルに戻り、冷蔵庫に冷やしていたワインで乾杯しました。3EURほどのワインですが、とにかくおいしいです。
最高の夜です!!
バッハゆかりの聖トーマス教会でのEroeffnungskonzert(オープニング・コンサート)でbachfest2012は始まりました。これを聞くためにやってきたライプツィヒです。
オルガンによるバッハの「プレリュードとフーガ BWV547」で始り、長い開会宣言(?)のスピーチがあり、独英2カ国語(いずれにしろよくわかりませんが)で曲目説明がありました。
聖トーマス教会聖歌隊とライプツィヒ大学合唱団の合唱は、それだけで高いドームに響き渡ります。
最後はMax Reger(1873-1916)という近代の作曲家の「Psalm 100,op.106]」でした。合唱にゲバントハウスの管弦楽、オルガンも加わり、これでもか、これでもかという音の洪水でした。
演奏が終わって喝采に応えているのは指揮者で聖トーマス教会カントーレのゲオルク・クリストフ・ビラーです。他の演奏者は見えません。
教会の祭壇に向かって座っています。その背後の2階で演奏しています。
大音響が束になってこぼれ落ちてきました。コンサートホールでは体験したことがない響きでした。
正面が祭壇です。
全員が立ち上がって、後ろを振りかって拍手です。
聖トーマス教会の横には、実直そうなJ.S.バッハの像が立っています。
プラハからEC(国際急行)で2時間余り。ドイツ・ドレスデンにやってきました。第2次大戦で、一夜にして壊滅しながら、見事に復興を果たした都市です。
ゼンパー・オーパーは、東ドイツ当時のドレスデン国立歌劇場、現在はザクセン州立劇場の愛称です。さっそくコンサートを楽しみました。
休憩時間には、「Weiss Wein(白ワイン)」(4EUR=約400円)を楽しみました。よく冷えて、フルーティーなワインです。
プログラムのメーンはユリア・フィッシャーのバイオリン、ユーライ・ヴァルクハ指揮のドレスデン・シュターツ・カペレです。
素晴らしい演奏会でした。5階席まである歌劇場です。ものすごくよく響きます。オケの厚みが違います。
バイオリンのフィッシャーは、まだ若そうな小柄な女性です。ところがその音は、ビンビンと突き刺さってきます。これまでにCDなんかで聞いていたメンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルト(メンコン)とはちょっと違う感じでしたが、エネルギッシュな素晴らしい演奏でした。
ほぼ満席の会場は大拍手で、4回もステージに呼び戻しました。アンコールにはパガニーイの超絶技巧曲をこれまた圧倒的なテクニックで弾ききりました。
ライトアップされたゼンパー・オーパーです。
「やっぱり来てよかったね」と感動とともに振りかえりました。
ドレスデンは現在、6日の早朝です。窓の外はゼンパー・オーパーやフラウエン教会が朝日を浴びて光っています。
JR京都線(東海道線)の京都-高槻間には4つの「ねじりまんぽ」が残ってます。3つはすでに踏破しました残っていた自宅に一番近い「奥田ノ端橋梁」です。よく晴れ上がった日差しの中、カメラ片手に歩きました。
このあたりには、煉瓦積みのまんぽがいくつもあります。でもここだけがねじれてます。トンネルが線路に対して直交していないため斜拱渠(しゃきょうきょ)と呼ばれるこんな技術が使われているのです。
複々線の軌道敷のうち、南側2線部がねじりまんぽになってます。
大阪-京都間の鉄道は明治10年(1877)に開通した。ねじりまんぽはその時に建設されたが、軌道敷の拡幅で北側にコンクリート製のトンネルがつなげられたのです。
「奥田ノ端橋梁」と表記しました、実際には「奥田畑」と書かれています。「とうかい-140」というのが、JR西日本の正式名称のようです。
自宅からここまで歩きましたが、その前にくぐったただの「まんぽ」は、「つづき」に記します。
クローズアップ撮影2題です。
2株目の胡蝶蘭が、やっと花を咲かせました。花芽が折れるというアクシデントを乗り越えての開花です。
引き出しからクローズアップレンズ(接写レンズ)が出てきました。口径はRICOH GXRにつけたA16と同じ55mmです。これは使えそうとさっそく試写してみました。
「KENKO AC CLOSE-UP NO.4」です。
デジイチのNIKONにもマクロレンズ(TAMRON SP 90mm)をつけてますが、出番がめっきり減ってしまいました。
GXRも望遠端で最も繰り出したうえに、厚みが12mmもあるクローズアップレンズをつけると、かなりの大きさになります。しかし、重量は647gと、NIKONの1057gと比べると6割です。
A16にはマクロ機能がないのが泣きどころでした。これで欠点がカバーされます。
ベランダのミニトマト「シシリアン・ルージュ」も、順調に生長しています。
阪急電鉄・今津線は「片道15分の奇跡」が起こります。それに反して南海電鉄・汐見橋線(正確には高野線の一部区間)は、「片道9分」なにも起こりませんでした。
一度、乗ってみたいと思っていた汐見橋線です。堺市内の出先に向かうときは、いつもは南海・難波から急行に乗ります。きょうは時間があったので、地下鉄・千日前線で一つ手前の桜川で下車。南海・汐見橋駅から向かいました。
がらーんとしたターミナルです。正面には大きな「南海沿線観光図」がかかってますが、色あせて一部は剥離しています。ごていねいに「昭和30年代のものです」という説明がついてます。
阪神・桜川駅の入口と並んでます。とはいえ乗り換え客は多くはありません。
平日も土日も、毎時10分と40分に発車します。まことに潔い時刻表です。
1900年(明治33年)、当時の高野鉄道が大小路駅(現堺東駅)から延伸した際の終着駅にあたる道頓堀駅として開業しました。
頭端式(島式)1面2線のホームがあります。
それにしても木製ベンチが時代を感じさせます。「紳士の憩いの場 パチンコ クイン」の電話局番は2ケタです。
ホーム屋根の柱は古いレールを再利用しています。どこかに刻印は残っていないかと見ていると-
「OH.TENESSEE-6040-ASCE-5-1922」と読めます。一部、誤っているかもしれません。
調べてみると、USスチールテネシー工場製造の輸入レールのようです。「1922」が製造年だとすると大正11年ということになります。
2両編成、ワンマン運転の電車が入庫して来ました。折り返し岸里玉出行きとなります。
1両目にはわたしを入れて3人。向こうの車両にはもう少し乗っているようですが、いずれにしても知れてます。不採算路線であることは間違いありません。
新大阪と関西空港とを結ぶ新路線計画があることから、廃止を免れているのでしょう。
汐見橋を出発した電車は、すぐにJR環状線の下をくぐります。
いつもカバンにいれている昼飯カメラ(RICOH GRDigitalⅢ)の広角レンズで撮影しています。
最初の駅は芦原町です。女性客1人が乗り込んできました。
次は木津川。ここは大勢!の客です。
かつては貨物駅が併設されていて、高野山方面から運ばれてきた材木などの集積地だったようです。
こちらは津守です、似たような駅が続きます。
窓の外の風景も代わり映えしません。どこまで走っても同じです。
西天下茶屋には、ちょっと降りてみたくなる風情がありました。
終点の岸里玉出が近づいて高架区間になると、単線になります。
この区間で、対向してくる電車とはすれ違いませんでした。ということは、わたしが乗ってきた1編成の車両が行ったり来たりしていることになります。そんなことなら複線の必要性はありません。
あっけなく終点の岸里玉出に到着しました。
この後、難波よりの天下茶屋まで1駅戻り、急行に乗り継ぎました。難波から出発するのとそれほど時間がかわりませんでした。
3つ目のねじりまんぽは、JR茨木駅から高槻よりにある「門の前架道橋」です。ここは何年か前に撮影に来たことがありますが、このブログには掲載してませんでした。
円明寺架道橋から阪急大山崎まで歩き、阪急茨木市へ。そこから再び歩きました。
車も通れる立派なねじりまんぽです。
終端の処理が、前の円明寺架道橋などとは違います。こちらは礎石(?)の方が階段状に削られていて、レンガは直方体のままです。
あまりにデカすぎて、ねじれがもうひとつ実感できません。
下り各停がやってきました。
手前は上り線に増設された架橋です。
架橋部分に「「門の前架道橋」の文字が記されています。
北側には、小さな稲荷神社があります。
門の前架道橋のすぐ西側を川端通が走ってます。川端康成にちなんだ通り名です。
その橋脚に不思議なアーチが残っています。気になりますが、よくわかりません。
あとひとつは、自宅に一番近い高槻市の「奥田畑橋梁」です。またの機会に探訪します。
きょう歩数は、1万8000歩近くでした。満足です。
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