長かった巡礼も、あと200kmとなった。
この日は最後の難関、オ・セブロイドへへの登りの負担を軽くしようと、ペレヘまで30kmのロング・ステージ。実は、これが裏目に出た。
昼飯は、ビジャフランカ・デル・ピエルソで。
まだ早かったので、さらに歩いた。
翌日の峠越えでは荷を軽くするため、ザックは「コモド」に運んでもらうよう準備した。
長かった巡礼も、あと200kmとなった。
この日は最後の難関、オ・セブロイドへへの登りの負担を軽くしようと、ペレヘまで30kmのロング・ステージ。実は、これが裏目に出た。
昼飯は、ビジャフランカ・デル・ピエルソで。
まだ早かったので、さらに歩いた。
翌日の峠越えでは荷を軽くするため、ザックは「コモド」に運んでもらうよう準備した。
イラゴ峠(1505m)に着きました。鉄の十字架が立ってます。古来、巡礼者は、出身地から携えてきた石を供えて祈ります。
到着したときは、月明かりの中でした。
十字架の下には、多くの願いがこめられた石が置かれています。
わたしも準備していました。
住吉大社のパワースポットでいただいた「五大力」です。御守りとして、ザックにぶら下げていました。
母や妻、家族の健康、孫の生育、娘の安産なんかを祈願して、石を置きました。
御守りがなくなるのは心もとないので、どなたかが携えてきた小石を3個いただき、御守り袋に詰めました。住吉大社にお返しに行きましょう。
またひとつ、峠を越えました。
あと220キロほどです。

昼過ぎにアルベルゲに到着すると、最初にベッドの上にシュラフを広げました。早い時間だとたいていは「お好きなところに」。わたしは、片面が壁になっている隅の下段を選びました。次にシャワーで汗を流し、洗濯場に直行して汗にまみれたTシャツや下着を手洗いしました。ロープにつるしておくと、スペインの午後の日差しを浴びて、夕刻には乾いてしまいました。
Tシャツや下着類は、基本的に3組しかもっておらず、初日から最終日まで、これのローテーションでした。幸い雨に振られなかったので、2交代でも回りました。ファッションとは無縁の世界でした。毎日、同じ格好をしていても、かえって目印になっていいくらいのものでした。
それほどまでして荷物を軽くしました。すべてをザックに入れて背負って歩くのですから。
ザックの重さは、体重の10分の1までが理想といわれています。となると、わたしの場合は6.5キロになります。そこまで軽くするのは至難の業でした。学生時代に山に登っていたころは、キスリングザックと呼ばれた帆布の重たいザックに20キロほどの荷物を背負い、1週間を超える縦走登山をしたこともありました。でも、それは過去の話でした。
ケチケチ大作戦でした。まずザック。わたしは前回のカミーノでも使ったOSPRAYの38リットルでした。容量が大きいのを選ぶと、なんでも詰め込んでしまいます。ザック自体の重量も同容量のものの中で一番軽い部類でした。シュラフ(寝袋)は、化繊よりも軽いISUKAのダウン製で500グラムほどです。2万円以上しましたが、ここでの軽さは、全行程に影響します。歩くときには必ず背負っているのですから。
雨着は、ゴアテックス(半透過性繊維)製の上下をもっていました。丈夫ですが、重さが気になりました。これもCOLUMBIAの軽いものに買い換えました。
机の上に、調理用の計量器をもってきて、すべて装備の重さをはかりました。これは、本当にいるのかどうかと、厳しい目でチェックしていきました。いるか、いらないかと迷ったときは、これはいらない。これは、もっと軽いのが手に入るはずと。
スペインに出発する朝。大阪・水無瀬の自宅を出発するときは、巡礼中にはくミドルカットのシューズやウォーキング・ポールもザックに詰め込んで8キロほどでした。減量作戦はほぼ成功でした。おかげで、カミーノを通じてザックの重さに苦しんだことはありませんでした。
重さとは関係ありませんが、I’m Japanese! と、ザックに日の丸を縫いつけていました。

イラゴ峠(標高1505メートル)には「鉄の十字架」が立ってました。といっても全体が鉄でできているわけではなく、8メートルほどの木の柱の先に設置されていました。
カミーノの道中で、古来から聖なる地としてあがめられてきました。ペルグリーノは出身地で拾って願いを込めた石を持参して、この十字架の下に置いていく習わしが受け継がれています。
わたしも準備していました。その年の5月に、娘の安産祈願で大阪・住吉の住吉大社に参りました。太鼓橋で知られる神社です。お参りを済ませて、「御所御前」といわれる「御祭神の住吉大神が降臨した地」を歩きました。そこにあったのが「五大力石守」でした。住吉大社のパワースポットでした。狭い石柱の間から腕を突き出して、玉砂利の中から「五」「大」「力」と書かれた小石を拾いました。その時点で、鉄の十字架まで持っていきたい、いや持っていこうと考えていたのです。
それをお守り袋に詰めて、ザックに忍ばせてきました。3つの文字が書かれた石を取り出して、十字架の下に置きました。妻や母、家族の健康、孫の生育、そして娘の安産なんかを祈願しました。
玉石混交というのもおかしいですが、いろんな宗教、習わしがごったまぜになっている気もします。でもそのときのわたしは、ここまでやってこれたという満足感でいっぱいでした。
帰国後の12月。今度は鉄の十字架でいただいてきた3つの小石に、五大力と書き込んで住吉大社に返しに行きました。3つの石の出身国は違ったかもしれません。願いが叶ったときには「倍返し」するのがしきたりでしたが、それはできませんでした。
わたしの宗教観は、せいぜい縁起かつぎくらいのことです。正月には京都の実家近くにある上賀茂、下鴨神社に詣で、彼岸には亡父が眠る宇治・興聖寺に参ります。J・S・バッハのマタイ受難曲は、一番好きな音楽です。そして、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂では、巡礼者のミサに出席しました。聖体拝領を受けることはできませんでしたが、敬虔な気持ちになりました。ボタフメイロ(大香合)のたなびく煙を浴びて、身が清められました。
イラゴ峠の鉄の十字架に祈りを込めて大阪・住吉大社でいただいてきた「五大力」の石を置いた。
ポンフェラーダまで28kmほどのステージだった。
ポンフェラーダの広場のカフェ。海鮮サラダでいっぱい。最高のひと時。
12世紀に建造されたポンフェラーダのテンプル騎士団の城。シエスタのため、内部には入れなかった。
イラゴ峠の手前にあるフォンセバドンは、アルベルゲが数軒とホスタルが1軒あるだけの村です。
「Monte Irago」というアルベルゲに泊まりました。宿泊費は8€と、ちょっと高めです。夕食も予約しました。他に食べに行くところはありません。9€でした。
パンにベーコンやサラミを載せていただきます。
ワインは飲み放題です。
メーンはこちら。ズッキーニ、ピーマン、タマネギと野菜中心です。ご飯がうれしいです。
前に座ったマドリードの大学生は、野菜が苦手らしく、ほとんど残してました。
お代わり自由です。
なんという料理なのかは不明です。
デザートはご愛嬌のアイスクリームです。
コミュニティ・ディナーといって、みんなでいっしょに食べます。これがなかなかたいへんです。みなの会話についていけません。
朝食もこみです。
ヨーグルトにシリアル、バナナを入れていただきました。こんな朝食は、初めてです。
コーヒーにはたっぷりとミルクと砂糖を入れます。
登ってきたアストルガの方面が望めます。
イラゴ峠の麓の村、フォンセンバドンまで26kmほどのステージ。この日も、きれいな月に向って歩き始めた。
山道に入ると、これまでとはちょっと違った景色が。松林だった。
フォンセンバドンのアルベルゲ(右)から、向こうに広がるアストルガ方面を眺めた。