京都北山の魚谷山(いおだにやま)に登り、北山荘を訪ねました。雲ヶ畑山歩き俱楽部の6月例会でした。
わたしが紅顔の美少年(?)だった60年も前のことです。何度も訪れ、友と一夜を過ごしたこともあります。
「京都北山からヒマラヤへ」といわれるように、今西錦司や西堀栄三郎ら先人たちを育みました。
変わらない風景が目の前にありました。懐かしさがこみ上げてきました。
【2026/06/13 10:06】
雲ヶ畑出合橋から2キロほど谷間を入った駐車可能な松尾谷出会にそれぞれの車5台で集合しました。メンバーは、スタッフをいれて15人でした。
時計回りに松尾谷林道を詰めます。
あたりは昭和47(1972)年に治山されています。沖縄の日本本土復帰や札幌冬季オリンピックが開催された年です。当時でもわたしが歩いた木馬道(きんまみち)はもうなくなっていたのでしょう。
木々の緑が直射を遮ってくれます。時折、爽やかな風も吹き抜けました。
実山椒がついています。
ウツギ(空木)が白い花をつけています。
ヤマゴボウ(山牛蒡)が花をつけています。教えられなければ、ただの草です。
オオバアサガラ(大葉麻殻)の花です。
クマ出没の話になりました。リーダーは、熊よけスプレーを用意してました。でも噴射する機会がなくてよかったです。
緩やかな林道からそれて急勾配の谷筋を詰めました。
涼し気な滝が目の前を滑り落ちていました。
飛沫がほとばしります。
ゆっくりと歩いて、2時間ほどで魚谷峠に到着です。
昔は風情のある峠でしたが、現在は林道の交差点です。
山道を20分ほど登ると魚谷山(816m)の山頂です。残念ながら眺望はありません。
東斜面を柳谷峠に向けて下ります。
柳谷峠からは記憶よりは急な谷筋を下りました。北山荘に到着です。
わたしの母校である洛北高や、その前身で今西や西堀らが育った京都一中などの関係者によって管理されています。
ここで昼食となりました。
わたしはいつものように途中のコンビニで買ってきた「俵むすびとおかず」でした。
北山荘から少し下ると、今西博士のレリーフがあります。
その近くに西堀らが昭和2(1927)年に建てた最初の山小屋がありました。「雪山讃歌(西堀作詞)」で「煙たい小屋でも黄金の御殿」と歌われているその小屋です。
ベニバナヤマショクヤクの花後があちこちにありました。もう10日ほど早ければ、紅色の花が見れたのです。残念です。
直谷(すぐたに)を下ります。
6年前に訪れたときは、倒木の巣でした。それをまたぎ、くぐりと難渋したのを覚えています。それが、元の歩きやすい谷道に戻っていました。
荒れていた様子は、こちらに記録されています。
京都・北山 「北山荘」を訪ねる
丸木橋があった分岐まで下ってきました。立派な林道ができて、すっかり様子が変わっていました。
太い北山杉が積まれています。林業というのは、まだ健在なのでしょうか。
麗杉荘(れいざんそう)は朽ちるにまかせているようです。
「北山の父」と呼ばれた森本次男によって建てられた北山荘と並ぶ由緒ある山小屋でした。
もう一つあった直谷山荘は、残骸が散らばるだけです。
【15:38】
松尾谷分岐に戻ってきました。
花こそあまり咲いてはいませんでしたが、新緑を浴びる爽やかな一日でした。



























