東舞鶴の商店街、八島通りを歩きました。義母を病院まで送った後、診察が終わるまで時間がありました。
最初に目に飛び込んできたのが、これです。そういえば知ってましたが、改めてクスリとしました。
居抜きで開店したとはいえ、このセンス。「中央市場」、改め「中央酒場」です。市場だった時代ほど繁盛しているのでしょうか。
もう少し歩きます。
郡是製絲株式會社は、お隣の綾部が創業の地です。メリヤスは「莫大小」ですね。
舞鶴といえば「岸壁の母」ですが、そんな銘菓は食べたことがないです。
肉じゃがも海軍カレーも、舞鶴の名物です。
航海に出た海軍艦艇の乗組員が週の感覚を失わないよう、毎週金曜日にカレーが給されました。今も舞鶴では「金曜日はカレーの日」と定めて、海軍カレー・グランプリなんかが催されています。
「日本の夏」は、これなくては過ごせません。
学生さんの需要もあるようです。安心しました。
55年も愛されてます。
シャッター通りとなりましたが、2店が健在です。
軍港があった東舞鶴は、通り名が海軍の戦艦などからきています。
新市街の命名 新市街工事の完成に伴い、明治三十五年十一月、倉梯村大字浜を中心に新市街の通り名が付けられた。市街地は海軍都にふさわしく戦艦、巡洋艦など艦種別、建造年代順に軍艦の名が用いられ、中心部を条に分けた。
寺川、与保呂川間の南北の通りは西から寺川沿いを八雲通り、続いて一条から九条に分けた。
東西の通りを北から
(海岸) 八重山 富士 (大門) 八島 敷島 朝日 初瀬 三笠
与保呂川、祖母谷川間を南北に、西から
(養老) 吾妻 磐手 出雲 浪速
東西に
千早
祖母谷川から市場間を南北に、西から
千歳 高千穂 厳島 松島 橋立 高砂 宮古 曙
寺川以西は南北に、東から
千代田 和泉 秋津洲 須磨 明石 筑波
東西に
武蔵 高雄
北吸に
比叡 天竜 葛城 大和
と名付けた。
(注)カッコ内は艦艇名でないことを示す。大門通りとは鎮守府裏門(東門)からの通りの意味である。
こんな記述が舞鶴市史にあります。