嵐電(京福電気鉄道)の北野線は大正14(1925)年、京都電燈によって北野ー高雄口(現・宇多野)間が開業しました。ことしで100周年を迎えました。
新型車両の「KYOTRAM(きょうとらむ/モボ1型)」も今春、デビューしました。100周年のヘッドマークをつけて宇多野のホーム脇の残り紅葉を横目に走りすぎました。
暖かな一日でした。嵐山本線から北野線が分岐する帷子ノ辻(かたびらのつじ)から10駅、北野白梅町まで3.8キロをカメラ片手に歩きました。
冬枯れの鳴滝ー宇多野間です。桜のシーズンにはピンクのトンネルとなります。
帷子ノ辻では、100周年写真展が開かれていました。どれも見入るような嵐電の歴史が詰まっていました。
今はない北野駅を撮影したパネルもありました。
急に思い立って阪急に乗り、西院で下車。階段を上がると嵐電西院(さい)です。西院車庫にはいろんな形式の電車が留め置かれています。
嵐山行きの電車がやって来ました。四条通りには遮断器が設置されました。
姉妹提携している江の島電鉄のカラー塗装された江ノ電号でした。
電車は、嵐山に向かうインバウンドらの観光客が多くて満員でした。
併用軌道にある山ノ内です。こんな島式の電停にお目にかかるのは久しぶりです。京都市電が走っていたころは、あちこちにありました。
帷子ノ辻で下車すると、向こうの北野線ホームできょうとらむが発車を待っていました。初めての対面でした。
丸みを帯びたラウンドフォルムをしており、カラーは嵐電のシンボルの「京紫」です。
「京都のまち・ひと・くらしとともにある路面電車」をコンセプトにつくられています。
平日は10分間隔で運転しています。
嵐電の新しいロゴマークです。「嵐」「電」という漢字をデザインしているようでもあります。ちょっとパンチに欠けるような⋯。
わたしは京都電燈の社章を継承する力強い「菱形雷紋」の方が、断然に好きです。
ホームの屋根を支える柱は、レールを流用しているようです。画像は90度、回転させています。
「N WLNDLI VT 24」と読めないこともありません。ただしネットで探しても、何も引っかかりません。
改札を出て駅ビルのランデンプラザ帷子に上がりました。踊り場に嵐電の歴史を振り返る多くの写真が展示されていました。
今とあまり変わらないような太秦広隆寺の門前です。
古い駅名表示も残されています。
駅前の三条通から大映通り商店街が延びています。いわずとしれた旧大映撮影所へとつながる通りです。
帷子ノ辻。それにしても難読地名です。嵐電のこの辺りは難読のオンパレードです。
帷子ノ辻の東にある留置線です。昔は電車を改造した作業車が止まっていました。
帷子ノ辻から歩き始めて最初の駅は撮影所前です。
東映太秦映画村はこのフェンスの内側。すぐ近くです。
帷子ノ辻で発車を見送ったきょうとれいんが、早くも北野白梅町で折り返して戻ってきました。ダイヤでは片道12分です。
ピーポー、ピーポーとサイレンを鳴らして救急車が走ってきました。でも踏切の遮断器は降りてます。嵐電が通過するのを待っていました。
JR嵯峨野線と交差します。
撮影所前ー常磐間には40パーミルの勾配があります。
嵯峨野高校の横を歩いていると、きょうとれいんに追い抜かされました。
常磐の手前で複線になります。
次は鳴滝です。駅前の千成餅食堂が気になりました。
店主の体調不良で、正月餅の注文は断るとの張り紙がありました。
複線区間で上下線が交換します。
鳴滝を出ると、再び単線になります。ポイント付近で工事が行われていました。
桜の時期にはレンズの放列となる高尾口3号踏切です。撮り鉄には有名な撮影ポイントです。
枯れ葉が残る桜を横目にします。
福王寺の五差路につながる道路上から宇多野を見下ろします。
宇多野のホームには、珍しい木製電柱が残っていました。昭和44年というプレートが付いていました。
帷子ノ辻行きのホームは離れたところにあります。電車は途中駅では左側ドアしか開かないので、両側にホームが必要なのです。
御室仁和寺はすれ違い駅です。
向こうに仁和寺の大きな山門が見えます。
時計を見上げておしゃれな文字盤に気づきました。壱、弐、参くらいはともかく、陸、漆、捌・・・は知りませんでした。
駅名は御室仁和寺と改称されましたが、表示は旧字体で御室驛です。
線路脇にブラシノキの真っ赤な花が咲いていました。
妙心寺です。
次は龍安寺です。
短い距離なので、すべて複線にしたらーと思ってしまいます。用地もありそうです。
等持院立命館大学衣笠キャンパス前は、音読26文字で、日本一長い駅名だったこともあります。
馬代通の交差点に不自然に長い駐車場スペースがあります。開業当時はこのあたりに小松原駅がありました。その名残でしょうか。
北野白梅町が近づいてきました。きょうとれいんとの何回目かの対面でした。
駅舎は改装されてきれいになっています。
開業当時は、ここからさらに東の北野まで延びていました。
京都市電西大路線の全通に伴い、昭和33(1958)年にこの区間は廃止され、白梅町が終点となりました。
今出川通を東に歩きました。しばらく行くと、通りは北野天満宮に向けて左へカーブします。正面は比叡山です。
北野線が走っていたとは思えない細い路地を直進しました。
すぐに京都佛立ミュージアムという立派な宗教施設に突き当たりました。ここに櫛形ホーム2面3線の北野駅があったのです。
大回りしてミュージアムの正面にまわりました。
北野天満宮の大鳥居です。
ミュージアムの正面です。
かつて、同じ場所に存在した北野駅です。
帷子ノ辻の写真展に掲示されていた写真です。
右の車両は、京都市電北野線で最後まで走っていたN電にそっくりです。
左の車両は、わたしも京都市電でもよく見かけた格好をしています。
狭軌だったにしては立派なレール幅です。
ミュージアムで「北野駅の痕跡はありませんか」と聞いてみました。その答が一帯を再現したジオラマでした。
北野駅は櫛形ホームとしてきっちりと再現されていました。
































































