雲ヶ畑山歩き俱楽部 満樹峠から十三石山、氷室

 山城三十山の一座、十三石山に初めて登りました。京都北山を歩く雲ヶ畑山歩き俱楽部の例会でした。
 季節は冬ですが、風はなく穏やかな日和でした。それでも今シーズン初の雪とも出会いました。
 その昔。雲ヶ畑から京の都に花や柴を運ぶために往来しました。今は廃れた古道です。博識リーダーの講座で教えられるいことが多い、楽しい山歩きでした。

 【2025/12/13 09:22】
 雲ヶ畑の市ノ瀬に集合。リーダーからルートの説明を受けました。

 早刈谷の林道を進みます。

 谷に陽の光がこぼれてきました。

 シダの上に雪が氷となって降り積もっていました。

 だれもいない小屋から焚き火の煙が上がっていました。山仕事をされているのでしょう。

 林道を外れて杉林の山道となります。幅は1メートルほどと広く、荷車が行き来したそうです。

 満樹峠に到着です。万寿峠とも書きます。

 「満樹峠というのは、平安京が造営された時、このあたりの大樹巨材が多く、老木が山に満ちていたから満樹と名付けられた⋯」(金久昌業「北山の峠」)
 こんな資料をリーダーがコピーして配布。説明を加えてくれます。

 十三石山の頂上直下を歩いていると、なんと山頂標識が転がっていました。風に吹き飛ばされて来たのでしょうか。拾って元のピークに戻しました。

 山頂にはいくつもの標識がぶら下がっていました。

 少し離れた十三石山西峰も踏みました。ルートはかなり荒れていました。

 満樹峠に戻り、氷室に向かて進みます。途中に寺山への分岐がありました。

 京都一周トレイルと合流です。おなじみの標識が立っています。

 足元には、これもおなじみの像です。

 氷室神社の前で昼食としました。穏やかな陽だまりでした。

 わたしの昼飯は、途中のコンビニで買ってきた弁当とミニ・カップラーメンです。

 久しぶりの「天下一品」です。それらしいお味は?

 氷室神社を参拝します。

 本殿の前にある拝殿は、東福門院(徳川家康の孫で後水尾天皇の皇后)が寄進した唐破風屋根をもつ珍しい構造だそうです。

 桃山風という変わった彫り物が載っています。

 氷室の穴も残っています。
 ここに冬の雪を貯蔵して、夏に都へ献上しました。菓子の水無月の元祖です。

 窪地は3つありました。

 小峠を境に、明るい氷室の里から薄暗い盗人谷となります。

 3年前には渡ることができた丸太橋は、通行不能となってました。橋脚が腐って、崩れ落ちそうです。

 山幸橋まで下ってきました。
 雲ヶ畑街道を下り、車をデポしていた柊野運動公園がゴールでした。

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